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vs.Rotkäppchen

第30話 Vergnügungspark -eins-

 人々の悲鳴が響き渡る。とりわけ、女子供の甲高い声が周囲の空気を震わせる。だが、それは悲痛な叫び声ではない。確かに恐怖の叫びではある。しかし、そこに血の匂いや硝煙の香りは存在しない。

 色とりどりの原色が、視界いっぱいに広がっていた。中央には白亜の城が堂々とそびえ立ち、その背後には巨大な大車輪がゆっくりと回る。右手には高低差が計り知れないレールの山。そこを疾走する車両。悲鳴と歓声が交錯する。大人も子供も興奮に身を委ね、笑い、叫び、はしゃいでいた。

 夢と幻想が交錯する魔法の国。そう、ここはとある遊園地。九朗たちはそんな世界に足を踏み入れていた。


「なぁ……? なんであたしはこんなとこにいんだ?」


 白亜の城を一望できるテラス席。その景色の美しさとは裏腹に、赤ずきんの声色には露骨な不満が滲んでいた。彼女の手元にある、アイスコーヒーのストローの端が強く噛みしめられて歪んでいる。その様子が、彼女の機嫌の悪さを何よりも物語っていた。


「たまにはいいじゃないか」


 静かに答えたのは、正面に座る九朗。彼も同じようにアイスコーヒーのストローに口をつけているが、こちらのは綺麗なままだった。飲み方ひとつとっても、二人の温度差がはっきりと浮き彫りになっていた。


「けっ……ガキじゃあるまいし……」


 赤ずきんは苛立たしげに呟き、視線を横へとずらした。その先にあるのは、周囲がドン引きするほどの速度で回転するティーカップ。中ではしゃぎ回るヘンゼルとグレーテル。何が楽しいのか絶叫を上げながら、限界までティーカップを二人は回し続けていた。

 赤ずきんはそれをしばし見つめ、「……馬鹿か、あいつら」と小さく呟いた。


「楽しくないかい?」


 九朗の何気ない問いかけに、赤ずきんは面倒そうにため息をついた。


回転木馬カルッセルに乗ってはしゃぐような年齢じゃねーよ」


 不機嫌な声が冷たい風のように零れる。しかし、九朗は変わらず穏やかだった。


「僕に言わせれば、キミの見た目はそういうので楽しむ年齢に見えるけどね」


 その一言に、赤ずきんの目が鋭くなる。睨みつけるように九朗を見据えると「ちっ……」と、静かに舌打ちをし、アイスコーヒーのストローをまた乱暴に噛みしめた。


 青髭との戦いから、ひと月ほどが経とうとしていた。


 血生臭い非日常からようやく戻り、九朗は今の生活の穏やかさを実感する。万事平穏。それは尊いものだ。だがその平穏が長く続くかと言えば、話は別だった。九朗の部屋には、赤ずきん、ヘンゼル、グレーテルの三人が同居することになったからだ。


 赤ずきんとの生活は、決して楽ではないものの、そこまで落ち着かないということもなかった。少々難のある性格ではあるが、彼女は基本的には問題を起こすようなことはない。ヘンゼルとグレーテルも、決して喧しい子たちではない。九朗の言葉をよく聞くし素直でもある。


 しかし、この二冊の魔導書グリモワールは相性が最悪だった。特に赤ずきんにとって、これは深刻な問題だ。それまで九朗を独占していたのに、突然邪魔者が増えたのだ。双子の存在は、赤ずきんにとって明確な『敵』だった。二人がいる限り、九朗との愛を確かめることもできない。


 だが、その想いは双子にとっても同じだった。ヘンゼルとグレーテルにとって、九朗の役割は父親ファーター。父に甘えることは、彼らにとって当然の権利だった。その結果、双子はことあるごとに九朗へとべったりと引っ付く。その様子に、赤ずきんの機嫌はみるみる悪化していった。双子にとっても赤ずきんは厄介な障害であり、まるで害虫のような存在だった。彼女こそが、九朗を独占しようとする『不届き者』だったのだから。


