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第28話 Herzog Blaubart -sechs-

「その英雄を断罪したのは、他ならぬ貴様ら恩知らずな豚共ではないか!」


 青髭の咆哮が戦場に響いた。その声は怒りに震え、剣の軌道に狂気の熱が込められる。


「赦すものか……。赦されるものであるはずがない!」


 九朗の爪が容赦なく突き出される。それを青髭は悉くいなしながらも、なお激昂を止める気配はなかった。

 何に憤っているのか、挑発した赤ずきんですら見当がつかない。だが、青髭の剣の軌跡に、ほんのわずかに乱れが生じていた。赤ずきんはそれを見逃さなかった。


所有者マスター、退け!」


 鋭く声が響く。声を理解したのか、黒い獣のような九朗は青髭の目の前からすぐに飛び退いた。その瞬間、赤ずきんの手に短機関銃サブマシンガンが形を成す。連続射撃フルオートで弾丸が次々と吐き出され、戦場に閃光が走る。

 しかし、その銃弾はまたしても青髭には届かなかった。まるで何かに弾かれるように、弾丸は奇妙な軌道を描き、あらぬ方向へと飛んでいく。赤ずきんは苛立ちと共に歯を鳴らした。


「ちっ……数撃ちゃ当たるってわけでもねぇのか」


 赤ずきんは舌打ちし、弾丸が奇妙に逸れる様子を睨みつけた。


「何なんだ……。青髭公爵ヘルツォーク・ブラウバルツに弾避けの加護なんて聞いたことねぇぞ」


 だが、青髭はその言葉を聞くなり、まるでそれを楽しむように赤ずきんへ視線を向ける。唇の端がねじれ、歪んだ笑みが浮かぶ。


「知りたいかね?」


 その声には、不気味な余裕が満ちていた。


「なれば、見せてやるとしようか!」


 青髭が静かに両手を広げる。次の瞬間、白い靄のようなものが青髭の周囲を包み込んだ。辺りに冷たい冷気が漂い始める。鋭く肌を刺す、尋常ではない寒さ。それはただの霧ではなかった。

 白い靄は徐々に集合し、やがて輪郭を持ち始める。人のような形へ……。その姿がはっきりと見えたとき、赤ずきんは息を止めた。

 ドレスをまとった女性たちの薄く白い霊体。一人ではない。三人の女性が、そこにいた。悲痛に歪んだ表情。沈痛な瞳。まるで死の淵から嘆くかのように、彼女たちはそこに漂っていた。


泣き女バンシーか!」


 赤ずきんが、怒気を込めて呟く。だが、違う。


 彼女は幽霊たちを凝視し、その瞬間何かに気付いた。そして、赤ずきんの表情は激しく歪む。


「てめぇ……!」


 赤ずきんは銃を強く握りしめ、憤怒の色を露わにする。


「自分で殺した女を使役してやがるのか! クソ野郎フィックト・オイヒが!」


 その言葉が戦場に響く。青髭の周囲に漂う霊体……それは彼が妻として娶り、そして無残に惨殺した女の霊だった。


「ふははははははは!」


 青髭の笑いが響き渡る。その声には、陶酔と狂気が入り混じっていた。


「使役とは言葉が悪いな、赤ずきんロートケップヒェン!」


 彼は両腕を広げ、自らの足元に漂う霊たちを見下ろした。その表情には歪んだ歓喜の色が滲んでいる。


「これは愛なのだよ! 愛しているからこその行為なのだよ!」


 霊たちは黙したまま何も喋らない。その虚ろな瞳は、青髭の言葉を肯定することも否定することもなく、ただ冷たい存在としてそこに浮かんでいた。


 赤ずきんの目が細まり、口元が歪む。銃を握る手に一層の力が込められる。


「てめぇのそれは愛なんかじゃねぇ!」


 彼女の声が鋭く戦場に突き刺さる。


「ただ都合よく利用してるだけだ!」


 沈黙。青髭は微笑を崩さず、ゆっくりと霊たちへ視線を落とした。


「利用? ……いいや、違うな」


 彼は口元を歪ませながら、愉悦に満ちた囁きを漏らした。


「彼女たちは私を拒むことはできない。彼女たちの存在は私によって定められた……それが愛なのだよ!」


 赤ずきんの目がさらに険しくなる。その手が僅かに震えていた。


「ならばその愛、私が束縛させてもらおうか!」


 それまで事態を静観していたエーミールの声が戦場に響いた。その瞬間、彼の前方に刻まれた魔法陣が妖しく光を放つ。

 黒い触手が何本も生まれる。ぬるりと空間を裂き、異形の腕のように蠢くそれは、霊体へと勢いよく向かっていく。


 青髭の周囲に漂っていた三人の女性の霊体。その虚ろな瞳が触手の影を映した刹那、彼女たちの身体が激しく震えた。逃げる術などない。黒い魔力の拘束が瞬く間に霊体を捕え、その細い腕や肩に絡みつく。霊体は声こそ発さない。だが、表情には苦悶の色が濃く滲んでいた。


