目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第29話 Herzog Blaubart -sieben-

 獣の咆哮が張り詰めている戦場を切り裂く。その雄叫びと共に九朗が猛然と飛び出した。両手両足を包み込んだ黒きオーラの爪は、闇の牙のように鋭く伸びている。彼は狂暴な獣の如く、青髭へと襲いかかった。


 だが青髭の剣は、それを軽々と受け流していた。刃と爪が激しく交差し火花が散る。返す刃が九朗へと斬りかかる。九朗も瞬時に身を翻し、鋭い動きで再び攻撃へと転じる。圧倒的な猛攻と冷徹な剣技。一進一退の死闘が繰り広げられる。


 その激しい攻防を横目に、赤ずきんの手は眩い光に包まれていた。先程まで握られていた銃が、別の存在へと変わろうとしていた。これは、ただの武器ではない。この状況を打破するための唯一の手段。それが今、彼女の手の中に形成されつつあった。光が収束し、その全容が現れる。

 円形の筒。それは赤ずきんの身長の半分より少し長い異形の火器。だが、それは普通の銃の機構とは明らかに異なる。その姿に赤ずきん自身が目を丸くしていた。

 と、同時に赤ずきんは前のめりになり大きく咳き込んだ。口元から赤黒い液体が滴り落ちる。視界が揺れ、喉が焼けるように痛んだ。


「げふっ……ちっ……!」


 彼女は唾を吐くように地面に血を垂らしながら、眉をひそめた。


「あのクソ男マスターめ……!」


 吐き捨てるように言葉を零し、手に握る円筒の武器を睨みつける。


「あたしが思ってたのは小銃に付けるような小型の方だってのに、でかい方思い描くんじゃねぇよ!」


 彼女は力なく笑った。


「いくら拡大解釈ルール違反とはいえ、こいつはさすがに銃じゃねぇよなぁ……」


 手のひらがじんじんと痺れる。明らかに、身体への負担が大きすぎる。


「あたしの負担考えろ……バカ野郎」


 だが、それでも彼女は立ち上がる。円形の筒を杖代わりに地面に押し当て、息を整えながら前を向いた。視線の先……青髭と九朗が激しい剣戟を交わしていた。青髭の剣は冴え渡り、九朗の爪が閃光のように放たれる。だが、決定打には届かない。


「……ったく」


 赤ずきんは目を細め、深く息を吐いた。


「まあいい、上出来だ所有者マスター


 彼女は静かに武器を持ち上げる。その円形の筒は肩へと担がれ、重厚な金属の質感が肌に伝わる。発射体制を整え、目標を定める。九朗、ヘンゼル、グレーテルの三人が青髭を囲むように戦っている。その中心へと、彼女は静かに擲弾発射器グレネードランチャーの銃口を向けた。


「てめぇら! うまく避けろ!」


 赤ずきんの叫びが辺りに響く。そして一際大きな音が響く。擲弾発射器グレネードランチャーが火を噴く音。後方へ反動を殺す反力相殺ガスカウンターマスが吐き散らされる。弾頭が一直線に、目標へと向かう。


 青髭と対峙していた三人は、赤ずきんの声に反応しすぐさま距離を取った。だが、青髭は微動だにしない。愉悦の色を帯びたその瞳で彼は余裕綽々と笑う。


「ふははははは!」


 この程度の攻撃では揺るがぬとでも言いたげな態度。自らの不死性に、絶対的な自信を持っている。剣を大きく振り被り、飛来する弾頭に向けて振り下ろした。


 その刹那。


 凄まじい轟音。目が眩むほどの閃光。そして、爆炎。それは爆発ではない。異質な炎の奔流が青髭を貫いた。


「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 青髭のこれまでにない苦悶の咆哮。その瞬間、炎はまるで生き物のようにうねりながら彼を包み込んだ。


「さすがにこいつは効いたようだな!」


 赤ずきんはよろめきながら、口角を引き上げる。その手が震えながらも、中指を突き立てる。


「テルミット焼夷弾だ!」


 彼女は声高らかに叫び、戦場を照らす灼熱の輝きを指差した。


「テルミット反応って知ってっか? いや、説明してやりてぇが、残念だがあたしもよく知らねぇ!」


 彼女は荒々しく笑う。


「まあ、この閃光と高熱を見りゃ効果の程はわかるよな? ああん?」


 テルミット反応。それは科学の暴力。金属酸化物とアルミニウムを使用した還元反応により、凄まじい高温と閃光を放つ。軍用に特化されたナノテルミットは、燃料気化爆弾にも使用され、その温度は実に三〇〇〇℃を超える。その熱はただの焼却ではない。物質を飲み込み、形そのものを歪めていく灼熱の暴流。


