かつて、一隻の恒星間移民船が、宇宙への遥かな旅に出た。
予想された通りに宇宙の旅は過酷であり、想定しなかったいくつものトラブルが移民船を襲った。
それを一つ一つ乗り越えて旅をする彼らは、しかしある時、天啓を得た。
理論上ですら存在しなかった、次元跳躍航行の発明である。
それにより、まだ数百年は必要だったと考えられていた旅路は僅か数十年に短縮された。予定されていたよりもはるかに早く移民先へたどり着いた彼らは、その星を第二の故郷とし、そこからさらに宇宙へ大きく広がっていった。何十光年という距離を数分の距離にまで縮めてしまう次元跳躍航行技術によって、彼らの社会は大きく発展し、当初想定されていたそれを遥かに上回る規模の経済圏を構築した。
それが、アーネストの存在する宇宙、そこに住まう人類の起源である。
だが、彼らの先祖は、何十と送り出された移民船、その一つに過ぎない。宇宙には他にも何隻もの移民船が送り出され、しかし違いに連絡する事も出来ず、ただ限りなく無限に近く広がる大宇宙のどこかで、同胞たちはきっとうまくやっているだろう、そう信じるのみであった。
今日までは。
そして今。映像の向こうで、その遠く分かたれたはずの同胞の船が、長い時間を越えて姿を現したのだ。
映像に目を向けたまま、アーネストは低く唸る。
「俺たちの先祖以外の移民船だって事か……?」
『情報によればそのようです。今現在、銀河連邦が対処にあたり、移民船を武装巡洋艦で護衛……まあ、監視し、通信を試みているようです』
「そうか……。そうだよな。……ううむ」
顎に手をあてて、何やら考え込む様子のアーネスト。
別の移民船との再会。それは大きな歴史的事実かもしれないが、それを考えるのは偉い人達の仕事だ。
大して、アーネストは美食ハンターだ。彼にとって価値があるのは、失われた料理技術とその概念である。
『マスター?』
「なあレヴィ。あれが本当に、俺たちの祖先と袂を分かった別の移民船って事はさ。俺たちが失った技術とか概念……料理なんかが、積み込まれてる可能性は高いよな?」
『移民船は何百年というスパンで航行計画が組まれています。その過程で必要な資源の再生産も行われ、移民船独自の技術・文化が誕生する事はままある事です。事実、第07移民船団は航行中に空想上の技術であった次元跳躍航行を発見しています』
それは、この宇宙に生きる人間なら誰でも知っている事だ。
わかり切っている事をいちいち確認するAIの思わせぶりな前振りに、アーネストは投げ出した足を椅子の下に戻し、機体の制御システムにアクセスした。自動航法システムを解除する。
『しかし、見たところ件の移民船は、そういった技術を発見できなかったようです。数百年以上に渡る、長期の移民船生活。閉鎖された環境では、大きな文化の変容、生活様式の変化は乏しいと考えられます』
「つまり?」
『マスターの希望する情報や物資が残されている可能性は高いと思われます。もしかすると、地球時代の飲食物の現物、あるいはそれを知る人間があの船に居る可能性は明日、恒星が超新星爆発を起こす可能性より高いでしょう』
ぱん、と手を打ち合わせる音が操縦席に響いた。
文字通りの快哉を上げて、アーネストはスペースジャケットを着なおすと、座席の後ろにひっかけてあったヘルメットを手に取った。
「決まりだ! 次の目的地は、あの移民船に決定! 善は急げ、すぐに出るぞ!」
『了解しました』
操縦席の計器に一斉に日が灯る。アーネストがニュースの情報を元に座標を航法システムに入力し、その指示によって紅蓮丸の跳躍航行システムが起動する。
ガコン、と機体後部中央部の構造体が展開。カバーが開いた内部から、虹色に光る円筒が後ろに向かって伸びていく。円筒が展開されると、三枚の板のようなものが展開され、それらが無数のパーツに分かれスライド展開していくと最終的に、銀色に光る傘のような形状となった。
