「その英雄を断罪したのは、他ならぬ貴様ら恩知らずな豚共ではないか!」
青髭の咆哮が戦場に響いた。その声は怒りに震え、剣の軌道に狂気の熱が込められる。
「赦すものか……。赦されるものであるはずがない!」
九朗の爪が容赦なく突き出される。それを青髭は悉くいなしながらも、なお激昂を止める気配はなかった。
何に憤っているのか、挑発した赤ずきんですら見当がつかない。だが、青髭の剣の軌跡に、ほんのわずかに乱れが生じていた。赤ずきんはそれを見逃さなかった。
「
鋭く声が響く。声を理解したのか、黒い獣のような九朗は青髭の目の前からすぐに飛び退いた。その瞬間、赤ずきんの手に
しかし、その銃弾はまたしても青髭には届かなかった。まるで何かに弾かれるように、弾丸は奇妙な軌道を描き、あらぬ方向へと飛んでいく。赤ずきんは苛立ちと共に歯を鳴らした。
「ちっ……数撃ちゃ当たるってわけでもねぇのか」
赤ずきんは舌打ちし、弾丸が奇妙に逸れる様子を睨みつけた。
「何なんだ……。
だが、青髭はその言葉を聞くなり、まるでそれを楽しむように赤ずきんへ視線を向ける。唇の端がねじれ、歪んだ笑みが浮かぶ。
「知りたいかね?」
その声には、不気味な余裕が満ちていた。
「なれば、見せてやるとしようか!」
青髭が静かに両手を広げる。次の瞬間、白い靄のようなものが青髭の周囲を包み込んだ。辺りに冷たい冷気が漂い始める。鋭く肌を刺す、尋常ではない寒さ。それはただの霧ではなかった。
白い靄は徐々に集合し、やがて輪郭を持ち始める。人のような形へ……。その姿がはっきりと見えたとき、赤ずきんは息を止めた。
ドレスをまとった女性たちの薄く白い霊体。一人ではない。三人の女性が、そこにいた。悲痛に歪んだ表情。沈痛な瞳。まるで死の淵から嘆くかのように、彼女たちはそこに漂っていた。
「
赤ずきんが、怒気を込めて呟く。だが、違う。
彼女は幽霊たちを凝視し、その瞬間何かに気付いた。そして、赤ずきんの表情は激しく歪む。
「てめぇ……!」
赤ずきんは銃を強く握りしめ、憤怒の色を露わにする。
「自分で殺した女を使役してやがるのか!
その言葉が戦場に響く。青髭の周囲に漂う霊体……それは彼が妻として娶り、そして無残に惨殺した女の霊だった。
「ふははははははは!」
青髭の笑いが響き渡る。その声には、陶酔と狂気が入り混じっていた。
「使役とは言葉が悪いな、
彼は両腕を広げ、自らの足元に漂う霊たちを見下ろした。その表情には歪んだ歓喜の色が滲んでいる。
「これは愛なのだよ! 愛しているからこその行為なのだよ!」
霊たちは黙したまま何も喋らない。その虚ろな瞳は、青髭の言葉を肯定することも否定することもなく、ただ冷たい存在としてそこに浮かんでいた。
赤ずきんの目が細まり、口元が歪む。銃を握る手に一層の力が込められる。
「てめぇのそれは愛なんかじゃねぇ!」
彼女の声が鋭く戦場に突き刺さる。
「ただ都合よく利用してるだけだ!」
沈黙。青髭は微笑を崩さず、ゆっくりと霊たちへ視線を落とした。
「利用? ……いいや、違うな」
彼は口元を歪ませながら、愉悦に満ちた囁きを漏らした。
「彼女たちは私を拒むことはできない。彼女たちの存在は私によって定められた……それが愛なのだよ!」
赤ずきんの目がさらに険しくなる。その手が僅かに震えていた。
「ならばその愛、私が束縛させてもらおうか!」
それまで事態を静観していたエーミールの声が戦場に響いた。その瞬間、彼の前方に刻まれた魔法陣が妖しく光を放つ。
黒い触手が何本も生まれる。ぬるりと空間を裂き、異形の腕のように蠢くそれは、霊体へと勢いよく向かっていく。
青髭の周囲に漂っていた三人の女性の霊体。その虚ろな瞳が触手の影を映した刹那、彼女たちの身体が激しく震えた。逃げる術などない。黒い魔力の拘束が瞬く間に霊体を捕え、その細い腕や肩に絡みつく。霊体は声こそ発さない。だが、表情には苦悶の色が濃く滲んでいた。
「な、なんだと? 貴様……!」
