マナは辺りを見渡して運転席から一番近い場所に立っていた初老の女性を呼び寄せる。
「すまねぇ、あれはどうなってんだ？」
「そこの施設で襲撃事件が起きたみたいだよ。何でも先生や生徒関係無く襲われたって。怖いよねぇ」
女性が施設の方に視線を向けると「ではこれで」とマナに言い残し人集りの中に戻って行った。女性が離れたのを確認すると直ぐさま後部座席に視線を移す。
「また……おれのせいで……？」
女性の話しを聞いたトウヤは目を見開いたまま帰るはずだった施設の方を見上げる。隣りに座るレンも必死に動揺を隠しながらトウヤの背中にゆっくりと触れた。
「落ち着けトウヤ、それにお前のせいじゃ――」
「……そうだ」
ポツリと呟いたトウヤは、マナが言い切るより先に何かに駆り立てられるように突然車を飛び出した。反射的にレンが手を伸ばすも、間一髪の所で掴み損ねる。
「おい！ あいつどこに行く気だ！」
「追いかけてくる！」
「おれも行くぞ！」
助手席から飛び出すように追いかけるリュウトと、それに次いで後部座席からレンも出ていく。このまま車を放置出来ないマナは歯を噛み締めながら二人に言葉をかける事しか出来なかった。
「くそ！ 車で来たのが失敗だったな、お前ら無茶すんなよ！」
トウヤを追いかけるリュウトとレン。だが地の利を知っているトウヤの方が動きが早く、人集り《ひとだかり》を避けて建物の裏をすり抜けて行く。時々腕をぶつけたり人にぶつかりかけながら二人は無理矢理にその足を速めた。
車を出てから十五分程建物の裏通りを駆け抜け、ようやくトウヤが坂の中腹で足を止める。到着したのその先には施設の外観が見えていた。
正面は無理だと思って裏道を使ったのだろう。だがその道も警官によって規制線を貼られ進む事が出来なくなっていた。
「おおっと君、ここは通れないよ」
規制線の前で止まったトウヤに近くで見張りをしていた警官が歩み寄る。膝に手を付きながら肩で息をするトウヤは、呼吸が落ち着いてくると顔を上げて警官を見つめた。
「すみません、ここの施設の子なんです！ 誰か先生はいませんか！？」
「本当に！？ ちょ、ちょっと待ってね」
警官はトウヤの話しを聞くと慌ててトウヤから距離を取り、腰に付けていた無線機で話し始める。
そこでようやく追い付いたリュウトとレンは、二人とも座り込み大きく呼吸しながらまた動き出さないかとトウヤの方を注視していた。二人が到着してから数分後、別の警官に連れられて一人の中年の男性が施設の方からやって来る。
「トウヤ君！？」
中年の男性はトウヤを見るなりその名を呼び駆け寄ってくる。
自分を受け入れてくれた数少ない人の一人。そんな人が心配そうな顔をしながら来てくれる事にトウヤは申し訳なさと嬉しさが入り交じる。
「先生！」
「あの人は？」
先に体力が回復したリュウトが尋ねるとトウヤは嬉しげな表情を浮かべていた。本当は一緒にいたかった――と言う本心を抑え、トウヤを必要としてくれる場所の人ならと、リュウトは静かにその後ろ姿を見据える。
「おれを入れてくれた先生だよ。施設の所長もしてるんだ。良かった……無事で――」
リュウトが見た光景は、まるで時がゆっくりと動く様に感じた。
トウヤに近付いた瞬間、先生はその嬉しげな顔を容赦無く殴り飛ばす。少なくともこんな結果を想像もしていなかったトウヤは、レン達の方へ飛んだ体を起こすことなく殴られた頬に触れるだけだった。
「何やってるんだ！ 彼を取り抑えろ！」
二人の警官により更に殴ろうとする先生は取り押さえられるが、勢いが止まる事なく進もうとする。やがてトウヤが上半身を起こすと、殴られて腫れた左の頬を抑えながら下を向く。
その口元だけ見ても、笑みが消えている事は明白だった。
「お前のせいで、お前のせいでうちの施設がこうなったんだ！」
ようやく口を開いた先生の第一声は恨みと怒号で満ち溢れていた。
全く返事をしないトウヤに変わり、レンが怒りを露わにして怒鳴り返す。
「はぁ？ ふざけんなよ！？ お前がトウヤを帰してくれって言うから連れて来たんだぞ！」
「ああそうさ。確かに捜索届けも出したし、預かっていると連絡が来た者には帰してくれと言った。だがそんなの不本意なんだよ！ そもそも