 特にグレーテルとは女同士、思うところがあるのか、毎日のように激しい舌戦が繰り広げられた。時折、物理的な手が出ることもある。だが、それをすれば九朗が本気で怒る。そのため、互いに自重し合いながらも、空気は悪化の一途を辿っていた。一触即発の様相。火種を抱えたギスギスした同居生活がそこにはあった。


 これには九朗も困り果てていた。どちらか一方を立てれば、もう一方の顰蹙を買う。特に赤ずきんが銃を取り出した時などは、気が気ではなかった。このままでは、狭いながらの我が家が戦場と化すのは時間の問題。そこで九朗は思い至る。喧嘩をするのは、お互いをよく知らないからではないか、と。ならば、友好関係を築くには、共に遊びに出かけるのが得策。よし、じゃあ遊園地だ!

 まるで天啓を受けたかのようにそう決断し、当の原因の一助となる自覚のない愚鈍な男は、明後日の方角の解決策へと突っ走った。


 その結果が、今の状況である。


「ところで、所有者マスタークソ野郎ルートヴィヒが言ったこと、どう思ってんだよ?」


 赤ずきんは不満げな表情を浮かべ、白い格子状の背もたれのついたテラス席の椅子に体重を預ける。気怠げに、しかし確かに鋭く食い込むような視線を九朗へと向ける。


「……なんのことだ?」


 九朗は曖昧に答える。気のない声。だが、それはあえての意図的なものだった。


「とぼけんなよ。お前の話だ」


 赤ずきんは容赦なく言葉を切り込む。逃がす気はない、その態度は明確だった。


 この話題には、あまり触れて欲しくはなかった……。


 それは、青髭との戦いが終わった時、エーミールと交わした言葉。九朗は静かにその記憶へと沈んでいった。



     ◇



「そうだな……まずはクロウくんのことから話そうか」


 エーミールの声音は穏やかだったが、その響きには確かな重みがあった。青髭の城を後にした九朗たちは、黒き森シュヴァルツヴァルトの中で一時の休憩を取っていた。木々の影が長く伸び、濃密な静寂が辺りを包み込む。その中で、赤ずきんの視線は鋭くエーミールを射抜いていた。これは好機と赤ずきんはエーミールにそれまで抱いていた疑問をぶつけていた。何せエーミールは末弟とはいえ、グリムなのだ。彼女の知らない情報を持ち合わせているに違いない。


「もうわかっているとは思うが、クロウくんが狼化するのは禁断の魔導書ロスト・グリモワールたる赤ずきんロートケップヒェン読み手マスターだからだ。その役割ロールが狼であるため、このようなことになっている」


 赤ずきんは低く舌打ちしながら、鋭く睨み付ける。


「解せねぇな、クソ野郎ルートヴィヒ


 苛立ちを隠そうともせず、言葉を叩きつける。


「あたしの筋書シナリオだと狼はヴィランじゃねぇ」


 この赤ずきんの話は他の赤ずきんの話とは違う。彼女の物語において、狼は謂わば他の作品の王子様プリンスに該当するのだ。


「そりゃ獣なんだから狂暴性はあるだろうが、暴走して自我を失うようなもんじゃねぇ」


 彼女は唇を噛んだ。


「そんな記述はねぇ。なら何故、九朗こいつは暴走する?」


 沈黙が落ちる。だが、エーミールはすぐに答えを導き出した。


「簡単な話だ、赤ずきんロートケップヒェン。お前は改訂版アナザーを喰ったことがあるな?」


 赤ずきんの眉がピクリと動く。


 改訂版アナザー。ここにいる初版オリジナルの赤ずきんではない、別の赤ずきん。ほとんどの人間が知っている『正統派の赤ずきん』。それが、改訂版アナザー


青髭公爵ヘルツォーク・ブラウバルツを見ただろう? あやつは改訂版アナザーを喰らったことにより、精神に異常を来たしていた。物語が混じった影響だろう。本来の記憶ではない幻想も見ていたようだが……」