「な、なんだと? 貴様……!」


 青髭が声を荒げる。彼の瞳が激しく揺れ、剣を握る手に微かな力の乱れが生じる。霊体が拘束されることそれは、彼の異常な愛が否定されることを意味していた。


 エーミールは冷淡な瞳で青髭を見据え、静かに言葉を紡ぐ。


「姿が視えないならいざ知らず、視える幽霊ガイスト如きに遅れを取りはせんよ」

「やるじゃねぇか、クソ野郎ルートヴィヒ!」


 赤ずきんが嘲るように叫び、すかさず両手の短機関銃サブマシンガンを構えた。引き金を絞る。連続射撃フルオート。暴力の旋律が響き渡り、弾丸の嵐が戦場に降り注ぐ。今度は霊体の妨害もなく、全ての弾丸が寸分の狂いもなく青髭へと向かっていった。

 凶弾だんがんが次々とその身体を貫く。肉を裂き、骨を砕き、鮮血が狂ったように飛び散る。血飛沫が赤ずきんの頬をかすめる、それは確かな手応えの証明だった。


 だが、その刹那。


「ぐふぅ……ふはははははは!」


 青髭の狂笑が響く。


 銃痕が刻まれたはずの肉が、瞬く間に蠢き始めた。開いた傷口が、まるで生き物のように蠢きながら閉じていく。弾丸は確かに刺さった。確かに破壊したはずの肉体。だが、それがみるみるうちに修復されていく。


「手緩いな、赤ずきんロートケップヒェン!」


 青髭は血を啜るように笑い、胸を広げる。


「……再生能力? 馬鹿なッ!」


 驚愕するエーミールを横目に、青髭は嘲笑の色を濃くしながら剣を掲げた。


「ふははははは! それで終いかね!」


 不死なる者の狂気が響く、血と鉄の交錯する戦場で、悪鬼がなおも立ちはだかる。


「手緩い! 手緩いぞ!」

「じゃあ、これはどうかしら?」


 その声が響いた瞬間、戦場に新たな動きが生まれた。ヘンゼルが起こしたのが間に合ったのだろう。気絶していたはずのグレーテルが、赤ずきんの隣まで駆け寄ると、迷いなく片手を掲げた。その手には紅蓮の炎が灯る。眩い火焔は蠢きながら形を成し、激しく揺らめく。刹那、青髭へと飛びかかるように解き放たれた。


 轟音。炎が爆ぜる。


「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 その瞬間、青髭の全身を紅蓮の光が包み込んだ。燃え盛る焔が戦場を染める。苦悶の叫び声が響き、青髭の姿がその炎の奥へと消えていく。


 だが……。


 炎の壁の向こうから、狂気じみた笑い声が漏れた。


「ふ……ははは! はっーはははは! まだだ!」


 次の瞬間、燃え盛る業火が裂けた。青髭の剣が輝き、纏っていた炎を切り払いながら、その刃が赤く染まっていく。焦げるはずの衣も、焼け落ちるはずの肌も、なお完全な姿を保っていた。

 堂々とその場にそそり立つ青髭。その目には、恐怖ではなく、なお勝利を確信した余裕が滲んでいた。


「この程度の炎では我は死なぬわ! ふははははは!」


 だがその瞬間、赤ずきんは気付いた。この男の肉体は、単なる不死ではない。狂気の笑みの裏に宿るもの、それは物語の力そのものだ。フィッチャーの小鳥フィッチャース・フォーゲルの主人公となる三番目の妻……。一番目と二番目はその女の姉であり、既にバラバラとなり殺害されている。だが殺されていたにも関わらず、奇跡的に元通りになったことからの不死性。どんな傷を負っても元通りに戻るという物語の解釈。


「……なるほどな」


 赤ずきんは低く呟く。


「あたしもあまり人の事は言えねぇが、拡大解釈ルール違反がひでぇ野郎だな!」


 青髭はゆっくりと息を吸い、愉悦に満ちた笑みを浮かべる。


「我が身に刻まれた傷は、物語によって塗り替えられる!」


 青髭は堂々と剣を掲げ、その刃が狂気の輝きを帯びる。


「死ぬはずの身体は蘇る! それが童話メルヒェンの力よ!」


 赤ずきんは舌打ちをし、血の匂いが漂う戦場を睨みつけた。


 青髭がなおも笑う。狂気じみた不死の嗤い。銃弾を受けても、炎に包まれても、それでもなお立ち続ける怪物。


 だが、赤ずきんの足取りは迷いなかった。彼女は黒き獣と化した九朗へと歩み寄る。


「まだ意識があるか、所有者マスター?」


 黒いオーラを慈しむかのように撫でるが、その声には、いつもの皮肉も冷笑もなかった。ただ、ひたすらに鋭く真剣な響き。


「思い描け……」


 彼女は銃を強く握り、青髭へと冷たい視線を向ける。


「あいつを殺せる武器はひとつしかねぇ」


 刹那、九朗の瞳がかすかに揺れる。赤ずきんはその微細な変化を逃さず、口角をわずかに持ち上げた。


「なぜあたしが強いのか教えてやる」


 銃を指でなぞるように、彼女は言葉を紡ぐ。


「それは銃を使えるからだ。それも、ただの猟銃じゃねぇ。ありとあらゆる銃器を使えるからだ」


 その瞬間、九朗の瞳がさらに僅かに開いたような気がした。


「銃は科学だ」


 その言葉は、炎よりも鋭く響いた。


童話メルヒェンのような魔術的空想の産物には、科学的な現実の産物がよく効く」


 科学は幻想ではない。魔術ではない。確かな破壊の力、それが銃器の本質だった。赤ずきんは口角をさらに上げ、冷笑を浮かべる。


「魔術の炎がダメなら……」


 彼女は銃を構え、鋭く息を吸い込む。


「科学の炎だ!」


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