その内側に、本体側のユニットから光が照射されて紫色に光り輝いている。
『高次元跳躍航行ユニット展開しました。特異点、安定しています。ブラックオーブを次元チャンバーに充填、荷電を開始します』
「目標地点……イェソド銀河、惑星シャダイ近辺。プラズマ核融合炉オーバードライブ。それとフェルミオントランキライザーの展開も忘れるなよ」
『心得ています。全システム、正常に稼働。ブラックオーブの電圧、規定値まで到達。高次元触媒への変動を確認。高次元跳躍、開始します。ドライブ』
紅蓮丸航法に展開されたディメンジョン・セイルに向かって、跳躍航行システムから紫に光る触媒が撃ちだされる。それを受けたセイルが、闇色の次元フィールドを球形に展開、紅蓮丸の機体全体を包み込む。
高次元の“捻じれ”は、すぐに縮小、崩壊する。それが消え去った時、通常次元に紅蓮丸の姿は無かった。
◆◆
イェソド銀河。惑星シャダイ。
銀河連邦を構築する十の銀河の一つではあるが、社会の中心からは遠く離れた辺境の地。薄黄色に輝く惑星は、重力的にも環境的にもとても人類が住めるような環境ではない。その為本星ではなくその衛星の裏側に、小さな宇宙基地がある、そういった星だ。
普段であれば、物好きな旅行者や、無人の資源運搬船が往来するばかりのその宙域は、しかし今や数百を超える銀河連邦の巡視船が往来し、大騒ぎとなっていた。衛星の宇宙基地にも、そのドック機能を越える数多くの船が押し寄せ、その混乱ぶりは遠くからでも見て取れる。
その原因も明らかだ。
惑星シャダイから数光年先の宙域を、ゆっくりと銀河中央に向けて航行している一隻の大型船。
件の移民船である。
大きさにして、全長数十キロ。樽型の構造を考えると、銀河連邦でも所有していない超大型船であり、大きな街、あるいは小さな星が飛んでいるといっても過言ではない。その周囲を、銀河連邦の巡洋艦が数十万キロの距離を空けて取り囲んでいた。
物騒な雰囲気ではある。確かにゆっくりといっても第三宇宙速度を遥かに超える速度であり、ちょっとした相対距離の間違いで衝突事故にも発展しうるのは確かだ。だが、照準を向けていないとはいえ武装した巡洋艦でその四方を逃げ出す隙間もなく取り囲んでいるのは、保護や誘導というには聊か剣呑な対応といえる。
その重苦しい雰囲気を感じ取ったのか、野次馬で見学しにくる民間船の姿も見られない。痛いほどの沈黙が、現場の空間に満ちている。
そんな監視網の中に、入りこむ一隻の影があった。
刃持つ鋼の翼……紅蓮丸である。
◆◆
「なんとかなったな」
巡洋艦達が自分達に気が付いていないのをその静寂から見て取り、アーネストは安堵の息を吐いた。
かつて単独で恒星間攻撃を可能とした、高精度の次元跳躍航行。そして現実空間に復帰した際にレーダー類から反応を隠ぺいするフェルミオントランキライザー。この二つの機能によって、紅蓮丸は厳重な監視網の内側にもぐりこむ事に成功した。
とはいえここからが本番である。ここでエンジンをふかして加速なんぞすれば、一瞬で巡洋艦に発見される。そうなったら流石に厄介だ。
慣性航行でも移民船には十分ついて行けている。ここは焦らず、機を伺うべきだろう。
「それにしても、ずいぶんボロボロな船だな」
報道映像の解像度の低い映像でも明らかではあったが、こうして実際に至近距離で見ると件の移民船が非常に劣悪な状態にあるのがよりはっきりと分かる。ほぼ真空の宇宙空間においては十万キロ程度は至近距離と同じだ、コントラストが極端なのもあって船の構造がよく見えた。
表面はやたらとボコボコしている印象だったが、どうにも道中で確保した小惑星を切り出して外壁に使用しているらしい。あるいは、記録にかすかに残っている地球の衛星……月とかいったか、それの岩盤を切り出したのだろうか。しかし長年の旅路でその表面には数えきれないクレーターが存在しており、一部は欠落して船の本体が丸見えになっている。その本体部分も長年宇宙放射線に晒されたせいか明らかに劣化しているようだ。よく見れば、今現在航行中の船からも小さなデブリが剥離して航路に巻き散らかされている。銀河連邦の巡洋艦が監視しているのはこれもあるのだろうか。
