目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第25話 Herzog Blaubart -drei-

 九朗の元へと赤ずきんが運ばれていく。黒い触手は赤ずきんを九朗の傍にゆっくりと静かに安置すると、未だ青髭と交戦中のヘンゼルの元へと滑るように伸びていった。


「赤ずきん! 大丈夫か! しっかりしろ!」


 九朗は抱えていたグレーテルをそっと地面に横たえ、代わりに赤ずきんを抱き上げる。その身体は傷だらけで、血が滲み出し、衣服も所々が擦り切れている。小さな白い肌の顔にも切り傷が走り、痛々しさ感じさせる姿だった。瞳は閉じられたままだが、せめてもの救いは、安らかに眠るように気を失っていることだった。

 何日ぶりにその姿を目にしただろうか。金髪の少女はその小さな身体で、どれほどの戦いを繰り広げてきたのか。九朗は傍にいてやれなかった自分への憤りと、再び出会えたことへのわずかな安堵を胸に抱いていた。


 だが、感傷に浸っている時間はない。


 九朗は赤ずきんの身体を揺らし、その頬をやや強めに叩いた。すると、微かなうめき声が漏れ、瞼がぴくりと反応する。九朗はその変化を見逃さず、さらに強く身体を揺らしながら声を掛けた。


「赤ずきん! しっかりしろ! 僕がわかるか?」


 静かに漏れる吐息と共に、赤ずきんの瞳が薄っすらと開かれる。


「……ん。んっ……ん。……っう、ここは……?」


 赤ずきんは、まだ状況が掴めていない様子で、頭を抑えながらゆっくりと上体を起こし始める。その動きはどこか頼りなく、九朗はすかさず彼女の背中を支えた。


「大丈夫か、赤ずきん」


 ぼーっとした顔で赤ずきんが九朗の顔を覗き込む。


 しばしの静寂。


 そして、はっと何かに気付いたように、その双眸を大きく見開き、慌てたように声を上げた。


「なっ……てめぇなんでここにいやがる!」


 九朗は赤ずきんの反応に一瞬眉をひそめるも、すぐに肩を落とし息を吐く。


「なんでって……。キミが勝手にいなくなるから心配で探しに来たんだろうが!」


 その言葉は普段よりも語尾が強く響く。それが、九朗がどれほど本気で赤ずきんを探し、どれほど心配していたのかを雄弁に物語っていた。赤ずきんも、それを理解しないほど鈍感ではない。

 しかし、ばつが悪そうに視線を逸らしわずかに唇を噛む。


「……それは……悪かったよ。黙っていなくなったのは反省してる」


 申し訳なさそうな顔を浮かべる赤ずきんの姿に、九朗もさすがにそれ以上怒る気にはなれなかった。どんなに苛立とうとも今は無事に再会できたことが、何よりも大切なことだった。


「それで、なんで急にいなくなったりしたんだ?」


 九朗の問いに、赤ずきんは一瞬だけ視線を揺らし言葉を詰まらせる。


「それは……その……呪いを解くために……」


 消え入りそうな声で話し始めた赤ずきん。その言葉はどこか頼りなく、九朗の耳に届くかどうかの微かな音だった。


「呪い? それは一体何のことだね?」


 その声に割り込むように、エーミールが会話に加わる。彼は魔法陣を描きながら、横目で二人を見ていた。その態度はどこか余裕を感じさせるものだったが、赤ずきんの反応はそれとは対照的だった。


 赤ずきんは、はじめてそこにエーミールが居ることに気付いたようだった。そして、瞬間的にその表情が険しく変わる。その声には明確な嫌悪感が滲んでいた。


「てめぇ……クソ野郎ルートヴィヒ! よくあたしの前に姿を現すことができたな? ああん? ぶち殺すぞ!」

「待て、赤ずきん! キミがエーミールさんを逆恨みする気持ちは……たぶんわからなくもないが、キミを助けるために協力してもらっているんだ。今だけは僕に免じて抑えてくれないか?」


 そのまま拳銃ハンドガンを取り出して、いまにも撃ちそうな赤ずきんを九朗は制止する。こんなところで身内同士で争っている余裕などはない。


 赤ずきんはしばらく九朗を睨みつけていたが、やがて盛大に舌打ちをする。


「……ちっ。命拾いしたな、クソ野郎ルートヴィヒ! 所有者マスターの寛大な心に感謝して舌噛んで死ね、小児性愛症者ロリコンが!」


 エーミールはその言葉を受け、なんとも苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「キミたち魔導書グリモワールは私のことをなんだと思っているのかね……」


