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第三話 セリナ・オルム



「やあ、君がミス・式部だね。チャーチル君と、レヴィから話を聞いているよ。私はセリナ・オルム。しがない大学教授だ。覚えていただかなくても結構だが、しばらくの間よろしく頼むよ」


「はい、プロフェッサー・オルム。私は式部神奈、ネストさんの助手、です。お会い出来て光栄です」


 居住区で歓迎の準備をしていた神奈は、いそいそと乗り込んできたオルムと顔を合わせた。その背後では、スタッフ達が出発の準備のため、積みこんだ荷物を纏めている。


 威厳と親しみやすさを兼ね備えた銀髪の壮年男性。握手をかわすと、ゴツゴツとした手の感触が帰ってくる。岩のようなそれは、彼が頻繁にフィールドワークに出ている事を容易く想像させた。


 この人がネストさんの……とじとりと視線を向ける彼女。無意識にだろうが、品定めするような視線を向けられたオルムは内心ちょっと冷や汗をかいた。


 ただの助手、とアーネスト本人は言っているがどうにもそういう雰囲気ではない。


 これは迂闊な事を言うと血を見るぞ、と長年の経験でオルムは察した。


「移民船の話は、少し聞いているよ。そちらの積載していた有機物について、解析の依頼がこちらにも回って来ていてね。私は深くかかわっていないが、担当した連中が日夜歓喜の悲鳴を上げて解析に取り掛かっていると聞く。なんせ、地球伝来の失われた情報の原液だからね。その情報的価値は計り知れない……まあ、金勘定しか興味のない為政者達は、さほどの興味はないようだが」


「ははは……御迷惑をおかけしています」


「なんと、全くそんな事はないよ。生きがいを齎してくれて何よりだ」


 意外なところで繋がりがあるものだ、というのが神奈の正直な感想だ。移民船の対応について、アウスビッツ氏は可能な限りの援助を行うが、充足した支援を行うには彼個人の権限では限度がある、ともいっていた。恐らくその穴埋めのために、あちらこちらに話を通して、重鎮の関心を買おうとしているのだろう。今も、政治的な戦いを続けている船長とアウスビッツ氏の事を思い、少しだけ神奈は望郷の思いにかられた。


 あくまで少しだけだ。今の神奈の戦場は、アーネストの隣である。


「正直言うと、君とも様々な事を語り明かしたいのだが、アーネスト君から変な事はするな、と硬く釘を刺されているのでね。また今度、正式な依頼として場を設けさせてもらうよ」


「ふふ、ありがとうございます。私もまだ、こちらの……銀河連邦の生活様式には慣れない所がありまして。今はまだ、十分なお受け答えが出来ないと思いますので、助かります」


 互いに頭を低くして挨拶をかわす。と、そのタイミングを見計らったかのように、機内にAIのアナウンスが響いた。


『これより本機はステーションを離陸し、目的地ニヴェアリスに向かいます。御忘れ物の無きよう。繰り返します、本機は……』


「おっと、流石に仕事が早いな」


 オルムが感心したように呟く傍ら、ガコン、と床が一度だけ小さく揺れた。遠心力による疑似重力を発生させていても、部屋そのものが浮き上がる感覚はなんとなくわかる。


「えっと……確か、予定ではこのまま一旦ステーションを遠く離れて、規定宙域から次元跳躍航行を行うのでしたよね」


「その通りだ。時にミス・式部、君は次元跳躍航行についてどのぐらい把握しているかね?」


 不慣れなルールを思い返しつつ確認すると、オルムは教授らしく生徒に教えるような口調で問いを投げかけてきた。


 神奈からすれば願ってもない機会である。この宇宙についての事は勉強しているが、それを本職に尋ねるよい機会だ。


「ええと、聞いた話ですと、高次元を経由するもの、であると理解しています。ワープ、という概念は地球では20世紀ごろには一般用語として通じるほど普及していたと言いますが、元は空想上の概念で、原理そのものは考案されていたものの、そちらは現実的には限りなく不可能な方法で、銀河連邦で採用されているのとは違う原理なのでしたよね」


