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第2話:幼女と、クレーマーと、翼を持つ狼

「——でっけぇ! なにあれ、立体映像ホログラムの毛?」

「——機体の装飾、ぜんぶ純金らしいって」

「——さっすが、世界イチの金持ちのやることはゴージャスですね」


 ターミナルビルの窓越しにその偉容を目にして、ナルミと同じ、受験生らしい搭乗客たちの口から三々五々に感想がこぼれ出す。

 注目を集めるのは、ターミナルと搭乗口を接続された一機の航空機だ。

 広大な西京国際空港の駐機場、そのだだっ広いアスファルトの大地に燦然と陽の光を返す流線形の華麗さは、画一化された量産機が離着陸を繰り返すなかでひときわ際立つ。


 黄金で縁取られ、白磁の純潔をまとった機体。

 その翼には可動式フラップの切れ込みが走り、波打つように細かく上下を繰り返す。文字通り、離陸準備のための動作は飛び立つ前の猛禽を思わせる静かな躍動だ。

 垂直離着陸を可能にする支脚は通常のひょろりとした頼りないものに代わって、骨太な四本脚が優雅な機体を支える。緊急時の着水を想定しているという“カギ爪”が、銀色の輝きを放って肉食獣の獰猛を誇示する。

 そうして搭乗客が乗り込む機体の胴を見やれば、吹き付ける風に宝玉の虹色のがささやきを交わしていた。


「——ホログラムじゃないよ。あれはね、極微彩機能線維カラーリングナノファイバーって言って、軽量化と空気力学をもとに飛行を安定させるシステム。ハイギス陛下がロッデンさまの一言からインスパイアされて実用化したって言われててね……」

『また“フリークス”トークが始まりましたか……。皆さん、情報源ソースは検証済みです。拡散シェアするときはハッシュタグを正確に——』

「——〈国王日誌キングズログ世位歴せいれき二〇二一年五月四日のメモかのっ!」


 クラシック音楽が流れ、比較的落ち着いたざわめきが包んでいた通路ボーディング・ブリッジ内。そこに突如、少年とも少女とも取れる舌足らずな嬌声が響いて、自然と沈黙が降りてくる。


「えっ⁉ 三時間の限定公開記事を読んだの⁈」


 こんなところで自身の“濃い解説フリークストーク”に関心を示してくれる相手がいるとは思わなかったのだろう。勢いよく振り返ったナルミの耳元で、ヘアクリップの自分のカメラが、突進してくる小さな人影を捉えていた。


「ラクリキア王の日誌じゃぞ! 深夜じゃったが、読まない手はなかろっ!」


 一同の注目を集め、だが眼中にないといった様子で幼子特有の短い歩幅が、厚手のカーペットに足音を複製していく。

 栗色のお下げ髪を跳ねさせて、その合間からのぞく小さな獣耳がぴくりと動く。自然と道を譲った人垣に挟まれたその身長からして、歳は十歳前後といったところだろうか。くりっとした鳶色の目が妙に大人びていて、どこしれない威圧感を与える印象を受ける。おかげでつい、警戒態勢を取ってしまいそうになる。


「でしょでしょ! UTC協定世界時マイナス八だもんね。あたし、前の日から眠れなかったし!」


 かろうじて対象の走査スキャンを堪えられたのは、ナルミの、“話の合う相手”を見つけた興奮を察知したからだ。まるで生き別れた姉妹の再会よろしく、熱い握手を交わす謎の幼子のあどけない頬が上気していた。


「妾……わたしもぞ! まったく、アイナめ。夜ふかしはなりません、とか言いおって危うく見逃すとこだったぞ。アクセス制限をかいくぐるのはひと手間なんじゃからの」

「だいじょうぶ! あたし、アーカイブしてるからあとで見せてあげる!」

「ほんとかっ⁈ よもや、六月七日のログも残っておるのかっ⁉」

「もっちろん!」


 手を握り合い、その場で飛び跳ねる少女二人の姿は微笑ましい。——が、それを疎ましく感じた者もいたようで。


「——いつまでペチャクチャ駄弁ってる! 受験生だったら周りの迷惑も考えろよな。おまえらのせいで遅刻したらどーしてくれんだ? てか、おまえら本当に〈LC・ファーマ〉入社試験の受験生か? ただのガキじゃねぇかよ」


