私は、町から町へ、色んな国と都市、町、村を回り、現在とある町に辿り着いた。
比較的発展していて、小さいながら港と、近くには森林がある賑やかな港町。
宿は1階が酒場兼食堂と、2階が宿泊部屋。隣には市場。
立ち寄る目的としては、次の町に行くまでの食料と仕事探しだ。
「町に入る目的は、観光? 仕事?」
「両方です」
他の町同様のやり取りをする門番兵は、ちらちら見てくる。
「何か?」
「精巧な剣と鎧だ、国の騎士でも?」
「いいえ、ただの旅人です。この剣も鎧もごく普通の武器屋で売っている代物ですよ」
飽きを通り越して、無になれる質問を、軽く流した。
「そうか、女性1人の旅は危険だ。悪いことは言わない、ここで仲間を集めた方がいいぞ」
「ご忠告ありがとうございます」
仲間か……以前一緒にいた仲間はかなり感情的で苦手だった。ほぼ一方的な衝突を幾度と繰り返した結果、解散。もし探すなら、冷静に動ける仲間がいい。
門番兵の忠告を受け流し、まずは宿に向かう。
「いらっしゃい」
日没までまだ時間はあるが、酒場は賑わっている。
この町の住民はもちろん、冒険者や兵士、壁際で辺りを鋭く観察する者もいた。
「1泊、お願いできますか?」
「はいよ、うちは前払いだ。明日の昼までに鍵を返してちょうだい」
「問題ありません、ありがとうございます」
前払いを済ませて、鍵を受け取る。
2階の宿泊部屋は全部で5部屋と、思っていたより少ない。
鍵の番号を確認して階段近くの扉を開ける。
窓は左ベッド側に1か所、クローゼットに洗面台。
天井に吊るされた金属ケージに入った晶石を通して灯された温かい光。
リュックをベッドに置く。
さて、食料は明日購入するとして、今日は仕事を探そう。
酒場に行けば誰かは解決してほしい事を抱えているかもしれない。
鎧も剣も身に着けたまま、1階に下りる。
どこのテーブルもカウンターも賑わう……受付にいた女性も忙しくアルコールや食事を運んでいた。
通路を歩くだけで騒々しい視線を浴びる。
幸運にも空いていたカウンター席に座る。
「仕事を探しているのですが……魔獣退治はもちろん、借金の取り立てもします」
カウンターの内側にいる丸鼻の店主は、私を見るなり、口まで丸くさせた。
「あ、あぁーお嬢さん冒険者? 冒険者ならギルドに行けばたくさん依頼があるだろ」
「いえ、私は、ギルドに登録、してません」
「なるほど訳ありか……それなら、うーん、ないことはない」
私の身なりが気になるのか、会話中でも目線が動き回っている。
今度は何者かに目配せをする。
目線を追うと、壁際で周りを睨んでいた誰かが、ふらふらとこちらにやってきた。
赤い鼻に弛んだ肉付きの男で、髭を雑に長く伸ばし、右腕に包帯を巻いている。
「ちょっと仕事の話だ、どけ」
他の客は抵抗もなく、足早に立ち去っていく。
「アンタ、名前は?」
「アルトリアです」
「聞かない名前だ……本当にギルドの人間じゃないんだな?」
「えぇ」
「ふん、俺は普段狩人をしてるんだけどな、魔獣は専門外だ。ギルドにもフラれた依頼、魔獣退治。受けるか?」
「まず内容を、聞かせてもらえますか?」
「慎重な奴だな、四足歩行のデカい魔獣1頭だ。夜な夜な町にやってきては人を喰らってるらしい、森林の狩人小屋を根城にしてる……ここまで話したんだ、やってくれるな?」
港町に害が及んでいるのに、ギルドが断るとは到底思えない。
名のある冒険者がパーティーを組めば、簡単に討伐できるだろう。
「うーん」
「ギルドも人手不足のせいかまともに取り合ってくれん。ほら前金もやる」
丸鼻の男が金属の四角いケースをカウンターに置く。
ケースの蓋が開けば、束になった紙幣が並ぶ。
魔獣討伐にしては大きな額だ。
「相当闇深いということでしょうか」
「へっへっ、これはお嬢さんの腕を見込んだ対価さ。ギルドに所属していないアンタに選ぶ権利はあるか?」
「分かりました――受けましょう」
頬肉を揺らして笑う男からケースを受け取った。
まだこの男を信用できるかどうかは不明だが、本当の話なら調べる価値はある。
町の門番兵から情報を貰おう。
「人を喰う魔獣? そんなの人里離れた場所ならどこでもいる」
「いえ、町の近く、森林にいると聞いたのですが」
「知らないな。変な奴に騙されたのか? まぁ町の近くなら安全だ、森林までの道もちゃんと整地してある。女性1人でも問題ないだろう」
鼻で笑うような声。
増々、疑惑が深まる……とにかく、森林に向かおう――。
――整地された道の先に続く森林は人の手によって管理されていた。
出入口には分かりやすく看板と門が目印になっている。
深緑が覆う、間もなく落ちようとしている茜の陽射しが葉の隙間から差し込む。
門番兵の言う通り、町に近いこともあって魔獣の気配がしない。
森林の奥地に、狩人小屋と呼ばれる建物があった。
寂れていて、窓は亀裂が入り、扉は半開き状態で軋む音がよく響く。
『ガリガリガリガリ……――』
小屋からなにか、引っ掻く音がする。
魔獣か、ただの獣か分からないな、窓から中を覗こうにも曇っていてよく見えない。
『ガリガリガリガリガリ、ガチンっ!』
金属が外れる音。
窓から数歩下がる刹那、突然破片を飛び散らしながら、何かが外へ。
「?!」
咄嗟に剣を前にしてガードの体勢を取る。まさか、気取られた?