 青髭の身体が炎の中でうねるように焼き爛れ、歪む。彼の肉はこれまで何度も再生してきた。だがこの熱は、違う。


「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 苦悶の絶叫が響く。


 赤ずきんは冷笑を浮かべながら、肩越しに炎の地獄を見据える。


「くたばりやがれ、クソ野郎フィックト・オイヒが!」


 数メートル離れている赤ずきんの元にさえ、その熱さを感じる程の炎が巻き起こっていた。テルミット反応による炎が狂ったように巻き上がり、その熱で大気すら歪んで見える。それでも、青髭の肉体は崩れない。燃え盛る炎の中心で、彼はなおも悲痛な叫び声を上げ続けていた。


「おのれぇぇぇ……おのれぇぇぇぇぇぇ!」


 絶望と憤怒が混ざった咆哮が、炎に呑まれてかすかに震える。


「恩知らずな豚共が! 私を彼女と同じように断罪するかぁ!」


 狂気の怒声が戦場に響き渡る。彼の瞳が燃え爛れ、視界がゆらゆらと歪む中、彼は自らの運命に抗うように叫んだ。喉が焼け裂け声が苦痛に歪む。


「ぐぅ……? 違う? 違う違う違う違う!」


 彼は燃えさかる業火の中でうめく。そして、突如として表情が変わる。それは、まるで何かが崩れる瞬間のような動揺。


「それは我ではない! 我ではない!」


 何かが、彼の意識の中でねじれ始める。


「私は……我は……があっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 彼の叫びがひび割れ砕けるように響いた。その間にも、炎はなおも燃え続ける。その猛々しい業火の隙間から、青髭の姿が見え隠れしている。その身体は黒く変色し、焼け爛れ、皮膚が融解し始めている。炭化した肉が崩れ落ち、自慢の青髭も、もはやその原形をとどめていない。炎によってかつての威厳は、完全に焼き尽くされつつあった。


 青髭の肉体は再生が追いついていないのか、それとも、もはや再生すらできなくなっているのか。それは誰にも分からなかった。だが、九朗は迷わない。黒い影が閃光のように飛び、狩るべき獲物へと急襲する。その瞬間、黒き爪が青髭の胸へと突き刺さった。


「がはっ……!」


 大きく吐血する青髭。だが九朗は容赦しない。彼の腕が振り上げられ、狂気じみた勢いで振り下ろされる。胸、腹、腕、脚、壊れた人形のように、何度も何度も。その度に血が弾け、肉が裂ける。


 そして、一際大きな雄叫びが戦場に響き渡った。


 九朗の爪が青髭の首筋を狙い、振り下ろされる。それは断罪の刃よりも冷酷な裁きだった。

 胴体から首が切り離される。ぼとりと、首は血の海へと沈み、胴体は後方へ崩れ落ちた。その瞬間、青髭の身体が光に包まれる。徐々に輝きを増しながら、その肉体は霧散し、跡形もなく消え去った。後に残ったのは一冊の魔導書グリモワール

静寂が訪れた。


 そして再び、獣の咆哮が戦場に響き渡る。その声は、もはや敵を討つためのものではなかった。それは、長き戦いの終焉を告げる勝利の雄叫びだった。



     ◇



 誰もがその場に座り込んでいた。力を抜き荒い息を吐きながら、戦闘の終わりを噛みしめる。青髭は討伐された。戦いは終わったのだ。だが、そこに歓喜の声はない。血の匂いがなおも残り、燃え尽きた破片が空を漂っていた。


 そんな中、赤ずきんはゆっくりと歩み寄る。その先にあるのは頭を抱え込み、うずくまっている九朗。彼は静かに震えていた。その背を見た瞬間、赤ずきんはゆるく息を吐き、そっとその身体を背中から抱きしめた。


「……終わったぜ、所有者マスター


 囁くような声……。だが、九朗は低く重い唸り声をあげるだけだった。この光景を、赤ずきんは何度見ただろう。戦いが終わるたびに、彼はこうして静かにうずくまる。血を浴び、獣となり、そして戦いが終わると言葉を失う。赤ずきんは苦虫を潰したような表情を浮かべる。居た堪れない。だが、それでも彼を抱きしめる手に力を込める。


