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第24話 Herzog Blaubart -zwei-

「話し合いは終わったかね?」


 青髭は不敵な笑みを浮かべながら、ゆっくりと広間に響き渡る低い声で言い放った。


「残念だが、貴様等が束になろうとも我には勝てぬよ! 禁断の魔導書ロスト・グリモワールの力……舐めてもらっては困るな!」


 自分の力を絶対的に信じている青髭のその笑みは、おそらくはったりではないであろう。現に、同じ禁断の魔導書ロスト・グリモワールであるはずの赤ずきんは青髭に挑み破れているのだ。この男の力が本物であることは明らかだった。


「これだけの人数を相手にしても、その余裕な態度が続けられるものかな? 青髭公爵ヘルツォーク・ブラウバルツ!」


 エーミールの挑発にもどこ吹く風。青髭は毅然とした傲慢な態度を崩さない。その余裕が、逆に九朗の胸に一抹の不安を呼び起こしていた。


 魔導書であるヘンゼルとグレーテルは戦力として頼りになる。彼らは元より戦闘を想定されている存在だ。エーミールも、たとえ魔導書ほどではなくとも、グリムとして魔法を行使できる。戦闘能力がゼロというわけではない。


 では、最後に残る九朗はどうか。


 彼は読み手マスターであるだけのただの人間だ。狼化すれば戦力になるかもしれない。しかし、問題は赤ずきんの意識がない状態での狼化だ。記憶の片隅にあるわずかな感覚……赤ずきんは九朗の手綱を巧みに握っていたように思える。それがない状態での戦闘は未経験だ。自分の意思で制御できない以上、最悪の場合、敵味方の区別なくその凶刃が振るわれる可能性すらある。狼化は最後の切り札として残さなければならない。

 そして、狼化できない今の九朗はただの人間だ。戦闘では何の役にも立たない。ただの足手まといに過ぎない。


 そんなことは、分かりきっている。だからこそ、九朗にできることはただ一つ。赤ずきんを起こすこと。青髭の足下に転がっている彼女を救い、その意識を取り戻させること。そうすれば戦力が増え、九朗自身も狼化という選択肢を手にできる。

 この戦いの勝敗は赤ずきんにある。そう言っても、決して過言ではないと九朗は考えていた。


「エーミールさん。なんとか青髭から赤ずきんを引き離せませんか?」


 九朗は息を潜めるように囁いた。


「隙を作っていただければ、僕が赤ずきんを回収して、意識を取り戻させます。そうすれば赤ずきんも戦力になります」


 エーミールはその言葉を聞き、小さく頷いた。


「……ハンス! グレーテ!」


 短く名を呼び、彼は双子へと指示を飛ばした。


青髭公爵ヘルツォーク・ブラウバルツを赤ずきんから遠ざけるぞ。ハンスとグレーテは前衛を、私が後ろから援護する!」


 だが、命令を受けたはずの双子はぷいっと顔を背けた。ふてぶてしい仕草で視線を明後日の方へと向け、まるで聞こえなかったふりをしている。


叔父様ルートヴィヒの言うことは聞けないわ。お父さんマスターじゃないもの」

叔父様ルートヴィヒの言うことは聞けないね。お父さんマスターじゃないもん」


 双子の声は揃って響いた。可愛げなく、まるで譲歩するつもりなど微塵もない様子だった。


 彼らは読み手マスター以外の命令に従うつもりはないらしい。魔導書としては当然の振る舞いかもしれない。だが、それを受けたエーミールの眉間には、明らかな苛立ちの影が宿っていた。

 九朗はその様子を見かねて、静かに双子へと語りかけた。


「ヘンゼル、グレーテル。すまないけど、エーミールさんに協力してあげてくれ」


 その言葉に、双子はすぐに顔を九朗へと向けた。そして、満足げに声を揃えた。


「「はい、お父さんマスター」」


 双子が笑顔で声を揃えて素直に答えるのを見て、エーミールは何とも言えぬ表情を浮かべて呟いた。


「ああ、そうか、そうか。つまり君達はそういうやつだったんだな……」

「いい年したおじさんがむくれるのは可愛くないわよ小児性愛症者ロリコン

「いい歳したおじさんがいじけるのは可愛くないよ小児性愛症者ペドフィリア

「……」


 散々な言われようである。九朗はその様子を見て、苦言を呈するべきか一瞬迷った。だが、エーミールもまた、今がそんな茶番をしている場合ではないことを悟ったようだった。


「ええい、そんなこと今はどうでもいい! さっさと行け!」


 エーミールの声が鋭く響く。その言葉には苛立ちと焦燥が滲んでいた。


「「はーい」」


 双子は軽く返事をすると、手にそれぞれ斧と炎を纏い、青髭へと向き合った。


 先ほどまで軽口を叩いていた双子だが、いざ青髭と相対すると、その表情は一変した。いつになく真剣なものへと変わり、その瞳には鋭い光が宿っている。周囲の空気が急激に張り詰める。双子の動きに合わせて、広間全体が緊張感に包まれていく。青髭もまた、彼らの変化を見逃すことなく、冷ややかな笑みを浮かべていた。


「ほう……双子ツヴィリングが相手か」


 青髭は双子へと視線を落とす。その目には軽蔑と嘲りが入り混じっていた。


「だが、貴様らでは力不足ではないかね? 所詮は唯の魔導書グリモワール。それに……」


 彼はゆっくりと首を傾げ、愉快そうに双子を見つめる。


「貴様らは、一冊の魔導書グリモワールを二分割したようなモノ。そんな半端モノでは相手にならぬな!」


 そう言うと、青髭は大仰に笑い出した。その声は広間の冷えた空気を震わせ、嘲りが響き渡る。


 双子の身長は青髭と比べれば圧倒的に低い。まるで風車きょじんに挑む狂気の騎士ドン・キホーテのように、小さく、脆く……しかし、その背に宿るものはただの夢想ではなかった。


