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第3話:赤髪の女狩人

 ——受験生の大下イブキは、確かに苛立っていた。


〈LC・ファーマ〉入社試験受験生のため、ラクリキア王国が特別に用意してくれた専用機。

 専用機だから、受験生が全員集合するまで出発することはない。

 ましてや、峻厳な連峰に囲われた王都へ向かう機体だ。その険しい気象に合わせ、荒天での飛行も難なく遂行可能なカスタマイズを施してある。

 だから天候を理由に離陸時間の変更が為されるはずもなく、受験生たちへの突然の通知は、試験がすでに始められていることの証左だった。

 ——が、イブキはそんな仕掛けに気づく余裕もなく、自宅でいびきをかいているところに通知を受け取った。

 急いで昨晩のパーティーで着ていたスーツを羽織り、ギリギリ空港に着いてみればなぜか、イブキのIDが認証されない。結局、これは機材トラブルだったわけだが、ただでさえ寝不足で気が立っていたイブキは大いに苛立ちを溜めるものとなった。

 そうして今度は目の前で子ども二人が、騒がしくはしゃいでいた。

 ここは節度ある大人として叱ったわけだが、思いのほか声が大きかったのか、ヘアクリップを付けた子どもが座り込んでしまった。


「——妾の友をいじめるなっ!」


 小さいほうの子どもは意外にもへこたれず、ばかりか、妙な威圧感のある目で睨んでくる。——在りし日、同じような小さな人影がイブキの傍にはあって。


「……おれ、は」


 戸惑いと罪悪感からみっともなく後ずさったところで、追い打ちを掛けるようにイブキの恐怖を煽る咆哮が降ってくる。


「お、おい! なんだってんだ⁈」

「天狼の、声……?」


 われながら情けない声だと自覚しつつ、自分の思考よりも早く、叱った子どもの口から恐怖の原因を知らされる。


 ——天狼。

 双翼を生やし、空と草原を駆けるおそるべき狼。

 ラクリキアと関わる者なら——否、このルカリシアに棲まう者なら、その名と咆哮を耳にしたことのない人間はいないだろう。

 それは、イブキとて変わらない。

 むしろ、イブキには身に覚えがありすぎて、抜かした腰が浮き上がる。


「バケモンがっ! キョウコとライキの仇、おれがぜってぇ取ってやるからな……っ!」


 喉の奥から、獣じみた低い唸り声が漏れる。哀しい過去の場面がイブキの頭をよぎり、束の間、身の内を焦がす怒りの炎に目の前が暗くなる。

 忌々しい狼どもは、あろうことか世界中で手厚く保護され、容易には手を出せない。——が、大義名分を持って奴らに近づける場所がある。

 それがイブキを王国へ駆り立てる動機であり、生きる意味だった。


「まさかこんなとこで見かけるとはな。わざわざ飛ぶフライト手間が省けたぜッ!」


 疾風に凝縮された空気がイブキの痩躯を包み込み、搭乗口の狭い通路を圧迫する。叫び声や止める言葉を聞いたような気もするが、上空を旋回しているだろう巨影から怒りの目を離さないイブキの耳には届かない。

 どの天狼だろうと、イブキには同じことだった。

 翼を生やし、平然と人を襲う狼は、どれでも家族を牙にかけたケダモノと変わりはない。


「けっ! いいパワーじゃねぇかよ」


 復讐のため、地下アンダーグラウンド個有能力促進剤ユニーカ・ブースターにまで頼った。身体中が軋むが、おかげで戦う力を手に入れた。

 あとは飛翔し、憎き仇を墜とすだけ。

 そう考え、蓄えた風の力を解放する。

 ——が、イブキの身体が搭乗口の天井を突き破ることはなく。


「——自棄やけになるんじゃないよ」


 誰かに肩をはたかれた、とイブキが感じたときには、空気が抜けたように身体から力が解けていた。

 次の瞬間には視界が横倒しになり、カーペットの柔らかさを荒れた頬で感じていた。いつの間にか両手が背後に縛られ、金属の感触から手錠を掛けられたのがわかった。ひんやりした感覚のせいか声が出ず、あれほど自分を焦がしていた怒りさえ、冷えていくのがわかる。

