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第27話 Herzog Blaubart -fünf-

 依然としてヘンゼルは青髭との激しい剣戟を繰り広げていた。互いに譲らず、武器えものが切り結ばれるたび、鋼の衝撃音が響き小さな火花が散る。だが、次第にヘンゼルは押され始めていた。戦闘を生業にしてきた青髭との技術の差。その残酷な現実が、剣の軌跡に如実に表れていく。

 じわじわと削られ、徐々にその動きに余裕がなくなるヘンゼル。このままでは殺されるやられる……そう確信した、その瞬間。


 銃声。


 辺りに重く響き渡る、一発の銃弾の音。


 それは青髭の体を掠りもしなかった。だが、その鋭い音が注意を逸らすには十分だった。

 ヘンゼルはすかさず後ろへと飛び退き、間合いを取る。息を整える間もなく、影のような存在が彼の横を通り抜けた。黒いオーラを纏った異形の狼。


 その姿が青髭の視界に飛び込んだ瞬間、彼の瞳に微かな戦慄が走った。無意識のうちに、剣を握る手に力がこもる。


 鋭い爪と化した黒いオーラを纏った右手が、一閃。青髭へと突き出される。慌てて剣を振るい迎え撃つが、その一撃は重い。衝撃が全身に走り、剣を握る腕に軋むような痛みが走る。それまで余裕の笑みを浮かべていた青髭の顔から、笑みが消える。


「ぐぬぅ……。なるほど……」


 青髭は歯を食いしばり、剣を握る手にさらに力を込めた。


「汝が赤ずきんロートケップヒェンの真の力というわけか……!」


 低く唸りながら、青髭は九朗の姿を注視する。黒いオーラを纏ったその異形。これが、禁断の魔導書ロスト・グリモワールたる由縁の力。赤ずきんの切り札。以前戦った時の赤ずきんには行使することのできなかった本来の力。まるで悪夢のごときその姿に、彼はほんの僅かに息を詰めた。


「確かに、これは難儀だな……!」


 その言葉に余裕の色はなかった。青髭は大きく力を込め、九朗の腕を剥ぎ取るように振り払った。が、九朗は一瞬の隙も与えない。瞬時に距離を詰め、再び爪と剣が激しくぶつかり合う。

 衝撃が広間に響き渡り、青髭の足元にわずかな亀裂が走る。これまでの剣戟とは違う。咆哮する獣の爪そのものが彼を襲っていた。それまで優位を保って慢心していた青髭の顔に、わずかに険しさが滲む。


 ヘンゼルはただ、その光景を見つめるしかなかった。


 九朗と青髭の激突。異形の狼と化した九朗の猛攻が、戦場の空気を一変させていた。


「おい、ヘンゼルクソガキ。生きてるか?」


 唐突な声が、ヘンゼルの意識を引き戻す。気づけば、ヘンゼルの隣には同じ背丈ほどの金髪の少女が立っていた。赤いフードを被り、横柄な態度を崩さぬまま、片手には銃を握りしめている。


「……赤ずきんロートケップヒェンお父さんマスターに何をした」


 ヘンゼルの声は低く、しかし鋭く響いた。その眼光は、今にも相手を射殺しかねないほどの殺気を孕んでいた。

 赤ずきんがほんの一瞬、口角を持ち上げる。


「おいおい、そう睨むな双子ツヴィリング


 軽く笑うような口調で、彼女は銃口を弄ぶように指を滑らせる。


「あれがあたしらの所有者マスターの本当の姿だよ」


 視線を戦場へと向ける。今まさに獣となった九朗が黒いオーラを纏い、異形の狼として蠢いている。


童話メルヒェンの最大の敵、ヴォルフ。見ろよ、あの狂気染みた表情」


 その目は焦点を交えず、理性の痕跡を完全に失っていた。獣のような息遣い、歪んだ笑み、口からは涎が零れ落ちる。確かに、これはもう人間ではなかった。


「ぞくぞくしてきやがる。最高のおとこだよ、まったく」


 赤ずきんが邪悪な笑みを浮かべる。その笑顔に、ヘンゼルはわずかに戦慄する。


 ……狂っている。


 ヘンゼルは自分が決してまともな人間だとは思っていなかった。だが、目の前の赤ずきんは、それをはるかに超えている。この女は、生まれついての狂気を持っている。そう本能的に理解せざるを得なかった。


「んで、グレーテルメスガキはどうした? 死んだのか?」


 彼は無言のまま、先程まで赤ずきんたちがいた方向へと指を伸ばす。そこには、静かに横たわるグレーテルの姿があった。

 赤ずきんはその光景を一瞥すると、舌打ちを一つ。


「ちっ……。んだよ、居たのかよ」


 ふてぶてしく呟く。


「さっさとくたばってりゃいいものを……」


 その言葉が発せられた瞬間、空気が張り詰めた。ヘンゼルの視線が鋭く跳ね、赤ずきんを睨みつける。


「……口の悪い赤ずきんだな」


 その声は低く、しかし静かに煮えたぎっていた。


「お前……殺すよ?」


 二人の間に、冷たい沈黙が流れる。ヘンゼルの目には確かな怒りが燃えていた。だが、赤ずきんはそんな視線を受けても微塵も気にする様子はない。彼女はただ、興味なさげに肩をすくめるだけだった。


