「いやー、いい試合だった。勝ってよかったな。あのホームランは痺れたよ。鳥肌モノだね。本当にありがとうな、化神」
「うん。僕も楽しかったし、良かったよ」
化神は笑う。屈託なく。
うーむ、守りたいこの笑顔。見紛うことなく美少女だな。彼は。
帰りの満員電車で俺はつり革をなんとか確保し、その目の前の席に今日のチケットを確保してくれた優勝者である化神を座らせる。野球観戦の前後ってどうしても混雑するけど、同時にこれだけの人を熱狂させていたのだと思うと嬉しいよね。みんなとハイタッチして回りたいくらいだぜ。みんな友達、みんながチームメイト、みんなで応援。そんなの、みんなと一緒にみたいなことを俺は世界中の誰よりも嫌いで嫌っているはずなのにな。
電車が揺れる。人が揺れ、バランスを崩す。不可抗力。押される。
誰かに風川が押しやられ、俺に近づいてゼロ距離に。反対側の知花さんも誰かに押しやられてゼロ距離に。女の子二人にぴったり挟まれる。おっ?ラブコメか?
「混むな。風川」
「ええ」
「ちなみに、どうだった野球」
「ええ、楽しかったわよ。色々と知らないことを学べて有意義だったわ。私の世界にはないもの、私の世界観にはないものを知ることができたのは、人生の実りになったと、そう思うけど」
「お硬いな。知花さんは?」
「ドキドキしてました……なんかどうなるんだろうって。ボールが飛んできてもし当たったらどうしよう、こっちには飛んできてほしくないなとか。あっ、でも千木野くんが私に当たりそうになったホームランボールを、あれを庇うようにキャッチしてくれたのは嬉しかったです。ありがとうございました」
「いや、それは気にしないで良いよ。俺はただ、ホームランボールが欲しかっただけ。まさかこっち飛んでくるとは思ってなかったから、幸運だったな」
「ちよっと、どきどきしました……えへ」
やはりラブコメか。良くない。このラブコメの波動は見なかったことにしよう。そうしよう。俺にそれは不必要だ。求めていない。人間関係は作らないに越したことはない。すぐに人間関係の破壊を目論む男だからな。
「それじゃあ。今日はありがとうな」
俺は駅で手を振って別れる。
「またね。学校で」
「ええ、さようなら」
「バイバイ、楽しかったよ」
「楽しかったな!勝ったし、ハイタッチしようぜ!」
バカがハイタッチを求めてきた。それは見過ごせない。知花さんを守らなければ。
「じゃあな皆!ハイタッチ!ハイタッチ!また学校で会おう……とか言った側からなぜライダーキックが飛んでくるんだぐはっ……!」
吹き飛ぶバカ。皆が微笑むオチ。それを合図にそれぞれ振り返って違う道を歩いて帰って行く。
俺は全員が背中を向ける姿が、その光景がひどく揺れて揺れたように見えた。ああ、俺はなんてことをしているんだろう、と。
俺はこんな日常を手にしている俺が許せないと、素直に思ったから、この日常が揺れて見えたのだ。それだけは確かだった。
考えよう。この一ヶ月弱を。これまでの生活を。これまで強制的に作られてしまったこの人間関係を。この誰かの意図によって作られ、すべてが滞ることが無いこの学校生活を。
生活というのは常に不安をはらんでいるものであり、常に不安定さを持つものである。だからうまくいっているように思えるときは危険信号だ。何か見落としていることがあるし、何か見失っていることがほとんどだ。何もかもうまくいくだなんてそんな事あるはずがない。あってたまるか、そんなこと。自分だけの視点で見ているからいけないんだ。他人を想像する想像力が必要だ。思い込みが盲点を作り、言い訳が視点を乱す。自分を律して、戒めて、思考をクリアにしなければいけない。常に底辺に。底を這いずり回るように、下から見上げるように、空を見上げて、それぞれ見上げる空を見て。そうやって、吐くように、苦しさの中から絞り出していくような生き方をしていかないと、きっと後悔する。俺はもう後悔したくない。きちんと毎日を生きていきたい。言い訳して逃げるのは、たぶんこれからもやるだろう。でも、そればかりでいけないということを頭では理解しているのが、どの他人から見ても残念な人間に見えるのだろうなと、俺は自分で自分をそう理解するのだった。
バスが来た。残りのゴールデンウィークは何して過ごそうか。とりあえずは明日のファイターズの勝利を願って家で中継でも観ようかなと、ホームランボール大切にして観ようかなそんな事を考えていた。