 そうして、妻と息子の葬送で嫌というほど嗅ぎ慣れてしまった香の薫りでじーんとなった目の端を、厚底のブーツが進んでいった。


 ——キツい香水は嫌いだったな、キョウコ。


 ただブーツを見送りながら、なぜかそうイブキは思い出していた。


 *   *   *


 唐突に姿をあらわしたを、その手の者だと瞬時に見抜けた搭乗客はほとんどいなかった。

 それができたのは、狩人の特徴的な香りを嗅いで、ハッと記憶の引き出しが開けられた数人のみだ。

 そのなかには当然、オーナーであるナルミも含まれている。


「〈フェリーナ〉のクルー! ブリッジを格納しな! アタシが出るよっ!」


 真っ赤な毛糸のマフラーへ顎を沈め、指示を飛ばした赤毛の狩人。その姿を見て取った、ナルミの口から彼女の名前がこぼれ出る。


水書みずがきチヒロさん⁉ きょうの案内人って、水書さんだったんですか⁉」

「ミズガキチヒロ……。ふむ、極東唯一の天狼域ヘリテージ登古知とこしれ矛長ほこおさか」


 とは、こともなげに知識を披露した“お下げちゃん”の言だ。


「おや、アンタたち二人、やたら詳しいわね。ひょっとして、筆記試験のワンツー組かい?」

「妾ら受験生が点数を知れるか!」

「えっ⁈ お下げちゃんもテスト受けに行くんだ⁉ あたし、てっきり迷子かとおもってた」

「えぇいっ、見た目で判断するでないっ!」

「ご、ごめん!」


 拝むように手を合わせたナルミと幼子のやり取りに、女狩人は楽しげに細い尻尾を揺らした。


「いいコンビだね、アンタたち。大きくなったら狩人選抜、受けにきなよ」

「じゃぁから! 人を見た目で判断するでないっ!」

「お下げちゃん落ちついて、リラックスぅ、深呼吸〜。……あの、あたし、今年の〈狩人名鑑〉読みました! 『線香の香りをまとい、天狼へ挑戦的な態度を示す熱血狩人ファイター・ハンター』って、毎年とおなじ説明が。もしかして水書さん、いまから……?」

「ったく、うちの副頭領サブリーダー、好き勝手書いてくれちゃってんだから」


 はぁ、と短く吐息をつき、肩をすくめてみせるチヒロ。

 そうして耳元イヤコムに手を当て、かすかに頷いてみせると、髪の紅より深い黒瞳が横へ向けられた。優雅な機体へ続くブリッジが収縮し、夏空の鋭い陽射しが別世界への門さながら待ち構えていた。


「ラクリキアに行くってんなら、わかるとおもうけどね。相手の本気には、こっちも本気をぶつけるのが筋、ってもんだろ?」

「じゃあやっぱり、ひとりで〈狩り〉を……?」

「こんな都市部までやってくる個体は、凶暴なやつがほとんどだよ。放っておいたら、怪我人が出る」

「保護して、天狼域に連れていくんですよね?」


 直接ナルミの問いに答えず、女狩人はただ口の端を上げてみせる。それから「二人とも、ここから出るんじゃないよ?」と念を押し、


「あそこのオッサンには、アタシがあとで話を聞くから鍵、預かっといて」

「お、おっさん!? うわぁっ⁈」


 放られた小さな鍵をなんとかキャッチし、駆け出すチヒロの赤毛をナルミが目で追う。その傍で、お下げ髪の少女が冷えた言葉をこぼす。


「あれは、命まで取らぬ者の目じゃ。愚かよの。狩られるまえに狩るのが、あるべき運命さだめというに。……どうしたんじゃ、ナルミ?」

「——あたし、見てくる」

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