 搭乗客の一人、集団から離れていた緋色スーツの男性が声を荒げてくる。美形に入るだろう相貌の側頭部を撫で上げ、細く吊り上げた苛立ちの目を向けてきていた。その口元から、鋭い犬歯がわずかに覗いている。

 たちまちナルミの心臓が強く脈打ち、恐怖から来るパニックでいっそう早鐘を打ち始める。


「ご、ごごご、ごめんなさいっ……」


 あれほど嬉しそうだった声音がひどく取り乱し、ナルミは頭を抱えてしゃがみ込んだ。


『ゆっくり息を吸って。ナルミ、大丈夫です。アナタのせいではありません。ワタシが傍にいます』


 縮こまるオーナーに、自分は強烈な後悔をおぼえていた。彼女が社会に出ていけば、こういう事態が起こるのは簡単に予想できたこと。それを防ぐのが自分の役割なのに、「ラクリキアに行くの!」と目を輝かせるナルミを止めることができなかった。

 だからつい、スピーカーをついて出たのはネガティブな言葉だった。


『……帰りましょう。マスターの知識があればオンラインでだって——』

「——イヤっ!」「——妾の友をいじめるなっ!」


 重なった言葉はどちらも、抗う者の意志だった。

 ——その意志の言葉に、甲高い咆哮が飛翔する。

 ——それは、大鷲のような鋭い嘶きだった。

 ——同時に、百獣の王の猛々しさを持つ、生きものの王者としての喚声だった。


「——天狼の、声?」


 うずくまっていたナルミが、弾かれたように顔を上げる。

 そのバイタルはまだパニック状態を脱していないが、ポジティブな興奮がセンサ越しに自分へ伝わってくる。

 生粋の"ラクリキアフリークス"のナルミには、生物として警戒感を抱くはずの猛獣の哮りが、耳心地の良いサウンドか何かに聞こえるらしい。一時期は着信音にまで使っていたのだから、まさに筋金入りだ。

 と、ナルミを敵意から庇うように正面に立ちはだかっていたお下げ髪の口から、皮肉げな言葉がもれ出てくる。


「……もう妾に気づきおったか。鼻が利く狼よの」


 挑戦的な言葉と裏腹に、幼子の高いキーの声には隠しきれない哀しみがあった。それでいて握りしめている小さな拳が震えている。アルゴリズムである自分が初めて耳にする、複雑な感情のこもった声だ。


「のう、おぬし。おぬしさえよければ、その、名をおしえてくれぬか?」

「わ、わたし⁉」


 唐突に名を訊かれ、面食らったナルミの上ずった声が続く。訊いた側の幼子はそれを否定の意味にとったのか、振り返った目を落とし、


「……嫌ならいいんじゃ。わすれてくれ。すまぬな」

「——ナルミ! あたし、桜田ナルミだよ! はじめまして!」


 そんな幼子の手を取り、ナルミは全力の笑顔で自分の名前を相手に伝える。

 素性の知れない相手に本名を明かすのはいささか無用心な気がしないでもないが、そういう些末ごとを気にしないのがオーナーの良いところだ。そのくせ、相手の名前を無理に尋ねはしない気づかいはしっかりできる。


「サ、サクラダ……」

「ナルミでいいよ! あたし、お下げちゃんって呼んでいい?」

『マスター、初対面の相手方にいくらなんでもそれは……』


 諫める言葉が出掛けて、無邪気な笑い声に吸い込まれていく。


「それはよい名じゃ! 気に入った! こちらこそ、よろしく頼もう、ナルミ」

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