徐々に明かされていく先生の本心にトウヤは頬を擦りながら歯を噛み締める。
「じゃあ何で受け入れて……帰って来いなんて言ったんだよ！！ 大切な家族じゃねぇのかよッ！！」
「――金だよ」
優しさの欠けらも無い冷徹な表情と言葉に、怒鳴っていたレンとトウヤの傍にいたリュウトは目を見開く。同時に握り締めた拳から魔剣を呼び、今すぐその頭を斬り離してやろうかと思いが込み上げるがぐっと堪える。
目の前にいるのは人間のはずなのに、その感情はまるで悪魔でも見ている様な感覚にだった。
「ある奴から話しを持ち掛けられたんだ。施設の子をこちらの育成施設に移動させてみないかと。しかも移動させたら逆に金が貰えると時た！ 更に身寄りのない子を集めてその施設に送ればまた払うと言ってくれた！」
「…………」
「でもこれが他の職員にバレて抗議されてな。仕方なく辞める連絡を入れたらこのザマだ……お前は疫病神何だよ！」
警察の取り押さえる力も自然と強くなっていく。トウヤはただ下を向いたまま黙って聞く事しか出来なくなっていた。
「施設に居た三分の一の職員と子供が殺されたよ。まぁ殺されたのは抗議した職員だけだったからそれは清々したよ……だがこれでもう施設は運営していけない。お前もアイツらと一緒に死ねば良かったんだ」
流石の警官も最後の言葉には職務を忘れて怒鳴り返す。
「いい加減にしろ！ 子供に何て事言うんだッ！」
突然トウヤは何も言わず立ち上がると、元来た道を引き返す様に走り出す。ほんの一瞬、すれ違いざまに見たトウヤの目に光は残っていなかった。
その目にどこか数ヶ月前の自分と重なった感覚を覚えたリュウトは全力疾走の疲れが戻らない中、再びトウヤを追いかけ始めていた。
「トウヤ！ 待てよ！」
「くそが……てめぇが死ねじじい！」
怒りの感情が抑えきれず、まるで子供みたいな暴言を残して立ち去るレン。だがそんな言葉も気にすること無く、先生は吐き捨てるように言い放った。
「これで清々するわ！ 送った分の金も貰ったしどこへでも行って野垂れ死ね！」
先生の充血した目はカッと開き三人が消えていった道に唾を吐く。二人の警官もその行為に怒りを超えて拳が出そうになるのを抑えながら先生を他の警官達の元へ連れて行った。
施設から走り出したトウヤは車が通る大通りから数十メートル離れた脇道を走り抜けて行く。
二人の声に耳も貸さず突き放す様に道を抜けていくトウヤ。
「トウヤ！ 止まれって！」
土地勘のあるトウヤに徐々に距離が離され見失いかける。そして最後は広めの道路に出た瞬間、交差点の赤信号に阻まれ見失ってしまった。
「見失った……！」
「はぁ……はぁ……このままじゃあいつ」
レンが歩道の前で息を整えながら不安な思いを口に出すが、リュウトはそれを切り捨てる様にレンの言葉に重ねた。
「いや、絶対助けるんだ。友達だろ？」
真っ直ぐ前を見つめたまま言い放つリュウトに、レンは自然と笑みがこぼれる。青信号になり歩道を通り過ぎると、トウヤの痕跡がないか当たりを見渡す。しかしトウヤの姿どころかそれらしい何かも見つからなかった。
「くそ！ 何か調べる方法があればな」
宛もなく探しても体力ばかり消耗するだけでトウヤもどうなるかわからない。焦りが混じるリュウトの怒りとは反対に、珍しくレンが眉間に皺を寄せながら考え込む。
「調べるか……あっ！ なぁリュウト、お前トウヤのペンダントの魔力感じ取れないのか？」
レンの提案にリュウトは目を見開いて顔を向ける。
「その手だ！ でもちょっと待てよ……」
リュウトは目を瞑り瞑想のように集中する。人の行き交う生活音がやがて聞こえなくなってくると、少し離れた所でレンのペンダントの魔力を感じる事が出来た。
だがそれと同時に、まるで針の付いた玉を握るような鋭い魔力も感じ取る。
「この感じ……トウヤが危ない！」
集中を切ると同時に走り出すリュウト。
助けたい――。
その想いが強くなる程にリュウトの足を加速させ、段々とレンとの距離が離れ始める。レンもそんなリュウトに負けまいと足に力を込めるがその差は縮まらない。
決して憎悪がある訳では無い。だが未だにただの武器を握る自分をどこか許せない思いが込み上げていた。
