『操り人形のような人生だった』
二十四歳独身、海宮 絵里。わたしの生涯はその一言に尽きた。
〝いい学校に入っていい大学を出れば、幸せになれるから!〟
そう親に言われ、生き方を強要され、幼い頃から受験勉強漬けの日々だった。
そうしてわたしはエリート公務員たる官僚になるも、労働現場は酷い有様。
数多の書類作成に追われ、時には政党幹部への接待にも駆り出され、心身を削り減らしていった。
なってから気付いたよ。官僚なんて所詮は、政治家たちのロボットなんだって。
かくして過労の果て、深夜の道路をふらふらと歩いていた帰り道。
ああ、その日はあまりに疲れすぎていたのだろう――背後に迫る黒塗りの車に、直前まで気付かなかった。
「あっ……」
振り返った時にはもう遅かった。
視界を染める閃光。ヘッドライトの無感動な白。
そして感じる物理的圧力の中、〝そういえば運転手さんの影が見えないなぁ。わたしと同じで、疲れて顔を伏せてるのかな〟――なんて、どうでもいいことを考えながら、
「ぎッ」
見事に轢かれて。わたしは、致命傷を負ったのだった。
『ああ……なんか色々、身体の中で潰れた感じ。これ、死んじゃうなぁ……』
吹き飛び転がり、地面を何度も撥ねる中で。わたしは確実な〝終わり〟を感じた。
酷い激痛と、それを覆うほどの眠気が脳奥よりあふれ出した。
臓器が潰れて体内が血袋になり、脳内の血が一気にその個所へと降りていったのだろう。
はは。そんなことを冷静に考えられる自分に、苦笑が漏れてしまう。
『まぁ、いいや。どうせ眠かったし』
わたしの人生はここで終わりか。苦しかったし別にいいや。
色々無駄になっちゃったけど、親への当てつけにはちょうどいいだろう。
ああ――でも。
『もしも。もしも、来世というのがあるのなら……』
薄れゆく意識の中――思い返すのは比較的自由だった大学時代。
嫁入りのためにと親に様々な習い事をさせられる傍ら、こっそりと乙女ゲームなるモノを一度やったことがある。
作者不明でネット配布されていたものだ。けど冒険パートなどもあるハイクオリティの有名作らしく、また自由に使えるお金がほとんどないわたしにはありがたかった。
『あのゲームの、エンディング――』
そのゲームの主人公は上手くいけば王子と結婚できる。
しかし、失敗すれば悪役令嬢に追い落とされ、周囲全員から見限られて、田舎にドロップアウトさせられるのが常だった。
いわゆるバッドエンドという終わり。けど、
『いいじゃない。田舎でのんびりできたら、最高じゃないの……』
なにがバッドなのかわからない。
そんなエンディングに、わたしは仄かに憧れを抱いていた。
ゆえに、
『わたしもそんなふうに、どこか遠くでのんびり暮らしてみたいなぁ……』
もう親にも誰にも縛られることなく、自由に気楽に――。
「…………今度こそ、自分だけの人生を…………」
わたしはそんな来世を願って、瞼を閉ざしたのだった。
◆ ◇ ◆
で。
「まさか、本当に来世があるなんてねぇ」
目を覚ました時、わたしは空を見ていた。
広がるのは、雲ひとつない青空。真昼の日差しはじりじりと肌を焼き、耳元では草むらがさやさやと風に揺れている。鼻腔に感じる自然の香りが久々すぎて心地いい。
小さな手をあてどなく伸ばすと、指先にテントウムシが止まった。どっか行きなさい。
「それはそうと、痛いわね」
全身に鈍痛が走っている。どうやらわたしは、馬から落ちたらしい。
近くにはあわあわと立ち尽くすオス馬がいて、次に「エリシアお嬢様!」と叫ぶ使用人たちが寄ってきた。
「お嬢様が落馬されたぞ!?」
「どこかお怪我は!?」
「す、すぐに医療系の概念魔術師をお呼びします!」
青い顔で騒ぐ燕尾服の者たち。
それも仕方ないか。彼らの見守る範囲で『今のわたし』が傷付こうものなら、最悪クビどころか首が飛ぶのだから。可哀想。
「大丈夫よ、問題ないわ」
見ていられないからさっさと起きる。
少々打ち身したようだがまぁ平気。車に轢殺された痛みと比べたらねぇと思いつつ、〝す、すんません! 自分屠殺っすか!? 馬肉っすか!? 最後にサツマイモ食べさせてください!〟的な表情で顔を寄せてきたオス馬を撫でてやる。
こいつは今日からサクラニックと名付けてやろう。
「お、お嬢様……!?」
「今のはわたしの不注意による落馬よ。心配かけたわね」
「いっ、いえいえいえいえいえ!?」
ぎょっと驚く使用人たち。
それからヒソヒソと「エリシアお嬢様が、私たちを案じてくれた……!?」「人形みたいに黙ってるか、口を開けばめちゃ辛辣なお嬢様が……!?」「冷酷なお嬢様が嘘だろ!? 幻聴か……!?」と内緒話する使用人らに溜息を吐く。聞こえてるわよっと。
「はは……冷酷なエリシアお嬢様、か」
苦笑交じりに呟いてしまう。
そう――それが今のわたしの名前。エリシア・フォン・フェンサリル。十歳。
先ほど思い出した前世とは天地ほども立場が違う、大国の辺境伯令嬢サマだ。
ていうか、
「エリシアって、前世でやってた乙女ゲーの悪役令嬢じゃないの……」
因果関係、どうなってるわけ?
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【Tips】
・『エリシア・フォン・フェンサリル』
十歳。転生者。旧名は海宮 絵里。辺境伯領・フェンサリル家の長女。妹がいる。
宿した概念魔術は【繰糸】。誓約行動は指パッチン。
人形のように物静かだが、辛辣な性格をしていたらしい。
このたび前世の記憶に目醒め、自分が〝乙女ゲーの悪役令嬢〟であることを把握した。
「因果関係、どうなってるわけ?」
・『馬』
フェンサリル家のオス馬。馬種はゴドルフィンバルブ。三歳。好物はサツマイモ。
調子に乗りやすいところはありつつも、社会の厳しさを弁えているタイプ。
このたび振り落としてしまったエリシアに、『サクラニック』という素晴らしい名前を戴いた。
ちなみに東国には馬肉を『桜肉』と呼ぶ風習があるようだが、たぶん関係はないだろう。
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