「おい! グレーテルメスガキ、こっち来い!」


 赤ずきんは、血の匂いがまだ残る戦場でグレーテルに顔を向けると、乱暴に呼びつけた。その声には、苛立ちと疲労が滲んでいた。


「……その呼び方、やめてくれないかしら?」


 グレーテルは眉をひそめ、冷たい視線を向ける。


「不愉快なのだけれども」


 赤ずきんは舌打ちし、肩をすくめる。


「ちっ……善処してやっから、さっさと来い!」


 短く吐き捨てるように言いながら、目を逸らした。グレーテルはゆるりと歩みを進め、赤ずきんと九朗の元へと近づいていった。


「……来たわよ。それで、何かしら?」

「いいから黙って股開け」

「はぁ? 一体何を言っているのかしら?」


 訝しむ様に赤ずきんを睨み付けるグレーテル。しかし、赤ずきんの顔はふざけている様子は見て取れなかった。


「……こいつを元に戻すには性的欲求を満たしてやる必要がある。所有者マスターを愛する気持ちがあるなら抱かれろ!」

「な、なにを言ってるのあなた!」


 グレーテルの顔が赤面し、恥ずかしそうに身体をくねりだす。


「そ、そんな心の準備が……って、あなたはそれでいいの?」


 赤ずきんは、未だ苦しそうに唸り声をあげる九朗の背をそっと撫でた。その動きはゆっくりと、慈しむように。血と炎の匂いがまだ残る中で、彼女の手だけが穏やかな時間を刻む。だが、その指先には微かな震えがあった。


「あたしじゃ……ダメなんだよ……」


 彼女の声は乾いていて、どこか遠い。


「こいつは、あたしには手を出さない……」


 静寂が辺りを支配する。九朗の唸り声だけがかすかに響く。その苦悶の音を聞きながら、赤ずきんの眉が僅かに歪んだ。彼女の胸を、重い感情が締め付ける。


「赤ずきん……あなた……」


 グレーテルは、静かに彼女を見つめていた。その瞳には、戸惑いと、悲痛な思いが滲んでいた。


「そんなことせずとも大丈夫だよ、赤ずきんロートケップヒェン


 穏やかな声が聞こえる。グレーテルの背後から、静かに歩み寄ったのはエーミールだった。彼の表情には柔らかな落ち着きがあり、その声音は優しく響く。


「そう何度もできることではないが、今この時抑え込むことぐらいはできる」


 赤ずきんの目が見開かれた。


「本当か!」


 彼女の表情に期待の色が浮かぶ。その瞳には、これまでの疲労とは異なる僅かな光が宿っていた。エーミールは静かに微笑み、筆を指で回しながら答える。


「こんなことで嘘は言わんよ」


 彼は視線を九朗へと移し、その身を覆う黒いオーラを見据えた。


「私にとってもクロウくんには恩があるしな」


 そう言うと、エーミールはゆっくりと筆を掲げた。宙空に描かれる魔法陣。筆の軌跡が優雅に踊る。その紋様が次第に光を放ち始める。と、同時に九朗の身体が徐々に輝きを帯びる。彼を覆っていた黒いオーラが、じわじわと薄らぎ、ゆっくりと消え去っていった。それまで辺りに漂っていた重苦しい気配が、徐々に浄化されるようだった。


「ん……あ? ここ……は……?」


 九朗の朧げな声が、静けさの中に溶け込んだ。黒いオーラが完全に消え失せたのと同時に、彼の意識が揺らめくように戻ってくる。その様子を確認した赤ずきんは、ゆっくりと動き、そっと九朗の胸に顔を埋めた。


「赤……ずきん……?」


 九朗の声はまだ弱々しく、かすれていた。


「終わった……のか?」


 赤ずきんは微かに息を吸い込み、静かに呟く。


「……ああ、終わったよ。所有者マスター


 そのまま、赤ずきんはゆっくりと続ける。


「ったく、あたしのために無茶しやがる……」


 小さな苦笑が、彼女の口元に滲む。


「……ありがとな」


 だが、顔を直視することができないのか、彼女はそのまま胸に押し当てた顔を動かさず、そっぽを向く。その肩が僅かに震えているのが、九朗にはわかった。


 静かな空気の中、九朗はそっと手を伸ばす。赤ずきんの頭にやさしく手を乗せると、愛おしむようにゆっくりと撫でた。その仕草に、彼女の肩の震えは次第に止まっていく。


「……おかえり、赤ずきん」


 九朗の言葉は穏やかで深く響いた。


 赤ずきんは息を詰まらせる。


 そして……


「……最高の男だよ、お前は」


 ゆっくりと顔を上げ、微笑みを滲ませる。


「ただいま……私の愛した狼さんマイ・マスター





第一部「WahreLiebe」 完


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?