 その呟きには、呆れと諦念が混じっていた。九朗はそんなエーミールの姿を見て、少しばかりの同情を感じずにはいられなかった。


「それで、赤ずきん。呪いってのはもしかしてグリムの制約のことなのか? グリムに逆らえないようにするための安全装置とかいう……」


 九朗の問いに、赤ずきんは一瞬だけ視線を揺らし言葉を詰まらせる。


「ああ、そうだよ。そして、あたしの場合は……お前に愛されない呪いだよ」

「……? 僕に……愛されない? 何のことだ?」


 九朗は眉をひそめ、赤ずきんの言葉の意味を掴みかねていた。赤ずきんの呪い。『愛する者に永遠に愛されない』呪い。その言葉は九朗にとって、まったく理解の及ばないものだった。彼にはその自覚がまったくなかった。そう、あるはずがないのだ。何故ならば……。


赤ずきんロートケップヒェン。キミは禁断の魔導書ロスト・グリモワールのほうだろう? 禁断の魔導書ロスト・グリモワールには制約は課せられていないよ」


 エーミールが、さも当たり前のように告げた。その声は冷静で、どこか淡々としていた。


 その言葉に、赤ずきんは理解が追い付いていなかった。彼女の表情は驚愕とも困惑ともつかぬものへと変わり、何を言われたのか分からない様子で九朗とエーミールを交互に見つめていた。


「……は? いや、現にこいつはあたしに一切手を出そうとしないんだぞ? 素面の状態はともかく、狼になって自我がない状態でもあたしを襲おうともしないんだぞ? 性的欲求をあたしで満たすことなく内に抱え込んで苦しんでるんだぞ? これが呪いじゃなくてなんなんだよ!」


 赤ずきんは早口で捲し立てる。その声には苛立ちと困惑が入り混じり、まるで彼女自身の心の中に渦巻く疑念を吐き出すかのようだった。


 そんな赤ずきんを横目に、エーミールはなんとも可笑しそうな愉快な笑みを浮かべていた。その表情には、どこか意地悪な楽しさが滲んでいる。


「なるほどなるほど。では聞くがね、赤ずきんロートケップヒェン。キミの読み手マスターは大切にしている子に乱暴を働くほど愚かな男なのかね? 自我を失ってまでキミを大切に思っているとは結構なことじゃないか! 愛されているな、赤ずきんロートケップヒェン!」


 筆を動かし、魔法陣を描き続けながらも、エーミールはケラケラと笑った。赤ずきんはその言葉を受け、ただ呆然とするのみだった。彼女の表情には、怒りとも困惑ともつかぬ感情が浮かんでいた。


「それじゃ……あたしの……勘違い?」


 赤ずきんは、小さく息をのむ。


「だけど、お前は……」


 その声はかすれ、震えていた。初めて見るような、今にも泣きそうな悲しい顔をして、赤ずきんは九朗の方へと振り向いた。

 九朗は、未だに赤ずきんの言葉の意味を完全には理解できていなかった。だが、それでも、彼女の表情が訴えるものを見逃すことはなかった。だからこそ、そっと赤ずきんを抱きしめた。


「……赤ずきん」


 九朗の声は静かだった。だが、その言葉には温かさがあった。


「僕はずっと独りだったから、愛するとか愛されるとか、正直よくわからない」


 ゆっくりと、赤ずきんの背中を支えるように腕に力を込める。


「でも、キミのことが大切なのは間違いないよ。そうじゃなければ、こんなところまでキミを探しになんて来やしないよ」


 九朗は気づいていなかったが、赤ずきんの顔が赤く染まるのがエーミールにははっきりと見えていた。その表情は恥ずかしさと、安堵と、喜びに満ち溢れていた。


「なら、なんであたしのこと犯さやらないんだよ。いつだって股開いてやるって言ってんだろ」


 九朗は赤ずきんの肩を掴み、自分から引き離すと、その顔を真正面からじっと見つめた。そして、深く大きくひとつ溜息をつく。


「あのな……。そういうのは、ちゃんとお互いの気持ちを確かめたうえで、ベッドの上で……ほら、ムードとかそういうのがあるだろ?」


 九朗の声は少しだけ強めだったが、どこか照れくさそうでもあった。


「キミは女の子だろ? そういうのを少しは気にしろ!」


 その言葉に、赤ずきんは目を丸くして九朗を見つめ返す。そんな赤ずきんの反応を見ているうちに、九朗は何か無性に可笑しくなってきた。思わず笑いが込み上げてくる。それは、赤ずきんも同じだった。


 二人は顔を見合わせ、小さく笑い合ったのだった。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?