「てめぇらと仲良くするつもりはさらさらねぇよ」


 赤ずきんは乱暴に銃を弄びながら吐き捨てるように言った。


「やれるもんならやってみろや? だが、お前の大事な所有者マスターも敵に回すことになるぜ?」


 その言葉に、ヘンゼルの目が細くなる。


「……お前嫌い」


 短い言葉に、剣戟よりも鋭い棘が込められていた。だが、赤ずきんはその敵意を楽しむように笑う。


「それで結構!」


 彼女は唇を歪め、ヘンゼルを指さした。


「てめぇはさっさとグレーテルメスガキを起こしに行け。この青髭公爵ヘルツォーク・ブラウバルツフィッチャーの小鳥フィッチャース・フォーゲルを喰ってやがる。そして、こいつはフィッチャーの小鳥フィッチャース・フォーゲル魔術師マギアでもありやがる。最期の結末は知ってるな?」


 ヘンゼルの眉がピクリと動く。


魔術師マギアは炎に巻かれて死んだんだ」


 赤ずきんはゆっくりと、冷たく告げた。


「奴も本能的に炎を恐れるはずだ!」


 その瞬間、ヘンゼルの胸に電流のような衝撃が走った。はっと目を見開き、赤ずきんを凝視する。


「だから姉さんマルガレーテを最初に……?」


 状況が線となって繋がる。グレーテルは炎の魔法を使う。だから、その炎を恐れ最初に戦闘から除外をしたかったのではないか。


「……わかった、起こしてくるよ」


 ヘンゼルは躊躇なくグレーテルの元へ駆け出した。だが、走る足の裏には奇妙な寒気がまとわりついていた。赤ずきん……こいつには、危険以上の恐ろしい何かが潜んでいる。そう感じざるを得なかった。


 ヘンゼルを見送った赤ずきんは、すぐに戦場へ意識を戻すと、青髭と対峙する九朗の援護射撃を開始した。銃口から放たれる閃光……眩い発火炎マズルフラッシュが瞬くたび、辺りが一瞬照らし出される。


 だが、奇妙なことに、その銃弾は一発たりとも青髭公爵に届くことはなかった。


 ……軌道が歪む。


 まるで見えない手が弾丸の進路を捻じ曲げるかのように、赤ずきんの射撃はことごとく外れていく。赤ずきんは舌打ちした。


 ……弾かれている。


 青髭が何かしらの干渉を行っているのか、それともこの空間そのものが歪められているのか。援護は通じない。


 その間にも、黒い狼と化した九朗は苦戦を強いられていた。彼の身体は荒々しい動きで飛びかい、爪を振るう。しかし、青髭は未だ戦技で九朗を圧倒していた。剣の動きは鮮やかで無駄がない。巧みに刃を翻し、九朗の鋭い爪を薙ぎ払い、隙あらば鋭い一閃を浴びせていく。九朗は狼化していることで、細かな戦術を考えることはできなかった。ほとんどが力任せ……本能のままに襲いかかるだけ。だが、それは青髭にとっては容易く対処できる戦法だった。九朗の動きが鈍るたび、深紅の血が黒いオーラを汚し、傷痕が刻まれていく。


「ふむ……」


 青髭は剣を軽く回しながら、九朗の獣じみた動きを見据えた。口元にはまだ余裕がある。


「驚きはしたが、所詮はやはり獣か」


 まるで舞踏会でステップを踏むかのように、彼は優雅に身を滑らせながら九朗の攻撃を躱した。


「我が恐れるのは洗練された策略と計算された攻撃だけだ」


 刃先をわずかに傾け、戦況を見定めるように目を細める。それは、熟練した剣士の余裕そのものだった。


「残念なことに、我はドイツ人ボッシュ共とは違うのでな。ヴォルフが天敵ではないのだよ!」


 淡々としたその言葉には、余裕と優位性がまた舞い戻っていた。青髭の作品のルーツは諸説あるものの、その原典はいずれもフランス。そのためか、青髭自身はフランス人として描かれることが多い。童話メルヒェンとしての狼を恐れることはあっても、人種的な恐怖は微塵も感じていなかった。


 だが、それが赤ずきんの癇に障った。


「けっ……。フランス野郎フロッシュシェンケルが」


 彼女は銃口を軽く傾けながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「戦場の経験は誰よりもあるんだろうよ。でもよ……」


 その瞳が鋭く輝く。


「それが何の役に立った? お貴族様よ、お前は結局『英雄』になれたのか?」


 その瞬間、青髭の目がわずかにぴくりと動く。赤ずきんはそれを見逃さない。


「そういや、英雄と悪党は紙一重って言うよな」


 銃口を青髭に向け、薄く嘲笑う。


「お前はどっちだ? ただの化け物か? それとも英雄気取りの殺戮者か?」

「悪党か、だと? それならば、お前たちも同じだろう。殺戮を重ねた血に飢えた狼。その違いはどこにある?」


 赤ずきんは青髭の言葉を聞くなり、肩を揺らして笑った。


「はっ……何言ってんだ、お貴族様」


 愉快そうに、青髭へと侮蔑の眼差しを送る。


「違い? ……あるだろうが」


 視線を戦場へ向ける。黒い狼と化した九朗。獣のように唸るその姿が、まるで答えを体現しているかのようだった。


「英雄か悪党か、てめぇはどっちだっつったよな」


 彼女の笑みがさらに歪む。


「そりゃあ簡単さ。お前は、英雄に『なれなかったヤツ』だよ」


 その言葉に、青髭の表情が変わる。触れられたくない個所を触れられたような驚愕の表情へと。


「なれなかった者の末路は決まってんだよ。ただの化け物だ」


 赤ずきんは銃を握る手に力を込め、鋭く言い放つ。


「違いはそこだ。てめぇは、とうの昔に道を踏み外した」


 その瞬間、青髭の剣先がわずかに揺れる。赤ずきんはそれを見逃さず、さらに言葉を重ねる。


「だからよ、てめぇは狼の餌になるんだよ!」


 銃声が響く。


 それに合わせるように、九朗が獣の如く吠え、青髭へと猛然と飛びかかった。


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