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第26話 Herzog Blaubart -vier-

「……キミたち、乳繰り合って取り込み中のところ悪いんだがね。そろそろ加勢してもらえないかね?」


 茶番劇に辟易したのか、エーミールが二人に向かって呆れたように苦言を呈した。

 その声に、赤ずきんは嫌悪を隠そうともせず、まるで害虫でも見るような表情でエーミールを睨む。


「……けっ。空気読めねぇやつだな。しゃあねぇな……」


 舌打ちしながら、赤ずきんは九朗へと視線を向ける。


所有者マスター! 帰ったら覚悟しとけよ? んで、敵は何なんだ?」


 そう宣言すると、ようやくエーミールが対峙している敵の方へと目を向けた。未だ、青髭とヘンゼルが激しい攻防を繰り返していた。互いに譲らぬ一進一退の戦いが続いている。


「ああん? おい、所有者マスター!」


 赤ずきんが声を荒げる。その瞳には怒りと困惑が入り混じり、九朗を鋭く睨みつける。


「なんであのヘンゼルクソガキがいやがんだよ! てめぇ……浮気しやがったな!」


 次の瞬間、彼女は躊躇なく九朗の胸ぐらを掴んだ。先ほどまでの空気とは一変し、勢いよく詰め寄る。

 しかし、九朗もすぐに言い返す。


「しかたがなかったんだよ! キミを探すには、彼らと契約するしかなかったんだ!」


 九朗の言葉は真剣だった。彼の声には必死さが滲んでいた。赤ずきんはその言葉を聞き、しばらく九朗を睨みつけていた。しかし、特に『自分のため』と言われては、強く責めるわけにもいかない。

 舌打ちひとつ。彼女は不機嫌そうに胸ぐらを離し、ふてくされたように腕を組む。


「……けっ。まあ、そう言われたら文句は言えねぇけどよ」


 それでも納得がいかないのか、視線をそらしながら不満げにぼやく。


「ちっ……。んで、敵は……」


 赤ずきんは険しい表情を浮かべ、辺りを見渡す。


フィッチャーの小鳥フィッチャース・フォーゲルじゃねぇよな? なんだありゃ……」


 目を細め、じっと敵を観察する。そして、その瞳に確信が宿る。


「……あれは……青髭公爵ヘルツォーク・ブラウバルツか?」


 誰に教えられるでもなく、赤ずきんは瞬時に解答へと辿り着いた。その観察眼と知識の鋭さに、九朗は改めて感心する。


 赤ずきんはじっくりと敵の様子を見極めると、盛大な舌打ちをし、忌々しげに悪態をついた。


「あたしとしたことが……。そういうことか。フィッチャーの小鳥フィッチャース・フォーゲルを喰いやがったな、あいつ……」


 唇を噛み、怒りを押し殺すように息を吐く。


「おい、クソ野郎ルートヴィヒ! 原典が一緒なら、別の話の改訂版アナザーを喰っても、その能力は使えんのか?」


 その問いに、エーミールは余裕のある口調で答える。


「おそらくは。青髭公爵ヘルツォーク・ブラウバルツだからこそできる芸当だろう」


 グリムの魔導書グリム・グリモワールは、数多くの魔導書グリモワールによって構成されている。

 ひとつの童話メルヒェンに対して、ひとつの魔導書グリモワールが存在するとは限らない。例えば『赤ずきん』だけでも、初版オリジナルである九朗の赤ずきんのほかに、改訂版アナザーの赤ずきんが存在する。


 九朗の赤ずきんは、物語の性質上『鋏で狼の腹を裂く』シーンを持たない。しかし、彼女は『狼の腹を裂いた鋏』である『裁鋏・愚かな私の罪シュナイデ・シェーレ』を使用する。それは元々、改訂版アナザーの赤ずきんの物語にのみ登場するものである。


 では、初版オリジナルの赤ずきんが、それを使用するためにはどうすればいいか?