地面を削り滑る影の砂煙で、正体が未だに分からない。
依頼主の話は、今のところ嘘じゃなさそう。
『ぐぐぐぐぐう』
砂煙が舞うなか野太い唸り声だけが聞こえてくる。
煙幕みたく砂を使うなんて、魔獣にしては知性がある?
地面を蹴る足音は、想像より軽い。
耳を澄ませて集中しろ、アルトリア……。
『がうぅあぅるる!!』
背後! 振り向きながら斜めに剣を振り払う。
灰と茶が混じった体毛が通過していく、大きな口と鋭い牙が頬を掠める。
体を捻じらせて剣を避けるなんて……理解が追い付けない。
砂煙が薄くなるにつれ、姿が見えてきた。
四足歩行の魔獣……琥珀色の瞳をもつ、毛に覆われた体に尖った耳と太い尻尾。
右後ろ足には鉄製の足枷がついている。
足枷の鎖は途中で荒く千切れていた。
「狼?」
『…………』
黙って私を睨んだまま動かない。
デカい、と言っていたが狼の個体としては大柄な方。
魔獣の大きさとは比べ物にならないが、町に来たら大騒ぎになるのは間違いない。
いつ飛びかかってくるか、私も構えて次の動きを読まなければ……。
『………………待て!』
「なに?」
おかしい、他に誰もいないはずなのに声が聞こえてきた。
明るい少年の声、一体どこから。
『オレだよ! 目の前にいる!』
「目の前……狼が喋っている?」
『そうだよ、美しいお嬢さん』
頭がとんでもなく揺さぶられた気分だ。
あまりにも狼である存在が、大きな口で人語を話すなんて衝撃的過ぎる。
「……」
『とにかく、武器を降ろして。オレも攻撃しない、むしろ助けてほしいんだ』
落ち着け、アルトリア。
冷静を保たないといけない。
依頼は魔獣退治、狩人小屋にいたこの獣が目標だ。
『お願いだ、君はあの太った野郎に騙されてる。オレは魔獣じゃない、ただの喋る狼なんだ』
「喋る狼なんていない」
『それは、うん、まぁでも喋る狼がいてもおかしくない、だって世界は広いだろ?』
喋る狼に世界を語られるとは……人生で初めてのことだ。
だが、一理ある。会話ができるのなら、話を聞いた方がいいだろう。
「はぁ、分かった、事情を話して」
『実に賢明な判断だ!』
尻尾を横に振っている。
『あの太った野郎、オレが珍しいからって売ろうとしやがったんだ。腕に噛みついて反撃してやったら、足を繋がれて閉じ込められた。まともにご飯も貰えていない、腹が減って仕方ないんだ……頼むよ、見逃してくれ』
どうしたものか、怪しいとはいえ依頼を受けてしまったわけだ、放棄すれば厄介なことが起きる。
とはいえ嘘をついてる、偽の依頼を掴まされたとして、ギルドに報告してもいい。
しっかりしろアルトリア、とても簡単な選択肢だろう。
「人を食べたことは?」
『一度もないさ、オレはリンゴが大好きでね、リンゴだったら目が眩んで盗み食いをするだろう。人肉に興味はない』
「ふぅ、分かった、見逃す」
『本当か!? いやぁ助かるよ』
見逃すことを選んだ。
明日の朝、ギルドに今回の依頼について報告しよう。
『それじゃあ』
「待て、その足枷を外さないと」
狼は大人しく立ち止まる。
『結構頑丈だぜ、そこらへんの武器じゃびくとも――』
剣で手枷を叩くと、いとも簡単に砕けた。
さすがドワーフ……扱いには十分気を付けないと。
『おおぉう! なんて強力な武器だ。ありがとな、この借りはちゃんと返すぜ』
「別にいい、さっさと逃げろ」
調子よく尻尾を振り、礼を言って、森から出ていった――。
――港町に戻る頃にはすっかり暗くなっていた。
依頼主は酒場にいるだろう。
夜になるとさらに酒場は賑やかになっていて、座る場所がないほどに溢れかえっている。
壁際を探したが、周りを睨んでいる依頼主はいない。
人混みのなかを割り込み、カウンターにいる丸鼻の男性のもとへ。