 赤ずきんは低く息を吐く。


「おい、あいつが喰ったのはフィッチャーの小鳥フィッチャース・フォーゲルだろう?『派生作品』とあたしを同じにするな」


 エーミールは「ふむ……」と呟くと、ゆっくりと口を開いた。


「まだわからんかね」


 エーミールは静かに言葉を紡ぐ。


青髭公爵ヘルツォーク・ブラウバルツヴィランの能力も行使していた。それは、物語の中の役割が同一だったからに他ならない。いいか、赤ずきんロートケップヒェン。お前と改訂版アナザーは同一でも、お前の狼は改訂版アナザーと役割が同一ではないのだよ。そこで交錯した筋書シナリオが、制御不能の混乱を起こした結果、今のクロウくんの状態があるのだ」


 赤ずきんは息を詰まらせた。未だ納得のいかない様子で、ゆっくりと視線を逸らす。その視線の先には、ただ静かに話を聞いている九朗の姿。思わず目を合わせる。しかし、次の瞬間、赤ずきんはふいに視線を外した。


「つまりは……あたしのせいだってことだろ……」


 かすかな声が響く。


「赤ずきん……」


 九朗は、彼女の伏せた視線の奥にあるものをただ黙って見つめていた。その表情は、痛みを押し殺したような悲痛な色を帯びていた。


「そう悲観的になるな。解決する方法はある」


 エーミールは静かに言いながら、懐から筆を取り出した。次の瞬間、筆先から光が溢れ、空へと輝く線を描いていく。紡がれる魔法の軌跡。その神秘的な輝きの中、エーミールはゆっくりと言葉を紡ぐ。


グリムの魔導書グリム・グリモワールの中には、登場人物として狼が描かれている作品が複数ある。赤ずきんロートケップヒェンを除けば、代表的なのは第五編『狼と七匹の子山羊デア・ヴォルフ・ウント・ディー・ズィーベン・ユンゲン・ガイスライン』あたりだな。それらを赤ずきんロートケップヒェンが吸収すれば、『正常な狼』が作り出せるはずだ」


 その言葉に、赤ずきんは眉をひそめる。そして低く舌打ちしながら言い放った。


「待てよ、クソ野郎ルートヴィヒ


 声にはわずかな苛立ちが滲んでいる。


「なんでそれで暴走が治る? どれもこれも敵側ヴィランだろうよ。普通に考えたら、より悪化するもんじゃねぇのか?」


 エーミールは一度筆を止める。そして、ゆっくりと息を吐いた。


「それは違う。敵側ヴィランだから暴走しているわけではない。先程も言ったが、役割が同一でないから起こる現象だ。ならば、どちらか一方に偏らせればいい。一番簡単なのは、初版オリジナル赤ずきんロートケップヒェンと同じ童話メルヒェンを喰えばいいのだが……。そんなものはキミ以外に存在しない。だから、これは代替処理だと考えたまえ」


 エーミールの言葉に、九朗は難色を示した。その戸惑いは、表情にありありと浮かんでいた。


「……エーミールさん、それはできません。それは、何の罪もない魔導書を赤ずきんに襲わせるということですよね?」


 唇を噛みしめる。


「僕のために、赤ずきんにそんなことはさせられません」


 赤ずきんは、ゆっくりと息を吐いた。


「……別に、他の魔導書グリモワール共がどうなろうと、あたしには関係ねぇ。お前が正常になるのなら、喜んで殺してやるよ」


 その言葉に、九朗の表情が険しくなる。


「赤ずきん!」


 彼は赤ずきんの方を向く。しかし、赤ずきんは、視線を逸らしたままだった。沈黙が落ちる。


 エーミールは、そんな二人を見つめながら筆を指で回した。


「まあ、待ちたまえ」


 淡々とした口調で次の言葉を紡ぐ。


「何も吸収しなくても、クロウくんがその魔導書グリモワール読み手マスターになるという方法もある。個人的には、赤ずきんロートケップヒェンの怒りを買いそうなので推奨はしないがね」

「当然だな」


 すると、赤ずきんはわずかに口元を歪め邪な微笑を浮かべた。


「寝首を掻いて、喰い散らかしてやるだろうよ」


 その言葉に、九朗は苦々しい表情を浮かべる。


「キミに他の魔導書グリモワールを殺せと命じるつもりはない。誰かを犠牲にしてまで、望むことじゃない」


 重い沈黙。その中で……


「……あたしが嫌なんだよ」


 赤ずきんの小さな声が響く。それはひどく淡く、そしてどこか震えていた。


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