空気がざわざわする。
音やなくて、なにかがざわついている。
たくさんの妖が、夜の間中だけ、街の中を練り歩く。
百鬼夜行。
主の庭を出るとき、いつもの衣の上に使役が着せつけてきたのは、わしの毛並みによく似た毛皮の上衣。
「似合うなあ兄弟」
同じような格好をした兄弟がわしの横に立つ。
「お前もな。せやけど、なんでお前も行くのんや?」
「主が保険やと言うておられた」
迷子になるかもしれんから、縁のある兄弟が近くにおったほうがええのやという。
「そうか」
「あんなぁ、兄弟」
「なんや」
「おれなぁ、お前のこと、変な奴やて思うててん」
「そやろな」
わしらは猫で、あの人はニンゲン。
猫がニンゲンを甘やかしたいとか、土台無理な話。
なのにわしは諦めきれんかった。
「人の姿になってどうすんねんって、思うてた。けど主に会って、主の匂い嗅いだら、ちょっとわかった」
すん、と鼻を鳴らして兄弟が笑う。
わしらの足元を、剣山が走ってった。
ぞろぞろと妖たちが動いていく。
壺がカタコトと歩を進め、後ろを箒がサカサカと掃く。
箒の後ろにカイナデがついて、「ケツがわからん」と、つまらなそうに舌打ちをした。
兄弟の耳が、自信なさそうにしゅんとする。
「おれ、主に名前強請ってもええと思う?」
「イナバでもチャトラでもなくなんのやな」
「けど、おれやで。お前の兄弟のままや」
「せやな。わしも、わしや」
主の庭で猫又になっても、あの人の手が忘れられんかった。
けど今宵本懐遂げたとしても、わしはわしや。
夜の風の中にあの人の匂いを探す。
人の街のあちこちで、いろんな『お化け』があって酔っ払いが騒いでんのが聞こえる。
人を驚かせるのに夢中な妖もいれば、悪さをしたくて獲物を探すのもいる。
今までの節分通りやったら、あの人はきっと社近くの盛り場。
いつも『お化け』で連れ出されて、雌の恰好させられては、帰りに公園で泣いてたから。
あの人を探してて、ふと、いやな気配を感じて周囲を見回したら、あれがいた。
「兄弟、あれがおる」
「ホンマや」
季節の変わり目に生まれるモノの中に、鬼がいる。
鬼にはいろんな鬼がいて、あれはわしらの嫌いな奴。
わしらが臭くて嫌いと思うモノをしこたま食ろうてでかくなり、近づくだけでこっちの尻尾が逆立つようなモノになる。
今見つけたのは、生まれたて。
角が花のつぼみみたい。
その嫌なあれが、クンクンと匂いを嗅いだ。
わしらが向かおうとしていた先をみて、唇を緩めて走り出した。
「やな予感がする」
「気が合うな。おれもや」
夜行の列から離れる。
鬼に追いつけるわけはないけど、方向は同じ。
あの人の匂いが近くなる。
ニンゲンたちの匂いと酒の匂いと化粧品の匂い、それから嫌いな感じがするニンゲンがまとっている、なんかの『気配』の匂い。
風で運ばれてくる匂いが、一段と濃くなった。
あの路地の奥。
「やっ」
「ほら静かにせい。お前のここは最近とんとご無沙汰で寂しいんやろ? 蜘蛛の巣はったら申し訳ないて、あの男が言うさかいな、わしらが相手したる、言うてんにゃ」
「していらん」
「お前の男の不始末や、お前もちょっとは手伝えや」
「ええ思いさせたるよって、なあ」
「そのために、『ええ服』着てきたんやろ?」
「違っ……やや、離せ!」
壁にあの人が押し付けられてた。
雌の着物を着ていたようだけど、ほとんどはだけられてて肌が見えてる。
紅色の布の奥にある白い脚。
下衆の手が股の間に差し込まれている。
あの人をとり囲む下衆は五人。
そして、その下衆を狙う鬼。
下衆どもだけなら蹴散らせばいいけど、鬼がいるのはいただけん。
「下衆どもが……」
グルルルルと、喉が鳴った。
わしが主の庭に行ってからもまだ、ずっと、こんなことが続いてたんか。
あの人はいつも悲しそうにしていた。
「兄弟、お前あの鬼から逃げ切れるか?」
「あの下衆、鬼に食わせたらええやん」
「ああ、そやな。下衆が鬼に食われたとこで、なんも困ったことあらへんもんな」
に、と兄弟が嗤う。
オサキが顔真似してたタレ目が、すうっと細められた。
威嚇音を発しながらまずは不埒な手狙う。
兄弟があの人を引っ張った。
「え、なに?」
「ええから、こっち!」
路地の奥になってまうけど、下衆どもを挟んで鬼と反対側に逃げる。
兄弟が盾になってくれてる間に、よいせとあの人を抱え上げた。
「なんやお前ら!」
「邪魔すんなや、クソガキが」
道をふさいだつもりだろう。
わしらの前に下衆どもがズラリ一列に並ぶ。
鬼に背を向けて、隙だらけ。
「よし、もう、いける」
「ほなな、兄弟。ちゃんと帰っといでや」
「おう。お前も無事でな」
ゆらりと兄弟のしっぽが揺れた。
あとは兄弟に任せて、膝に力を入れる。
人ひとり抱えたまま走るくらい、今のわしにはなんてことない。
地面をけって、壁をけって、屋根の上に駆け上がった。
「えええええええ? 何? なにぃ?」
耳元で叫ばれてちょっとキンとしたけど、無視して走る。
社とは反対側。
下衆どもの罵声がして、兄弟の気配が社の方へ向かう。
そのあとのことは、わしの知ったこっちゃない。