——永世守護中立王国ラクリキアから遙か大陸を隔てた、日本・西京都東区郊外のとあるアパートの一室。
『——本日、首都キアでは、おととしに不慮の死を遂げた王子・フルヴィオ・シュヴィーツ・ラクリキアの追悼式が開催されています。王国伝統の採集儀式〈狩り〉の途中、持病の発作により急逝したと伝えられているフルヴィオ王子ですが、その死には依然、多くの謎が残されており、一部では王位継承を巡る陰謀との見方もある中……』
「王子さまが亡くなって、もう二年かぁ。リアたん、あれからほんとに笑わなくなっちゃったよね……」
空色のパステルカラーのベッドにうつ伏せて、ぶんぶんと肉付きの良い足を蹴っては曲げる。そのたびに、ふさふさした軽やか濡羽色の毛並みに、桜色の毛先をした尻尾がぱたぱたと嬉しそうにシーツを叩いた。
古い癖らしく、リラックスしたときによくやっているところを見かける。おかげで地味に脚力が培われているわけだが、もっぱら癖は無意識に出るので、
「リアたんの笑顔は世界一! いや、銀河級っ!」
などと謎のガッツポーズを繰り出しつつ、頭の三角耳をぴんと立てて、オーナーの彼女は枕元に転がした球体の
無雑作に宙空へ散らばったサムネイルの背景はバラバラで、
それを「にひひっ」と、涎を垂らさんばかりの悪笑いで
「ねね、
デフォルメされた狼のキャラクターがプリントしてあるシーツで仰向けになりながら、唐突にナルミが
『気概は相変わらず大したものです、マスター。相手方がリアルプリンセスでなければ、ですが』
ナルミの左耳、そのこめかみ近くで黒髪を留めているヘアクリップ。
彼女の故郷でしか育たない、薄桃色の低木花の花びらを模したアーモンド形の薄型の筐体。
それが、
「もう王女さまじゃないよ。来週にはリアたん、ラクリキアの女王さまになるんだから。ああ〜新入社員で継承式、みられるかなあ。ずっと非公開だったし、たしかな
センサの集合体ともいえるボディでナルミの興奮状態を感じ取り、彼女の元へやってきた十二年間のデータから次の展開を予測する。次いで、ボディに格納している
『そもそも——』
そうしてボディ先端の切り欠きを、発語に合わせて緑葉色にチラつかせつつ、極めて冷静に言葉を返す。
『自身のスナップショットをハァハァしながら、鼻血まで流して毎日眺めまわす相手と、近づきになりたくないのは、人間の生理現象として真っ当かと、マスター。……はい、ティッシュ』
「だから『マスター』はやめてってば。——わわっ、ルカルカがっ!」
キャラクターの名前を叫びつつ、ナルミは絶妙のタイミングで手渡されたティッシュペーパーを鼻へ突っ込んだ。
正直、お気に入りのシーツを鼻血で汚すかどうかより、ナルミにはもっと自身の
自分は、
「あたし、鼻息あらくないし! 肺活量が多いだけだし! 入社試験の年齢制限さげてくれたし、リアたんは心が広いんだよ!」
『はい、そうですね。とにかく落ち着いてください。またルカルカが血塗れになってしまいますよ』
こんなときでも、かのプリンセスにナルミはぞっこんだ。抗議してくるナルミが見上げた透過天井は、プリンセスのポスターで埋まっている。
とはいえ、ナルミの頑張りは自分がいちばんよく知っているつもりだ。だから彼女のテンションが上がるのも、わからなくはない。
わからなくはないからこそ、これから待ち受ける“新生活”のリスク評価をするだけで、思考回路が焼けつきそうだった。
『マスター。その歳で大学を卒業した努力は、サポートアルゴリズムのワタシも誇らしいです』
「へへっ。ありがとっ、アレッサ。いつもアレッサが支えてくれたおかげだよ。アレッサはあたしの大親友!」
『ですが! 言うまでもなく、健康が第一ですからね? マスターの心臓は、微妙なバランスのうえで動いています。ワタシが見張っているかぎり、危険が及ぶことはありません。しかし、マスターも知っているとおり、お祖母様から譲り受けたこの心臓は……』
「――
そう言ってナルミが静かに胸に手を当てるのが、センサ越しに伝わった。
白いキャラクターシャツの膨らみの下、古い傷痕が残る胸で、ナルミの祖母から移植された心臓が、年齢を感じない力強い拍動を打ち続けている。自分に蓄積された医学データと照らし合わせても、申し分ない働きだ。
それでも、〈LCファーマ〉が開発した未承認のハイブリッド心臓置換術によって移植された、御年八十八の心臓は
それに、たとえ動き続けたとしても、
彼女がユニーカを行使するたび、この心臓は激しく消耗していくのだから。
「だからあたし、ラクリキアに——〈LC・ファーマ〉に行くんじゃん。おばあちゃんがくれたこの命で、今度はあたしがほかの誰かの命を救うの。あたしみたいな人をなくすために、最高の人工心臓を開発する。それが、おばあちゃんとの約束だから」
『……約束。ええ、そうでしたね。……あ。マスター、大変です。搭乗便の予定時刻が繰り上がっています。天候不良を回避するためだとか。あと一時間で離陸です』
「えぇっ⁈ やばっ‼」
跳ね起き、壁に昨晩から掛けておいたフレッシャーズスーツへ、ナルミが手早く着替えていく。そんな孫娘の門出を祝うように、多機能ディスプレイを兼ねた壁で、ナルミの祖母の写真が微笑みかけていた。
『荷物はまとめてあるんですから、慌てず急いで怪我しないように——』
「わわわっ⁉」
言った矢先から、ナルミがつま先をベッドの
そうしてジャケットの内ポケットから、分厚い羊皮紙の封筒を丁寧に取り出し、微笑む祖母の写真へと薄い胸を張って掲げた。
「——おばあちゃん、いってきます!」