 答えは簡単だ。


 喰えばいい。


 『同作品』を吸収することで、その物語に紐づく能力は継承される。先程の鋏は、初版オリジナルの赤ずきんが改訂版アナザーの赤ずきんを喰らった結果、得た能力だ。しかし、本来の持ち物ではないため、使用する際には詠唱めいた呼び出しが必要となる。


 ただし、この継承が可能なのは『同作品』の場合のみ。『別作品』を喰らっても、能力の向上は図られるが、その物語の能力を直接受け継ぐことはできない。例えば、赤ずきんが『シンデレラ』を喰ったとしても、彼女が灰を出すことはできない。


 だが、例外がある。それが『派生作品』だ。


 ひとつの童話メルヒェンから派生し、新たな童話メルヒェンへと変化した作品。登場人物が異なっていても、物語の核が共通している場合、この継承が成立する。


 この条件に該当するのが、『フィッチャーの小鳥』、『人殺し城』、『青髭公爵』。いずれも『青髭公爵』を原典とする『派生作品』である。故に、『青髭公爵』が『フィッチャーの小鳥』を喰った場合、その能力を継承し、使用することが許諾されるのだ。


「……ちっ。あたしがあいつをグリム兄ヤーコプと誤認したのは、フィッチャーの小鳥フィッチャース・フォーゲルの変身能力か……」


 赤ずきんは舌打ちしながら低く呟く。その目には、危険を察知した鋭い光が宿っていた。


「だとすると……分が悪いな……」


 その様子を見た九朗は、眉をひそめながら問いかける。


「何か問題があるのか、赤ずきん?」


 赤ずきんは苦々しい表情を浮かべ、戦場をじっと睨みつける。


フィッチャーの小鳥フィッチャース・フォーゲルに出てくる魔術師マギアは、女殺しレディ・キラーなんだよ」


 その言葉には、嫌悪と警戒が滲んでいた。


「話の中に触れただけで女を気絶させる能力が出てきやがる。あたしや双子ツヴィリンググレーテルメスガキにとっては、相手が悪すぎる。接近戦ではすぐに気絶させられる」


 赤ずきんは奥歯を噛みしめるようにしながら、険しい表情を浮かべた。


「だが、その『フィッチャーの小鳥』に出てくる魔術師は敵側ヴィランじゃないのか? まさか敵側ヴィランの能力も吸収できるのか?」


 九朗の疑問に、エーミールが筆を止めることなく答える。


「いや、そこは少し複雑なんだ」


 彼の声には、ほんのわずかに焦りが滲んでいた。


フィッチャーの小鳥フィッチャース・フォーゲルの場合、三番目の妻となった女が主人公しゅやくで、魔術師が敵側ヴィランだ。だが、青髭公爵ヘルツォーク・ブラウバルツの物語では、立場が逆転している」


 エーミールは魔法陣を描きながら、冷静に続ける。


青髭公爵ヘルツォーク・ブラウバルツ主人公しゅやくで、妻となった女とその兄弟の騎士たちが敵側ヴィランなんだ。おそらく、その構造の違いが混線を引き起こしているのではないかと思っている」


 どことなく疑惑めいた感情がエーミールから見え隠れしていた。


「正直、私もこんな事象に遭遇するのは初めてだ」


 その言葉に、九朗は眉をひそめる。エーミールの表情には、微かに焦りが浮かんでいる。本来起こるはずのない現象が目の前で展開されているのだと、九朗もひしひしと感じていた。


「何にしろ、このままじゃあたしは突っ込めねぇ……。精々、ヘンゼルクソガキの援護ぐらいしかできねぇ。まぁ、手がないわけじゃないんだが……」


 そう言いながら、ちらりと九朗の方へと視線を向ける。九朗は、それを合図だと理解した。

 赤ずきんが前衛に立てないなら、自分が立てばいい。幸い、赤ずきんの意識は戻っている。彼女が居るならしっかり手綱を握ってくれるはずだ。


「……わかっている、赤ずきん」


 九朗は迷いを振り払い、静かに告げる。


「僕を狼にしてくれ」


 その言葉に、赤ずきんの瞳が揺れた。赤ずきんは、一瞬、手を伸ばしかける。しかし、すぐに指先をぎゅっと握りしめた。そして、静かに呟いた。


「……それは断る」


 彼女は唇を噛み、九朗から目を逸らす。その瞳には、言葉にはできない感情が揺れていた。まるで、自分自身を罰するかのように。


「お前をこれ以上苦しめるつもりはない。苦しむのはあたしらだけで十分だ」


 赤ずきんの言葉は、堅い決意のようでありながらも、どこか震えていた。たとえ、それがグリムの呪いではないとわかったとしても、結局のところ、九朗に苦しみを強いることに変わりはない。そして、その姿を見ることは、赤ずきん自身にとっても耐え難いことだった。