青髭公爵ヘルツォーク・ブラウバルツって、最期は普通の人間に殺されたんだろ? なんだ、見せかけだけじゃないか、ねぇ姉さんマルガレーテ


 ヘンゼルが軽く肩をすくめながら嘲るように言う。その声には明確な挑発の色が宿っていた。


「ええ、そうね兄さんヨハネス


 グレーテルも冷ややかに笑う。その瞳には蔑みさえ見え隠れするようだった。


魔女ヘクセヴォルフも出てこない生ぬるい童話メルヒェンなんて、ただの見せかけだわ」

「ならば試してみたまえ、双子ツヴィリング


 青髭の声が低く響く。


「代償はその命で支払ってもらうがな!」


 その言葉とともに、彼は腰に下げた剣を抜き払った。華美な意匠が施された剣。しかし、それは決して儀礼用の飾りではない。鍛え抜かれた鋼の刃は鋭く研ぎ澄まされており、その剣先には黒ずんだ何かがこびりついている。血なのか、あるいはそれ以上に禍々しいものなのか。


「言われなくても!」


 ヘンゼルが駆ける。手にした手斧は、彼の身長の半分ほどもあろうかという代物。それを棒切れのように軽々と抱えながら、一直線に青髭へと迫る。


 そして、双方が間合いに入るや否や、互いの武器えものが鋭く振り上げられた。甲高い金属音が広間に響き渡る。刃と刃がぶつかるたびに火花が散り、空気が焦げるような匂いを伴って戦場を支配する。

 青髭は長身を活かし、剣を振り下ろす強撃でヘンゼルを圧倒しようとする。対するヘンゼルは、小柄な体躯を駆使し、遠心力を乗せた斧の振り上げで迎え撃つ。

 剣と斧……異なる武器がぶつかり合う歪な剣戟。互いに譲ることのない激しい戦いが繰り広げられていた。


 しかし、ヘンゼルはただの木こりの息子だ。言うなれば、ただの平民。戦を生業としていたわけではない。

 一方、青髭は貴族である。曲がりなりにも、戦場では最前線に立ち兵士を導く高貴なる者の義務ノブリス・オブリージュを担ってきた。その戦場の経験は、一つや二つではない。

 故に、その剣技も戦術も、長年の経験と修練によって鍛えられている。。出自がどうであれ、彼はそう『』存在なのだ。実力差は火を見るよりも明らかだった。


 そこへ、炎を纏ったグレーテルが加わる。魔女を焼き殺した断罪の炎。罪と罰と背徳の炎。ヘンゼルの背後に隠れ、隙を見て炎の塊を放つ魔術。ヘンゼルを陽動にした、単純な戦法。しかし、それは単純であるがゆえに、確かな効果を持つ。


 青髭は、当然のようにグレーテルの存在に気付いていた。その姿を視界に捉えた瞬間、彼の顔に苦々しい表情が浮かぶ。眉間に深く皺を刻み、細めた目の奥には敵意とも嫌悪ともつかぬ感情が渦巻いていた。低く、吐息交じりに何事か呟く。その言葉は聞き取ることができない。だが、その直後、青髭の剣を持たぬ左手が、青白い光を帯び始める。


 ヘンゼルは直感的に危機を察知した。切り結ぶことをやめ、数歩後退して距離を取る。その結果、グレーテルが前へと押し出される形となる。


 青髭はその光景を目にし、にやりと下卑た笑みを浮かべる。そして、青白い輝きを纏った左手を、ゆっくりとグレーテルへと伸ばした。その動きは酷く緩慢だった。赤子でも避けられるほどの遅さ。しかし、何故かグレーテルは身じろぎひとつせず、棒立ちのまま動かない。


姉さんマルガレーテ?」


 ヘンゼルが声を掛ける。しかし、グレーテルは微動だにしない。

 そして遂に、青髭の青白く輝く左手がグレーテルの小さな頭部を掴んだ。その瞬間、時間が止まったかのような静寂が広間を包む。だが、それは一瞬のことだった。青髭はグレーテルを掴んだままの左腕を大きく振り被り、彼女を宙へと放り投げる。


「グレーテル!」


 事の成り行きを見ていた九朗が慌てて駆け出す。放り投げられたグレーテルが床へと激突する前に、彼はその身体を抱きかかえることに成功した。


「グレーテル、大丈夫か!」


 九朗が声を掛ける。しかし、グレーテルは反応しない。目を見開いたまま、光彩が失われた虚ろな表情。死んでいるわけではない。どうやら気を失っているようだ。外傷は見当たらない。先程の青髭の青白い光……あれが何かしらの原因であるように思える。

 九朗がグレーテルを抱きかかえたまま、彼女の顔を覗き込む。その姿を見ていた青髭は、満足そうに下卑た笑いを浮かべる。


その刹那。


 一瞬の隙を突き、黒い触手のようなものが青髭の傍らに転がっていた赤ずきんの身体に巻き付いた。その動きは素早く、生き物のように滑らかだった。触手は赤ずきんの身体を持ち上げると、青髭から遠ざけるように宙を滑る。


 その触手は、エーミールが宙に描き出した魔法陣から伸びていた。魔法陣は淡い光を放ちながら、触手を操る源となっている。


 赤ずきんの身体はそのまま触手に導かれ、九朗のもとへと誘われた。


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