どちらにしろ、本来であればすぐにでも停船させてもおかしくない有様だ。しかしこれだけ巨体の船となると、停止どころか減速にも多大なエネルギーを必要とするだろう。そう簡単な話ではない。
「というか、これ、大丈夫なのか? クォンタムセイルとかちゃんと動くのか? もしレーザー推進での減速とかできなかったら、下手したらあの冷血な銀河連邦のやる事だ、採算に合わないとか言って見捨てかねないぞ」
冷酷なまでの資本主義社会である銀河連邦の体質を思い返して、アーネストは不安を覚えた。
もしそうなったら、あの移民船に積まれているかもしれない貴重な資料や物資が宇宙の果てに消えてしまう。流石に住人までは見捨てないだろうが、船は必要とあらばあっさりと見捨てると断言できる。あんな旧型の船、再利用もできないし解体にも金がかかる、あのまま放り出して宇宙の果てに投棄するほうが経済的だ、とか言い出しそうだ。
「それは困る。やっぱ、中に乗り込むしかないか」
『正気ですか?』
「さて、巡洋艦の監視の中どうやって乗り込むべきか……」
『マスター? 聞いてますか? マスター??』
抑揚のない平淡な合成音声でもはっきりと困っている事が伝わるAIのメッセージを無視して、アーネストは状況を伺った。
慣性航行では船から引き離されずにいる事しかできない。かといって加速するためにエンジンに火を入れれば、たちまち巡洋艦に存在を発見される。流石に巡洋艦の方も、アーネスト達のような無法者が好奇心で介入してくる事を警戒しているだろう。
さて、どうするか。できればエンジンの反応を誤魔化せる何かが都合よくあればいいのだが。
「レヴィ。想定される進路上の空間を検索してくれ。恒星からのフレアとか、宇宙嵐とか、そういうのがあればそれに乗じて近づく」
『はぁ……わかりました、マスター。航路図に照らし合わせて確認します。……いえ、どうやらその必要はないようです』
「何?」
意味真なAIの言い回しに眉を顰める。疑問の解答のように、キャノピーの一角に別ウィンドウで映像が拡大表示された。
『移民船の下部から、リキッドメタルの漏出を確認。機関冷却用のヒートポンプから漏れているようです。想像以上に船体の劣化は深刻なようですね。漏出した液化金属は、超高熱を保ったまま空間にばら撒かれています』
「よし来た、そういうのを待ってたんだよ! レヴィ、進路変更だ、プラズマ炉の干渉波で機体を微動制御、リキッドメタルに紛れて移民船に近づく、やれるか!?」
『それが私の存在意義ですので』
意気揚々と操縦桿を握り、進路を変更。AIが指示した、リキッドメタルの流出部分に近づく。人間の肉眼では目視できないが、確かに相当量の液体金属が高温のまま漏れ出しているようだ。宇宙空間では物質は簡単には冷えない、液体金属達は高熱を……各種反応を垂れ流してレーダーを真っ赤に埋め尽くしている。それに艦を紛れ込ませるようにして、アーネストは一瞬だけ出力を絞ってエンジンに日を入れた。
数秒間だけ艦が加速する。
それで十分だ。艦としては質量が軽い紅蓮丸は、それで十分な速度を得て移民船への接近を開始した。
「これでよし。巡洋戦の反応は?」
『……急激なレーダー波の増大などは感知されていません。陽電子によるアクティブソナーの予兆もなし。感づかれた様子はないようです』
「うし、このまま接近する。タイミングの調整とかは任せるぞ」
宇宙空間での、時速数万キロという超高速の世界で人間にやれる事はない。無理な事は無理、と諦めて機械に任せるのが正解だ。それに、キャノピーの中に映る移民船はまだ小さく、この調子だと接近には数日かかるだろう。その間ずっと気を張っているのは非効率だ。