「その通り。ちなみに、その地球時代で一般的だったワープは、進行方向の空間を限りなく縮め、逆方向の空間を限りなく引き延ばす、というものだ。文字通り、距離という概念を縮めるものだな。理屈が間違っている訳ではないのだが、それを実現するには宇宙を一つ作り出すほどのエネルギーが必要という事で不可能とされている。対して、銀河連邦で行われている跳躍航行はもっと簡単だ。言うならば、二つの点と点を繋ぐものといえばいいかな?」


 そのあたりは、神奈も自分で調べて勉強している。


 少し首をひねって記憶を確認し、神奈は様子見のように概略を口にした。


「早い話が、高次元をスキップするのですよね?」


「そう、重ねたハンカチのようにね。現実の距離では遠く離れている二つの点も、高次元の視座においては、かならず重なって見える場合がある。高次元を迂回する事で、現実空間の距離をスキップさせるのが、我々の用いる跳躍航行だ。ショックドライブ航法と呼ぶものもいるな」


 そして、その跳躍航行には、特別な資源がいる。


「ブラックオーブ、というのでしたか。地球では発見されていなかった物質です」


 神奈から見ても興味深い話だ。少なくとも地球の科学は当時、高次元存在はあくまで空想上の存在であった。


 それが、グラビトロニウムと言い、銀河連邦では当たり前のように使われている。不思議である。


「オルム先生は何か、持論はあるのですか?」


「私は生物学者なので正直門外漢だがね。しかし支持している説はある。ある時点……およそ数百年前、高次元で起きた異変が4次元にも何かしらの影響を与えた、という説だな。ブラックオーブの他にも、グラビトロンをはじめとした銀河連邦を支えるテクノロジーの根幹は、高次元に絡んだ未知の新物質によるものが多い。それらが、昔から存在していたというより、新しく発生するようになった、と考えた方が色々と辻褄があうのだ」


「……なるほど」


 オルムの説明を受けて、神奈もいくらか腑に落ちる物があった。頷きつつ、壁に背を寄せて少し考え込む。


 例を上げれば、重力を自在にコントロールできるグラビトロンリアクター、数十光年を一瞬にして移動可能な次元跳躍航行。フェルミ粒子の回転に干渉するフェルミオントランキライザー。


 それらに共通しているのは、高次元物質という、地球時代では確認されていなかった未知の物質を利用する事によって成立しているという事だ。


 確かに、いっそある時から物理法則に新しい項目が加わった結果、と言われた方がしっくりくる。


「となると、オルム先生の研究の意義は、その4次元世界への干渉が生物にも及んでいるのか、という事になるのでしょうか?」


「……驚いた。今の説明でそこまで思い当たるのかね?」


「ええ、まあ、はい。私からすると、当たり前のものが当たり前でないので……」


 ちょっと目を泳がせながら、神奈はぼやく。


 宇宙昆虫とか、宇宙怪獣とか。この銀河連邦ではいて当たり前のものらしいが、少なくとも神奈の認識ではそんなもの、ワープ以上に空想の産物だ。データベースで、全長2kmの巨大怪獣が宇宙を飛翔している映像を見せられた時は、出来の良いCG映像だと思ったものである。


 そんなものが現実に存在する時点で、神奈からすればこの宇宙は狂っている。間近で目撃した宇宙昆虫の無機質な視線を思い返し、神奈はぶるり、と肩を震わせた。


「……やはり、宇宙昆虫とか宇宙怪獣を調べて回ってるんです?」


「はははは、そんなもの調べてたら命がいくつあっても足りないよ。あくまで私は、僻地の特殊な生態系の調査が中心だな。ニッチでマイナーな生態系にこそ、不可思議な謎の秘密があると、考えていてね」


 にこにこ笑いながら、オルムは胸ポケットから手帳を取り出した。


 随分年季の入っている手帳だ。彼はその一ページを開いて神奈に見せてくる。応じて神奈も近づいて手帳を覗きこむ。


 そのページには、無数の小さな写真が張り付けてあった。どこかの調査記録だろうか。写真には、オルムや他のスタッフ、そして得体の知れない生き物が多く写されている。その多くは、大きくて精々30cmほど。脚が六つある蜥蜴や、虹色に発光する蛸のような生き物、どこかで見たようでちょっと違う様々な宇宙の怪奇生物達。


