目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第4話:憧れの翼

「——ナルミ?」


 新しくできた友——“お下げちゃん”に名前を呼ばれたとき、ナルミの心は梅雨空のような分厚い不安でいっぱいだった。

 明確な肯定を避けつつも、〈狩り〉の実行をほのめかした、この国では珍しい赤毛の女性——水書チヒロ。

 チヒロの“ハンティングスタイル”は、激烈なことで知られている。時に、その苛烈な手腕は天狼を死に至らしめる、という噂もあるらしい。


 噂は、よまいごとだ。

 そう思って鵜呑みにはしていないが、気になることもあった。

 この二年あまり、命の奪い合いを厭わない過激な〈狩り〉を褒めたたえる声をよく耳にする。

 ときどき情報交換の場に使っている愛好家オタクのコミュニティでも、『バケモノをよくぞ倒した』とか『天狼を狩り尽くせ』という言葉を頻繁に見かける。

 天狼を手にかけることを禁忌とする〈狩人〉に限って、そのような事実はあり得ないと、ナルミは考えていた。


 ——けれど、近ごろは〈狩人〉を表立って非難する声も聞く。

 それに呼応するように〈反守護者同盟フォールド・ムーン〉なる、“砕けた月”をシンボルにした正体不明の思想集団の名前も目にするようになった。


(むずかしいことはあたしにはわからない。……だけど)


 なぜ、天狼がここに現れ、獲物を探すように上空を旋回しているのか、ナルミにもわからない。

 ただ、高鳴る鼓動と、女狩人の背を追って自然と踏み出たその足に、強い衝動があったのは確かだった。


(水書さんは、天狼を仕留めるつもりなんだ)


 確信に近いこの直感は、他者による評価とは無関係だ。

 チヒロ自身が言っていた通り、天狼域から遠く離れた、ここ西京まで飛んでくるような天狼は、危険だとされている。“はぐれた”天狼は、自然界の頂点に君臨する孤高の獣ではなく、空腹を満たすため牙を剥くだけの野獣。

 稀に姿を見せる彼らの牙にかかって命が失われる、というニュースを目にするたび、ナルミは胸が締め付けられるようだった。

 だからチヒロは躊躇わないはずだ。

 彼女は〈狩人〉であり、その名が示す通り、天狼を狩ることこそ、〈狩人〉の務め。天狼を狩り、護り、人間と共存する道を切り拓く。――それが、ナルミの知るラクリキア王国の〈狩人〉だった。


(でも……!)


 ナルミはただ、悠々と大空と大地を翔ける天狼の姿が好きだった。彼らと絆を結び、護り、共に歩む〈狩人〉に憧れていた。

 その理想がラクリキア王国であり、ナルミには王女ヴァヴァリアがその象徴シンボルだった。

 だから、誇り高い〈狩人〉が天狼を手にかけることを、ナルミは見過ごせなかった。

 たとえ何もできなくても、ここで黙って命の奪い合いが済むのを待ってはいられなかった。


「——あたし、見てくる」

『なにを言ってるのです、マスター! 狩人ミズガキに待機しろと……』

「このままじゃ、水書さんか天狼、どっちかが死んじゃうっ!」

「生きとし生けるものの運命じゃろ! おぬしも死ぬつもりか、ナルミ!」

「だいじょうぶ。あたしには、おばあちゃんがついてるから」


 アレッサとお下げちゃんの静止を振り切り、ナルミは己の胸に手を当てる。

 受け継いだ命の鼓動が温かく、力強く脈打つのを感じた。


『ナルミ! 駄目ですっ! いまの貴方の身体で個有能力ユニーカを行使するのは命の危機が——』

「——ごめん、アレッサ」


 サポートアルゴリズムの忠告を遮り、そっとつまんでポケットへ仕舞う。

 そうして、ナルミは駆ける速度を上げていった。

 目指すは、ボーディング・ブリッジの向こう、天狼の咆哮とうねる炎の轟音が響く野外。


「おねがい……! 力を貸して、おばあちゃんっ!」


 どくんと、胸の中央がひときわ強く、拍動した。

 その鼓動がトリガーとなって、ナルミは、自分の背にが顕現する力強さを感じていた。

 それは、まるで優しく背中を押すような温もりだった。

 だからナルミは怖くなかった。

 金属の縁を蹴り、夏の陽射しのなかへ飛び出していく。


 ——そうしてナルミの背で、二対四枚の翼が羽ばたいた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?