「——ナルミ!?」
他の受験生たちが唐突な事態に追いつけず、
空港に標準搭載された
「あんまり近づいちゃ、危ないよ」と、親切心から乗客の一人が、機体から引き離されたブリッジから身を乗り出した“お下げちゃん”——ムーカ・ゼニアの背に声をかける。が、幼い背格好は振り返りもせず、「たわけ!」の一言で黙らせた。
今、ムーカの眼前で
一足はやく状況を飲みこんだらしい赤髪の女狩人——水書チヒロが、己の
(妾は、どうすればよいのじゃ……?
自分には、ナルミを助けられる
自分が力を使えば、間違いなく計画は破綻する。
水書チヒロは変わり者の〈狩人〉だが、王国の歴史を身につけた〈狩人〉には違いない。ナルミを助けるため、力を行使すれば、瞬時に勘づくだろう。
おまけに、ムーカの背後では乗客たちが、野次馬精神からカメラのシャッター音を絶えず切らさない。力を行使した姿がネットにアップされれば、王国に勘づかれるのは時間の問題だ。
「——っ!」
葛藤するムーカの脳裏を哀しみの記憶が駆け抜け、知らず、生え替わってまもいない奥歯を噛み締めていた。
それは信じたものに裏切られた記憶であり、同時に信じたものを失った瞬間だった。あれからムーカの心は、暗い、海底に沈んだままだ。
だからムーカは決意した。
自分の身に架せられた呪いを使い、復讐を遂げてみせると。
それは心を歪ませるには充分すぎる動機だったが、ムーカはむしろ心が軽くなった気がした。これで、すべてを奪っていった王国へ、復讐を果たせる。
その機会を今、友だと言ってくれた少女の危機を前に自ら手放そうとしている。出会って数分もない相手にそこまで想いを寄せている自分に、ムーカはただ驚くほかなかった。
——ご両親と兄上を牙にかけた無慈悲な獣を、かの王国は崇め守護しているのですぞ。
無意識に伸ばした腕を引き戻すように、ムーカの脳裏をしゃがれた言葉が木霊する。すーっと、身体から熱が引いていき、海底から浮かび上がりかけた心がまた、静かに沈んでいった。
(たいせつなものを失うのは――もうイヤじゃ!)
「
きつく閉じたまぶたをパッと見開き、
今の自分には、これくらいの短い
そうしてムーカの言霊が、即効性の毒のように天狼の聴覚を伝い、効果がすぐさま発現する。
「——キャンッ」
墜落直前の天狼が巨躯を捩り、主に服従を示すように腹を上に向けた。猛禽よりはるかに分厚い両翼が仔を抱くようにナルミの身体を包みこみ、衝撃から守る繭を形作る。
あれほど殺意を丸出しにしていた
鈍い、だがはっきりとした墜落の衝撃音が、ムーカのいるブリッジまで伝わってくる。
乗客から悲鳴が上がり、束の間、シャッター音が静まった。撮られた可能性はあるが、事は一瞬。偶然、天狼が下敷きになったとしか見えないに違いない。
「オプラ……」
名前が口を衝いて出ていた。
聞いたムーカ自身が、誰より驚きに目を見開いていた。頬に熱いものが伝い、急いで拭ってみれば、汗ではないとわかる雫が指先を濡らしている。
誰かが呼んだらしい緊急車両のサイレンが耳に届き、慌ててムーカは乗客の集団へつま先を向けた。複数の好奇の視線を感じ取ったが、ムーカより今しがたの“捕りもの”のほうにそそられるらしく、声をかけてくる者はいない。
「おぬし、
「イブキだ! ガキのくせして態度がデカい……痛てっ!」
床に転がされた言葉遣いのなっていない大人——大下イブキの腹を小突くと、大げさな反応が返ってきた。睨め上げる怒りの目を冷たく見下ろしつつ、ムーカはナルミから預かった手錠の鍵を見せびらかすように指で弄ぶ。
「まったく、情けないよのう。
「うるさいから叱っただけだろ⁈ 人様に蹴り入れといて幼気とかあるか!」
「や、やかましい大人じゃな」
再度振りかけた足をかろうじて引き留め、ムーカは泳ぐ目の焦点を窓のほうへと向ける。人だかりの合間からほとんど様子は窺えないないが、囁き合う言葉から、どうやらナルミが救助されたらしい旨は理解できた。
じき、騒ぎが収まり、受験生たちを乗せた直行便が大幅に遅れてラクリキア王国へ飛び立つ。
ナルミの謎の“力”と容体が心配だが、これ以上ムーカにできることはなかった。傷が深ければ、ナルミはラクリキアへ行けないかもしれない。
そう思うとムーカの胸の奥がズキリと痛んだ。溌剌としたナルミの笑顔と、耳心地のよい声が頭をよぎって罪悪感をいっそう抉ってくる。
(そのほうが、ナルミのためにはいいのかもしれぬ)
自分がこれから為そうとしていることと、その結果を思い描くと、そんな言い訳も思い浮かぶ。どちらにしろ、偽善まがいの気づかいには違いないが。
結ったお下げを横に振り、ムーカは余計な思念を振り払う。
優先すべきは自分がラクリキアへ行くことであり、他の事柄にかまけている時間も余裕もなかった。
そのための保険——囚われのイブキをもう一度睥睨し、口角を悪げに吊り上げたムーカは取引を持ちかける。
「のう、憐れな大人よ。おぬし、あの女狩人に目をつけられたんじゃろ? さっき、おぬしの周囲に奇妙な“風”が渦まいとったの」
「お、おまえのユニーカ、〈探知〉系かっ⁈」
「こら、他者のプライバシーを邪推するでない。妾……わたしの
「……は?」
「ユニーカは、その人物をあらわす個性じゃ。素質と言うてもいいかもしれぬ。使い手を鏡のように映す。じゃから、無理をすればユニーカが悲しむ」
「おいガキ、なに言ってんのかさっぱりわからん」
「凡人には理解できんでもよい。それと次、その生意気な口をききおったら、大泣きしておぬしに虐められたと証言するからの。……とどのつまり、おぬしはユニーカを強化したのじゃろ。それも、禁じられたやり方での」
「……脅したって意味ねぇぞ。どのみちオレはもう、ラクリキアには行けねぇんだ——」
「——連れていってやろうぞ。ただし! この妾に服従を誓うならの?」
えっへん、とばかりにムーカが無い胸を張る。
イブキが、実は呆れ返っているのだと、自分の頭のどこかからツッコむ声を、ムーカは聞こえなかったことにした。