「我々の調査対象はおおむね、こういった閉ざされた小さな生態系だ。限られた資源、限られたエネルギーで独自の発展を遂げているこれら存在は実に興味深い」


「へえ……」


「ちょっと先生、いつまでも話し込んでないで荷物運ぶのを手伝ってくださいよ!」


 と、そこでスタッフから声が飛んだ。


 オルムは「すまん、すまん、今行く」とスタッフに叫び返すと、神奈に向き直って頭を下げた。


「そういう訳なのでな、話はまたあとで。なあに、時間はいくらでもある。次はぜひ地球の話を聞かせてくれ」


「はい、喜んで」


 手を振って、居住区を出入りする梯子に向かうオルム。古い型の居住ブロックなので、荷物の出し入れはなかなか大変らしい。ちょっとその様子を見送って、神奈は自分の仕事に戻る事にした。気分よく、スキップを刻むようにしてカーテンで仕切られた調理スペースに入る。


 仕切りの外からは人が出入りする音が聞こえてくるが、意識して頭から追いやる。


「さて。人数が多いから今日は大変だぞ、っと」


 冷蔵庫から取り出すのは、カツモドキの材料である。普段アーネストと食べる分の数倍以上の量を作業台に並べていく。


 アーネストからの提案である。早い話が、懇親会だ。その為に、銀河連邦では一般的ではなくなってしまった料理を振舞おうという訳である。


 物好きな研究室のスタッフといえど、銀河連邦の人員である以上、料理という文化とは距離を取って久しい。むしろ、日ごろ忙しくしているからこそ、手間をかける料理というものへの認識は一般よりも遠いかもしれない。


 だからこそ、一度、実際に料理を体験してもらい、認識を改めてもらう事で、今後の食材入手につなげよう、というのが彼の提案である。


 そんなにうまく行くかな、と神奈は少し不安だが、悪い考えではないと思う。


 ただ、神奈の料理で彼らを満足させる事ができるか、という問題を考慮しなければ、だが。


「責任重大ね」


 オルム達がどのぐらい料理に興味があるのか未知数だが、成人男性数人分、となるとけっこうな量になる。一人でやるのはちょっと大変だ。


 材料は足りるだろうか。ある程度培養した野菜類を土に植え替えて少し経過したが、葉野菜はともかく実を食べるものはまだまだ時間が足りなかった。付け合わせに、新鮮な葉野菜を添えるぐらいの事はできるが……。


 キッチンの片隅のプランターにちらり、と視線を向ける。


 青々と生い茂る野菜の茂み。培養して成長した若い株を、土に植えて数週間経った今、それらは野菜らしい姿形へと大きく成長していた。


 その中に、毒々しいまでに真っ赤な実がいくつか実っているのが見える。……貴重な調味料の元だが、人を選ぶのは事実ではあるし、今回の大人数にはとても足りない。今回は見送るべきだろう。


 かんかん、と包丁の背でまな板を叩き、神奈はむん、と気合を入れた。


「あまりお待たせしてもいけないわ、手早くね、手早く」


 早速調理を開始する。基本的には、以前作ったものと同じだが、いくらかアレンジを加えてある。衣で包むたんぱく質ブロックには、細かくXの字に隠し包丁を入れ、グルタミン酸を主成分とする調味液につけておく。こうする事で味が沁み込み、かつ、触感がよくなる。すこしぷりっとした感じは、烏賊の切り身に近いかもしれない。


 それに加え、彩も兼ねて野菜も少々。持ち帰った野草類のうち、いくつかの種類は水耕栽培で葉を増やす事が出来たので、それらを千切って皿に盛る。


 鍋で熱した油に衣をつけたブロックを投入すると、じゅわああああ、と油が泡立って跳ねる音がする。


「ふんふふふーん」


 上機嫌に鼻歌なんぞを歌いながら、神奈は次々にブロックを揚げていく。油の音がするようになってから、外の物音はいつの間にかすっかり止んでいたのだが、彼女はそれにも気が付かない様子で、調理に没頭するのだった。






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