 しかし、九朗は揺るがない。


「確かに怖いし、苦しいよ。それは否定しない。けれども、今僕が戦わなければ、キミを救うことができない」


 九朗は、まっすぐ赤ずきんを見つめる。


「すべてはキミのためだ。僕の敵をキミが赦さないように……キミの敵は僕が排除する」


 九朗は拳を握りしめながら続ける。


「……正直、僕は愛されることが何なのか、よくわからない。でも、キミのことを大切に思っているのは確かなんだ。それが愛なのかどうかは……わからなくても、僕はキミを守りたい」


 その言葉に、赤ずきんは息を詰まらせた。小さな胸の奥底が、熱くなるのを感じる。狂おしいほどに溢れる感情。気づけばそのせいか、頬まで熱くなっているのを感じていた。


「はっはっはっ! 愛されているな! 赤ずきんロートケップヒェン!」


 エーミールは、揶揄するように朗々と笑い声を響かせた。その声色には、面白がる気配が滲んでいる。


 それに対し、赤ずきんの表情は瞬時に険しくなった。照れ隠しなのか、それとも本気なのか。彼女は無言で右手を掲げると、淡い光の中から拳銃ハンドガンを形成し、ためらいもなく銃口をエーミールへと向けた。


「うるせえ! ぶち殺すぞ小児性愛症者ロリコンが!」


 赤ずきんの視線がゆっくりと九朗へと向けられる。


「本当にいいんだな、所有者マスター?」


 その声には、どこかためらいが感じられた。しかし、九朗の答えは迷いのないものだった。


「ああ、やってくれ」


 その真剣な表情を見た瞬間、赤ずきんの胸の奥に、奇妙な安心感が広がる。


 赤ずきんは、息を整えるように一度瞳を閉じ、そして、力強く見開く。


「よし、なら応えろ、所有者マスター!」


 深紅の瞳が九朗を鋭く捉えた。



「Warum hast du so große Ohren?《貴方はなんでそんなに大きい耳をしているの?》」


「……お前の敵を一言たりとも聞き逃さないため」


「Warum hast du so große Augen?《貴方はなんでそんなに大きい目をしているの?》」


「……お前の敵を一目たりとも見逃さないため」


 「Warum hast du so große Hände?《貴方はなんでそんなに大きい手をしているの?》」


「……お前の敵を一時たりとも離さないため」


「Warum hast du so eine große Klappe?《貴方はなんでそんなに大きい口をしているの?》」


「……お前の敵をすべて喰らいつくすため!」



 九朗の全身が黒いオーラに包み込まれていく。闇の奔流が彼を覆い、その瞳から光が失われていった。焦点は合わず、荒い息遣いが漏れ、口元から涎が滴り落ちる。


「これが……禁断の魔導書ロスト・グリモワール赤ずきんロートケップヒェンが有する読み手マスター役割ロールなのか……」


 エーミールが呟く。その声には、純粋な驚愕とわずかな恐怖が混じっていた。


「なんと禍々しい……。兄さんたちが危惧するのも頷ける……」


 彼の目の前で、九朗はまるで異形へと変貌していた。すべての恐怖と畏怖を集めたようなその姿はまさしく黒い狼……。


 赤ずきんは九朗とともに、青髭公爵へと向き合っていた。


「愛してるぜ、所有者マスター!」


 赤ずきんの声が響く。


解縛・私の愛した狼さんナーゲル・リング!」


 九朗の身体から、ドス黒いオーラが渦を巻きながら湧き上がる。それを、赤ずきんは愛おしむように指先で撫でた。まるで、何かを狂おしく求めるかのように。


 赤ずきんの瞳が鋭く輝く。


「さあ、狩りの時間だ!」


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