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08 宿泊研修、二日目運河クルーズ

 翌朝。早朝。未明。



 むさくるしい、男どもの部屋から抜け出して朝の散歩に出た。旅館とかホテルとかに泊まっているときだと、朝風呂の温泉とかに入れたりして最高だったりするんだが、今は宿泊研修中だ。勝手な行動は慎まなければいけない。したがって朝の人がいない時間に外へ出た。これぐらいは許されるだろう。


 運河が見える。まだ四時前。薄暗い。しかし、ほんのり太陽の光が見えてくる時間でもある。もうすぐ日の出だろうか。太陽は仕事早いな。



「千木野くん……?」



 呼ばれた気がして振り返ると、そこには人影があった。まだよく見えない。じっと、じとっと目を凝らすと、それはきっと、たぶん……。



「風川、か……? どうした、朝早いな」


「それはこっちのセリフよ。眠れなかったのかしら」


「いや、昨日は誰よりも早く寝たから、睡眠は取れている。でも、そうだな。非日常な日常に興奮していて実は眠れなかったのかもしれない。風川はどうしたんだよ。眠れなかったのか」


「ええ。クラスの女の子がちょっと。嫌味というか、突っかかるようなことを言われたから、じっくり時間を掛けて論破したら泣いちゃったのが昨夜。寝たふりして過ごした。最悪の朝よ」


「おお……そうかよ。それは大変だな」


「あの子達が言うには、私は可愛くて憎たらしいそうなのよ。成績もトップなのも加わって鼻につく、生意気。というのかしら。そんなつもりはまったくないんだけど、本人の自覚していないところで、埒外なことを無勝手に思われるのってなんかとても悲しいわ」


「そうだな。あまり良いことでないことくらいは、俺にもわかるよ」


「あら、慰めてくれるのかしら」


「誰がそんな事するかよ。少なくとも、俺にそういうのは求めるな」


「そうね。あなたはそういう人だったわ」


「でも、一緒に悲しむぐらいのことはしてやれるよ。同じ部活だからな」


「そこは“友達”じゃなくて?」


「理解者、のほうが近いね」



 一番理解していない人が、そんなわかったことを言うな。俺は自分にそう言いたかった。



 成績学年トップ、容姿端麗、美人でモデルのように美しくて、誰もから一目置かれるような存在。そんな偶像はこっちが勝手に作り上げた幻想でしかないっていうのに。彼女にそんな理想を押し付けて何になるって言うんだ。俺は彼女のことを理解なんてできていないし、理解しようともしなかった。同じ部活にいるだけの存在だと、それこそ決めつけて。誰かに同情するような俺ではない。傷を舐め合うような関係には絶対にならないし、彼女もたぶんそんなことは望んでいない。動機を知った彼女と引き続き時間を共にすることを、彼女だけでは無く俺も選んだことには理由がある。俺に対して正式に興味を持った人間は風川と知花さんが初めてだ。何かを理解することで、俺自身を理解できるかもしれないと思ったから。若い人間は総じて自分探しをしたがるもの。とりあえずはそれを理由にして、時間を共にする理由にすることを誤魔化して。



「そろそろ戻るわね」


「ああ」



 太陽が昇ってきた。宿泊研修の二日目が始まる。




 ※ ※ ※




 二日目は運河のクルーズ船に乗ることが実習であった。船頭さんから歴史を学び、地元北海道の地に親しみと理解を深めようというのが目的だそうである。高校生になればある程度のことは聞いていたりして知識を得ていることか多いのだが、しかし、知っているつもりで知らないことも多いのが事実。ここは謙虚な姿勢で学んでいくことが吉であろう。



 クルーズ船には一度に十数名乗り込むようだった。風川、知花さん、バカ、化神、神野が同船した。水の上ってなんでこんなにわくわくするんだろうな。



 気がつくと、化神と神野が仲良くしていた。それは友人としてであるが、いやよく見ると、まるで恋人のように……親密に……。



「おい、俺の化神をとるな! 不埒な」


「いきなり、なんだ? やるのか?」



 もちろんやってやる。やってやるぞ……うぐぐぐ……イケメン高身長エース投手には負けないぞ……たとえ野球対決をしてその果てに負けても、勝負には負けない……。化神は渡さない……。渡すものか……。



「ちよっと、僕を取り合って争わないでよー!」


「いい、セリフだな。もう一回頼めるか」


「もうっ! 千木野くん!」 


「冗談だって。神野とずいぶん仲良くなったんだな」


「まあね、野球部では一番仲良くなったよ。前にも言ったけど、これも千木野君のおかげだよ。ありがとうね」


「バカ言うな。お前が機会を逃さなかっただけだろ」



 俺はなでなでと、化神の頭をなでたつもりで撫でたりしたかったが、撫でることが出来ずにその場を離れた。船の一番端に適当に座り、川の水の流れを見た。



 ふと、こんな川の水になりたい。そう思った。どこにもいかずに、停滞して、淀んで、ぬるい不幸せに足首まで浸かってそのままでいるかのような、そんな川の水になりたい。ずっとずっと、不幸で、幸せにならないで、空ばかり、そればかり仰ぎ見ているような生活がいい。心の不安は一生物なのだから、一生付き合うとして、だからその重みを感じながら生きていきたい。それを忘れたくはないと思いながら。忘れて生活をしたくないと思いながら。鬱ロックという分野があるが、そっちも好んでいる。人の心に一番寄り添っている音楽だと思う。下手なラブソングよりずっとマシ。


 考えを続けよう。


 自分が立派な生き物ではないことを、自分が一番知っているのだから、それを感じて生きるべきだと思う。俺自身が誰かを変えることはできないし、仮にできてもそれは俺の力ではない。その誰かの本人自身の力によるものだ。俺なんかでは何もすることはできない。できる理由がないんだ。俺に期待なんてしないで。期待なんかするな。失望させるだけだ。過信するな。この先部活の特性ゆえに多くの相談を他人から答えを求められる事になるだろう。だから常に戒めろ。俺に何かできるかなんて、そんなことはありはしないんだと。



 程なくして風川と知花さんが俺の事を目ざとく見つけてやって来た。やむを得ず停滞した水を共に眺めることに。何が楽しいんだろうな、これ。



 船は進む。流れない運河を進む。こうして宿泊研修の二日目が終わった。一年生の宿泊研修が終わった。



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