「すみません、ここで依頼をくれた狩人はどこに?」
「あぁ、あの人なら今不在だ。もう少しかかるだろうから部屋でゆっくり待ってな」
「そうですか……分かりました。ではまた後で」
仕方ない、一旦部屋に戻ろう。
2階入り口、宿泊部屋の扉が少し開いている……鍵をかけたつもりだったが、盗みかもしれない。
警戒しながら扉を開けた。
誰もいない――視界が突然真っ暗になる――首に縄状の物を巻かれてしまう。
「よぉお嬢さん……喰われたかと思って冷や冷やしたぜ。どうだい、面白い獣だったろ」
この声は、依頼主の声。
呼吸が辛うじてできるほどの絞めつけに顔を歪める。
「くぅ……ぁ」
「まぁあんな役に立たない獣なんざこの際どうだっていい、上物の商品が手に入ったんだからな、へへへ、前金なんざ安いもんだ」
依頼主以外にも複数の気配が、する。
く、油断した……――。
「よし連れていけ、身ぐるみ剝がしとけよ。あとで品定めをするからな」
どこへ連行されたのか、視界が鮮明になると、そこは湿っぽい岩壁の部屋だった。微かに潮の香りがする。港の近くか?
腕を縛られ、椅子にくくりつけられる。
下着以外の服を剥ぎ取るとは……。
依頼主は目が乾くほど見開き、私の体をジロジロと観察してくる。
「良い! 美しい! しなやかな肉体だ! へへへそんな睨むな、せっかくの美形が崩れてしまう」
ニヤニヤと気持ち悪い、瓶に入ったアルコールを飲んでいる。
「どうせ逃げられん、へっへっへっ……おい、お前らちょいと品定めだ。具合も確認しないとな」
部屋に入ってきた屈強かつ上半身裸の男達。
迫りくる男達に向かって、私は思い切り蹴り払った。
相手の膝に当たるが、少し眉を顰めただけでびくともしない。
「いい度胸だなぁ、姉ちゃん」
髪を引っ張られ、頭皮がミシミシと痛む。
ゴツイ手に引っ叩かれ、意識が遠のくほどの衝撃で目の前が暗転する。
体中を這う男達の手の感触が僅かに――。
――麻痺した意識の中で、僅かに聞こえてくる男達の叫び声。
血の臭いが充満している。
岩壁に張り付いた血液がぼやける視界に映り、徐々に鮮明になっていく。
「なに……なにが起きて?」
縛られているせいで身動きがとれない。
「おい、おいお前ら何倒れてんだ! 早く仕留めろ!」
よく見れば男達は血だらけで、悲鳴を上げながら出て行ってしまう。
残された依頼主は腰を抜かし、壁に背中をくっつける。
『殺したりしないさ、オレは彼女を見かけたんで会いに来た。お前みたいな小物なんか興味ない。ただ、少しでもオレに抵抗してみな、今度は足を噛み潰してやるからな』
狩人小屋で聞いたあの狼の声。
「まさか……――」
『そのまさかだ、美しいお嬢さん』
縄を牙で噛み千切り、私の手は自由になった。
まだ頭がクラクラする……。
「助かった、ありがとう、でもどうしてここが」
『助かったんだし細かいことはいいだろ。さぁて、どうする? 始末はまかせる』
岩壁の隅で怯えている依頼主。
「……ギルドと兵に突き出す。この国に法があるなら、法で裁かれるべきだろう。公平さがあることを祈る」
『随分お優しいことで』
「いいえ、感情的なことが苦手なだけ」
兵士に事情を説明し、後を託した。
『オレはとても有意義なパートナーだと思わないかい?』
「いきなり、なに?」
『端的に言えば、オレを連れて行ってほしい。リンゴをくれたら、すごーく役に立つ』
門番兵とのやり取りを不意に思い出してしまう。
「そうだね、ちょうど仲間が欲しいと思ってたところ、私は、アルトリア。貴方は」
『名前なんて無い、オレは君の良きパートナーだ。よろしく、アルトリア』
まさか久しぶりにできた仲間が狼だなんて、城に帰ったらみんな驚くかも……――。
終わり