信頼するAIに操縦を任せると、アーネストは乗船の為の準備を行うべく、操縦席を後にした。
彼が準備する間、船を接舷させるのはAIの仕事だ。
『相対距離・相対速度、ともに修正誤差範囲。最終調整完了。アンカー、撃ちます』
移民船の外壁の影にもぐりこんだ紅蓮丸が、ゆっくりと壁面に近づいていく。あと数メートル、という至近距離まで接近すると、その機体の下部からいくつものワイヤーアンカーが撃ちだされた。岩盤にアンカーが突き刺さり、機体と移民船を完全に同期させる。その際の衝撃でワイヤーが二本弾け飛んで千切れたが、ここまでくればもう接触事故の心配はない。ゆっくりと紅蓮丸の機体が移民船の表面へ張り付くように着陸する。
『船体への機体固定完了しました』
「おっけ、お疲れさま、レヴィ」
格納庫で上陸の準備を進めていたアーネストは、報告に相棒をねぎらった。
何度やっても、運動体への着陸は緊張する。どれだけ慎重に相対速度と距離を調整しても、そもそもの速度が速度だ。完全完璧な同期は、相手側からもアプローチがなければ不可能だ。ほんのわずかな誤差が、致命的な破壊を招きかねない。
それをわかっていてやっているのだから、まあ自己責任の範疇ではあるのだが。
「よし。あとは俺が直接移民船内に潜入する。入れる場所の宛てはあるか?」
『移民船表面をスキャンしました。外部ハッチらしきものを発見しましたが……そちらより、アレから入る方が確実でしょう』
アレ……移民船表面の亀裂を刺して言うAIに、アーネストも苦笑いしながら同意する。
「それは同意だが、あれだけの亀裂を放置しているのは不可解だな。普通塞ぐだろ? いやまあさすがに罠って事はないだろうが」
『何かしらのトラブルが起きているのかもしれません。船員の大半がコールドスリープ状態という前提でも、船全体の活動反応が極端に低いようです。生命維持装置や環境維持装置に問題が生じている可能性は低くは無いかと』
「うげ。中に入ったら大量の死体……とかは勘弁してくれよ」
格納庫の与圧を行いながら、緊張感を紛らわせるように相棒と軽口をたたき合う。
紅蓮丸は元軍用の攻撃機だ。基本的には爆弾やミサイルを運ぶのが仕事だが、場合によっては敵司令部攻略用に特殊部隊の類を運ぶこともあり、そのためのスペースが設けられている。今は彼一人専用のその場所には、船外行動の為のEMUが配備されている。小さなデブリや急激な温度変化から着用者を守り、パワーアシストによって俊敏な動きも可能だ。ただ、嵩張る上にそこそこ維持費が必要なのが難点。頻繁に船外活動するアーネストは、それでも金食い虫のこの装備を維持し続けている。こういう時に使うからだ。
兵員庫の減圧が終わり、ハッチから外に出る。
真空の宇宙空間に音はない。ただ、自分の呼吸音だけが、ヘルメットの中に響いている。
足元には、果てしなく広がる岩盤のような移民船の装甲。全長数十キロの巨大な船体は、人間から見ると星の上とそう変わらない。右も左も、北も南もない宇宙空間では、例え船の上であっても方向感覚を喪失しがちだ。宇宙に出て数百年、人類は結局のところ、この永遠の闇に適応できた訳ではないのだ。
「レヴィ。こちらアーネスト、移民船の表面に今出た所だ。ガイドしてくれ」
『了解しました。マーカーを投影するので、それに従ってください』
ヘルメットのバイザーに、可視光でラインが投影される。それに従い、アーネストは紅蓮丸の翼の下から外に出た。
途端に、眩しいほどの光がバイザーを照らす。すぐさま光量が自動的に調整されるが、船の装甲面はまるで輝く白熱灯のようだ。バイザーの片隅に警告が生じた。
『EMUの表面温度が急激に上昇しています。迅速に目的地に移動してください』
「わかってる、って……」
せかすようなAIの警告に言い返しながら、船体を移動する。
「よし。こちら、目的地に到着した。内部に侵入を開始する」
『了解しました。お気をつけて』
お決まりの文句で送り出され、アーネストは艦内へと降下した。