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第36話 岡山さん

 岡山さんだ。岡山さんに相談しよう。岡山さんは警察官だ。きっと、いい知恵を授けてくれるに違いない。ところが、この日は会えなかった。岡山さんは夜勤明けに練習に来ていることが多く、夜のクラスで見かけることは少なかった。決闘が何日後になるかはわからないが、それまでに会って話さないといけない。僕は翌日、母さんに「体調が悪い」と嘘をついて学校に連絡してもらい、休んだ。


 岡山さんは週に2度くらいしか練習に来ない。会えない可能性も十分にある。だが、決闘までの時間がそれほどあるとも思えなかった。祈るような気持ちでジムに到着すると、いた。僕は飛び上がって喜んだ。


 練習後、岡山さんの元に向かった。


 「岡山さん、ちょっといいですか。相談に乗ってほしいんですけど」


 岡山さんは小さな目をパチクリとさせると、少し身を乗り出して「どうしたんだい、改まって」と言った。


 僕は、洗いざらい一切を話した。


 マイが黒沢と付き合い始めたあたりから、自殺未遂をしたこと、岩出に乱暴されたのが原因らしいこと、黒沢の計略で決闘することになったこと。途中で噛んだり、早口になったりして、うまく話せたかどうかはわからなかったけど、全部話した。岡山さんは腕を組んだまま時々「うん、うん」と合いの手を入れて、うなずきながら聞いていた。


 「要するに、同級生とけんかをしなきゃいけなくなったということなのね」


 聞き終えると、岡山さんは穏やかにほほ笑んで、そう尋ねた。


 「はい」


 僕は全てを吐き出して、肩を落とす。岡山さんはうーんとうなって腕を組み直すと、静かな声で「けんかはいけないなあ」とつぶやいた。


 「やっぱりけがをさせたら、高校生でも逮捕されますかね?」


 恐る恐る聞いてみる。


 「逃げたり証拠隠滅の可能性があるなら、普通に逮捕するよ。まあとにかく、けんかはダメだよ。暴力はダメ。けがをさせて訴えられたら、言い逃れできないからね」


 岡山さんは少し強い口調で言った。表情も険しくなる。やはり、そうなんだ。


 「でも、やらないと動画を拡散されてしまいます。そんなことになったら、マイの人生はおしまいだと思うんで…」


 そうだ。これをなんとかしないといけないんだ。


 「ああ、それはたぶん、大丈夫だよ。いや、大丈夫じゃないかな。でも、黒沢くん? その子が馬鹿じゃない限り、動画は拡散できないと思うよ」


 僕の心配事を優しく拭い去るように、岡山さんはほほ笑んだ。


 「え、どういうことですか?」


 「だって、それっていわゆるリベンジポルノに相当しそうだし、今は撮影罪ってのもあるからね。それに城山くん、会話を録音したんでしょ? さっきの話を聞く限り、黒沢って子は脅迫罪にも相当するんじゃないかな。動画を拡散すれば、いろんな罪に問われるよ」


 ああ、そうなんだ…。やっぱり専門家は、よく知っているな。感心した。


 そのあたりのことを知っていれば、絶対に動画は拡散しないわけだ。黒沢は頭が良くて用意周到なやつなので、たぶん知らないということはないだろう。


 「まあ、そうだな。僕からアドバイスできるとすれば、とにかく無視することだね。決闘なんかしちゃ、ダメだよ。そもそも、決闘罪って罪があるくらいだからね」


 そんな罪があるんだ。知らなかった。


 岡山さんは「あ〜あ、高校生は大変だね」と言いながら膝に手を置いてゆっくり立ち上がると、体ごと窓の方に向いた。僕には背中を向ける形になる。


 大変です。


 どうしよう。ダメなのか。


 決闘に行かなければ、どうなる? 黒沢、岩出、マイ、そして僕の関係は、このままダラダラと続くだけだ。やらなければ、マイを救えない。勝てば今後、黒沢は僕とマイに関わらない。口約束だが、何もしないよりはマシに思えた。


 「城山くん、ここからは僕の独り言だ。聞かなかったことにしてくれたまえ」


 岡山さんは窓の外を向いたままニコッと笑うと、わざとらしく、少しふざけた感じで古風な言い回しをした。


 「殴ったり蹴ったりしてけがをさせれば、訴えられる可能性がある。最悪、相手を殺してしまう可能性もあるので、殴る蹴るは絶対にダメだ。それでもけんかをせざるを得なくなった場合、どうすればいいか。最も責められないのは相手を制圧して、参ったさせればいいと思う。個人的な見解だがね」


 独り言と言うわけで、岡山さんは声をひそめてボソボソとしゃべった。


 「一番、いいのは絞め技だ。絞めて落としてしまえばいい。気絶させて、ダッシュで現場から逃げる。あとは放っておけばいい。なんてね。全部、独り言だよ」


 聞き耳を立てていると、スッとこちらに近づいてきて、真顔で「時に城山くんこそ、時間は大丈夫かね? 少し打ち込みに付き合ってほしいのだが」という。


 その後、僕は岡山さんから絞め技を習った。「柔術をやっている子なら、普通の技なんだけどね」という。柔術は火、金曜の夜にやっているのだが、道着を買わないといけないので、僕はいつも隣で自主練をして、参加していなかった。みんなワイワイと楽しそうにやっていてグラップリングとはまた違った面白さがあるというので、興味はあった。


 「僕は柔道で習ったので、犬殺しと呼んでいる。柔術ではベースボールチョークって言うんかな? クロスグリップになっちゃうから、ちょっと違うか。Tシャツを着ている人にもかかるでしょ。知っていると、便利な技なんだよ」


 岡山さんが教えてくれた技には、物騒な名前がついていた。

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