目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第5話 ニンゲンの匂い

 河原まで一気に走って、後ろから何の気配も来てへんことを確認してから、そっと抱えていた人を地面に下した。

 ペタンとへたり込んだ前にかがんで、顔を覗き込む。

 びっくりしてる顔。


「……大丈夫か?」


 声をかけて首元の匂いを嗅いだ。

 うん、怪我もないし健康の匂い。

 ぼんやりと周囲を見て、自分の手を見て、それからわしの顔を見て、わしの身に着けた毛皮を見て、何度か口をハクハクさせてから、小さい声が聞こえた。


「アイシア……?」


 嬉しくて尻尾がふぁあってなった。


「そうや」

「いや、でもそれおかしい。アイシアは猫やし、もうずいぶん前に姿が……」

「猫又になってん」

「人のはずないけど、この毛色は正しくアイシア……さっき、イナバっぽいチャトラの人もいた……」

「そうや。そうやで。会いたかってん。そやしな、お化けに紛れて来た」

「お化け?」

「節分の百鬼夜行」

「ああ」


 ずいぶん前に姿を消したと言いながら、全然忘れられてなかったことが嬉しくて、うるうるって喉が鳴る。

 素肌に触れへんように気ぃ付けて、胸元に頭をぐりぐりとこすりつけた。


「夢でも見てるのかな……この甘え方、めっちゃアイシア……」

「だってわしやもん」


 夢みたいなんはこっちの方や。

 諦めていたニンゲンに手が届いてる。


「あんな」

「ん?」

「夢やないねん。会いたくて会いに来てん。だから、わしの番になって」

「……はぃ?」


 腕を伸ばして、主がしてくれるように抱きしめた。

 腕の中にニンゲンがいる。

 猫の時には気がつかなかったけど、ずいぶんと細くて小さい。

 かわいい。

 全部の匂いを嗅いで、わしの匂いをつけて、かわいがりたい。


「名前教えて。わしに名前つけて。ほんで、わしと交尾して、番になって」

「いや。いやいやいや、ちょっと待って。猫……やろ?」

「人の姿も持ってる。猫又になった」

「でも、猫やろ?」

「なあ、アカン? 番にはなれん? 好きやねん。猫の時からずっと好きやってん。お前の今までの男みたいに、お前泣かせへんから。他の雌には目もくれへんし、大事にするし、寂しがらせへんし、わしが餌食わせる。教えてくれたら人の世で仕事もする。お前に貢がせたり、あんな下衆にお前を触らせたりもせえへん。わしの前で他の雄と交尾なんて絶対にさせへんし、他の雄の前でお前と交尾して見せびらかしたりもせえへん。っていうか、他の雄にお前を見せるのもいやや。わしは猫やから、パチンコやらも知らんし手ぇ出さへん。お前の誕生日とかに、他の雌に貢ぐもんをお前の金で買ぉたりせえへん」


 わしの腕の中おるニンゲンは、固まっていた身体をますます縮こませて、小さくなっていく。

 なんや、なんや?


「どうしたん?」

「おれの嫌やと思うことが、具体的過ぎて……」

「お前がわしに教えてくれたんやで。こういうことされて悲しかったって。そやし、わし、お前にそんなん絶対せえへん」

「あー……改めて他人の口から聞くと、自分の見る目のなさが情けない」


 ぎゅうっと小さくなってしまうから、抱え込んで背中を撫でた。

 かわいい。

 でも、急がなくては時間がなくなる。


「なあ、アカン?」

「お友達からおつきあいしてくださいってのは、なし?」

「ないな。わし、時間ないねん。主に頼んで人の世に出してもろたけど、今夜中に交尾できやんかったら、もう……」

「は? なにそれ。人魚姫か?」


 バッと顔を上げて、わしの目を覗き込んできた。

 あ。

 やっぱり好きや。

 わしの好きなきらきら。

 人魚姫とやらが何のことかわからないけど、何かを決めた目がきらきらしてて、好き。

 ニンゲンがわしの首に腕をまわして「抱っこ」って言うた。

 そう言われたらするけど、何や?

 横抱きに体を抱き上げたら、あっちと指をさされた。


「今更、貞操もへったくれもないし、お前に会わへんかったらあいつらに輪姦されてたんやろうし、な。いいよ。何が何やらわからんけど、俺の部屋でなら、抱かれてやる」






この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?