青髭が声を荒げる。彼の瞳が激しく揺れ、剣を握る手に微かな力の乱れが生じる。霊体が拘束されることそれは、彼の異常な愛が否定されることを意味していた。
エーミールは冷淡な瞳で青髭を見据え、静かに言葉を紡ぐ。
「姿が視えないならいざ知らず、視える
「やるじゃねぇか、
赤ずきんが嘲るように叫び、すかさず両手の
だが、その刹那。
「ぐふぅ……ふはははははは!」
青髭の狂笑が響く。
銃痕が刻まれたはずの肉が、瞬く間に蠢き始めた。開いた傷口が、まるで生き物のように蠢きながら閉じていく。弾丸は確かに刺さった。確かに破壊したはずの肉体。だが、それがみるみるうちに修復されていく。
「手緩いな、
青髭は血を啜るように笑い、胸を広げる。
「……再生能力? 馬鹿なッ!」
驚愕するエーミールを横目に、青髭は嘲笑の色を濃くしながら剣を掲げた。
「ふははははは! それで終いかね!」
不死なる者の狂気が響く、血と鉄の交錯する戦場で、悪鬼がなおも立ちはだかる。
「手緩い! 手緩いぞ!」
「じゃあ、これはどうかしら?」
その声が響いた瞬間、戦場に新たな動きが生まれた。ヘンゼルが起こしたのが間に合ったのだろう。気絶していたはずのグレーテルが、赤ずきんの隣まで駆け寄ると、迷いなく片手を掲げた。その手には紅蓮の炎が灯る。眩い火焔は蠢きながら形を成し、激しく揺らめく。刹那、青髭へと飛びかかるように解き放たれた。
轟音。炎が爆ぜる。
「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
その瞬間、青髭の全身を紅蓮の光が包み込んだ。燃え盛る焔が戦場を染める。苦悶の叫び声が響き、青髭の姿がその炎の奥へと消えていく。
だが……。
炎の壁の向こうから、狂気じみた笑い声が漏れた。
「ふ……ははは! はっーはははは! まだだ!」
次の瞬間、燃え盛る業火が裂けた。青髭の剣が輝き、纏っていた炎を切り払いながら、その刃が赤く染まっていく。焦げるはずの衣も、焼け落ちるはずの肌も、なお完全な姿を保っていた。
堂々とその場にそそり立つ青髭。その目には、恐怖ではなく、なお勝利を確信した余裕が滲んでいた。
「この程度の炎では我は死なぬわ! ふははははは!」
だがその瞬間、赤ずきんは気付いた。この男の肉体は、単なる不死ではない。狂気の笑みの裏に宿るもの、それは物語の力そのものだ。
「……なるほどな」
赤ずきんは低く呟く。
「あたしもあまり人の事は言えねぇが、
青髭はゆっくりと息を吸い、愉悦に満ちた笑みを浮かべる。
「我が身に刻まれた傷は、物語によって塗り替えられる!」
青髭は堂々と剣を掲げ、その刃が狂気の輝きを帯びる。
「死ぬはずの身体は蘇る! それが
赤ずきんは舌打ちをし、血の匂いが漂う戦場を睨みつけた。
青髭がなおも笑う。狂気じみた不死の嗤い。銃弾を受けても、炎に包まれても、それでもなお立ち続ける怪物。
だが、赤ずきんの足取りは迷いなかった。彼女は黒き獣と化した九朗へと歩み寄る。
「まだ意識があるか、
黒いオーラを慈しむかのように撫でるが、その声には、いつもの皮肉も冷笑もなかった。ただ、ひたすらに鋭く真剣な響き。
「思い描け……」
彼女は銃を強く握り、青髭へと冷たい視線を向ける。
「あいつを殺せる武器はひとつしかねぇ」
刹那、九朗の瞳がかすかに揺れる。赤ずきんはその微細な変化を逃さず、口角をわずかに持ち上げた。
「なぜあたしが強いのか教えてやる」
銃を指でなぞるように、彼女は言葉を紡ぐ。
「それは銃を使えるからだ。それも、ただの猟銃じゃねぇ。ありとあらゆる銃器を使えるからだ」
その瞬間、九朗の瞳がさらに僅かに開いたような気がした。
「銃は科学だ」
その言葉は、炎よりも鋭く響いた。
「
科学は幻想ではない。魔術ではない。確かな破壊の力、それが銃器の本質だった。赤ずきんは口角をさらに上げ、冷笑を浮かべる。
「魔術の炎がダメなら……」
彼女は銃を構え、鋭く息を吸い込む。
「科学の炎だ!」