「——ナルミ?」
新しくできた友——“お下げちゃん”に名前を呼ばれたとき、ナルミの心は梅雨空のような分厚い不安でいっぱいだった。
明確な肯定を避けつつも、〈狩り〉の実行をほのめかした、この国では珍しい赤毛の女性——水書チヒロ。
チヒロの“ハンティングスタイル”は、激烈なことで知られている。時に、その苛烈な手腕は天狼を死に至らしめる、という噂もあるらしい。
噂は、
そう思って鵜呑みにはしていないが、気になることもあった。
この二年あまり、命の奪い合いを厭わない過激な〈狩り〉を褒めたたえる声をよく耳にする。
ときどき情報交換の場に使っている
天狼を手にかけることを禁忌とする〈狩人〉に限って、そのような事実はあり得ないと、ナルミは考えていた。
——けれど、近ごろは〈狩人〉を表立って非難する声も聞く。
それに呼応するように〈
(むずかしいことはあたしにはわからない。……だけど)
なぜ、天狼がここに現れ、獲物を探すように上空を旋回しているのか、ナルミにもわからない。
ただ、高鳴る鼓動と、女狩人の背を追って自然と踏み出たその足に、強い衝動があったのは確かだった。
(水書さんは、天狼を仕留めるつもりなんだ)
確信に近いこの直感は、他者による評価とは無関係だ。
チヒロ自身が言っていた通り、天狼域から遠く離れた、ここ西京まで飛んでくるような天狼は、危険だとされている。“はぐれた”天狼は、自然界の頂点に君臨する孤高の獣ではなく、空腹を満たすため牙を剥くだけの野獣。
稀に姿を見せる彼らの牙にかかって命が失われる、というニュースを目にするたび、ナルミは胸が締め付けられるようだった。
だからチヒロは躊躇わないはずだ。
彼女は〈狩人〉であり、その名が示す通り、天狼を狩ることこそ、〈狩人〉の務め。天狼を狩り、護り、人間と共存する道を切り拓く。――それが、ナルミの知るラクリキア王国の〈狩人〉だった。
(でも……!)
ナルミはただ、悠々と大空と大地を翔ける天狼の姿が好きだった。彼らと絆を結び、護り、共に歩む〈狩人〉に憧れていた。
その理想がラクリキア王国であり、ナルミには王女ヴァヴァリアがその
だから、誇り高い〈狩人〉が天狼を手にかけることを、ナルミは見過ごせなかった。
たとえ何もできなくても、ここで黙って命の奪い合いが済むのを待ってはいられなかった。
「——あたし、見てくる」
『なにを言ってるのです、マスター! 狩人ミズガキに待機しろと……』
「このままじゃ、水書さんか天狼、どっちかが死んじゃうっ!」
「生きとし生けるものの運命じゃろ! おぬしも死ぬつもりか、ナルミ!」
「だいじょうぶ。あたしには、おばあちゃんがついてるから」
アレッサとお下げちゃんの静止を振り切り、ナルミは己の胸に手を当てる。
受け継いだ命の鼓動が温かく、力強く脈打つのを感じた。
『ナルミ! 駄目ですっ! いまの貴方の身体で
「——ごめん、アレッサ」
サポートアルゴリズムの忠告を遮り、そっとつまんでポケットへ仕舞う。
そうして、ナルミは駆ける速度を上げていった。
目指すは、ボーディング・ブリッジの向こう、天狼の咆哮とうねる炎の轟音が響く野外。
「おねがい……! 力を貸して、おばあちゃんっ!」
どくんと、胸の中央がひときわ強く、拍動した。
その鼓動がトリガーとなって、ナルミは、自分の背に
それは、まるで優しく背中を押すような温もりだった。
だからナルミは怖くなかった。
金属の縁を蹴り、夏の陽射しのなかへ飛び出していく。
——そうしてナルミの背で、二対四枚の翼が羽ばたいた。