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第313話 玄奘、太上老君と共に呪詛返しをする

 玄奘が経文をめくる音と声明が九麻夫人の部屋に響く。


 その声音は心地よいものだが、目の前の九麻夫人はとても苦しそうだ。


「うう……ぐぅあああっ!」


「母さま、どうしちゃったの?!」


「玄奘さま、お経を辞めてください!母さまが、母さまが!」


 寝台の上で暴れる九麻夫人の様子はただならぬ雰囲気で、沙悟浄は寝台から落ちないように押さえつけることしかできない。


 そこへ太上老君と狐阿七大王が慌てた様子で戻ってきた。


「太上老君様、母さまの様子がおかしいのです!」


「もう経を読むのを止めてください!」


 金炉精と銀炉精から懇願されるが、太上老君は応じない。


「経をあげ続けるのだ、玄奘殿!狐阿七大王、玉面公主から送られてきた花はこれか?!」


「はい、それです!体調を崩したことを知り、見舞いだと彼女から送られてきたものです」


 太上老君はまじまじと花を眺めた。


 一見するとただの美しい花だが……。


「巧妙な細工が施されておる。やはり九麻夫人の衰弱の原因は、呪詛だ」


「えっ?!」


「玉面おばちゃんがそんなことを?!」


 金炉精と銀炉精は信じられないと顔を見合わせた。


「わしがもっと早くここにきていれば……これでは金丹で回復しないのも当たりまえだ」


 重大なことを見落としていたのに気づいた太上老君は悔しそうに言う。


「玄奘殿の経で呪詛は浄化できるだろうが、長い間そばにあったため、根深く魂魄にまで絡みついているから、九麻夫人はこのように苦しんでいるのだ」


 太上老君の言葉に金炉精と銀炉精は泣きそうになった。


「どうすれば母さまを救えますか?!」


「逆に問おう。お前たちはどう考える?」


「えっと……」


「今はそんなことを聞いている場合では……!」


 突然授業が始まった師弟に狐阿七大王が慌てる。


 金炉精と銀炉精は真剣な表情でうつむき、それから顔を上げた。


 先ほどまでの不安な様子はどこかへ行ったようだ。


 太上老君の弟子として、目の前の呪詛をどうすべきか真剣に考えている。


「玉面おばちゃんが母さまから取ったものを返してもらいます」


「そうです!全部返してもらいます!」


 二人の答えに太上老君は満足げに頷いた。


「そうだ、奪われたのなら、返してもらわなければな」


 太上老君は懐から札を出し、筆を握るとサラサラと何かを書き、護符を作成した。


 そして、その札を植物に貼り付けた。


「玄奘殿はそのまま経を。狐阿七大王は夫人と童子たちを守れ。沙悟浄、もしかしたら呪詛をたどり玉面公主が現れるかもしれぬ。玉面公主は九尾だ。戦闘に備えよ!」


 太上老君はその場にいた全員に指示を出すと、鋭く呪文を唱えた。


「あるべきものをあるべき場所へ、もどれ!疾!!」


 すると、玉面公主から送られてきた花が輝きはじめ、やがて光の粒子を吐き出した。


 光の粒子は九麻夫人の周りを舞い始める。


 玉面公主に奪われた力が戻ってきたのだ。


 玄奘は必死に経を唱えつづけた。


(呪詛だなんて……!)


 もちろん、玄奘のいた唐の国にも呪詛はある。


 権力闘争渦巻く宮中では、あらゆる手を使って敵を引き摺り下ろす騒ぎは日常茶飯事。


 玄奘も師の手伝いで、道士たちとともに呪詛の対応を学ぶなどはしてきたほうだ。


 だが神仙、妖の操る呪詛は多分桁違いの強さがあるだろう。


 正直自分の唱える経が効くのかわからなかったが、とにかくできることをやるまでと、玄奘は読経に集中した。



 一方、日課の九麻夫人の妖力を飲み干し洞府でくつろいでいた玉面公主は、脱力感に突然襲われ、床に倒れ伏した。


 体から白い光が溢れ、白い花の元へ吸い込まれていく。


 艶やかだった肌は輝きをうしない、じわりと髪の色もくすんでくる。


「こ、これは一体どう言うことだ……まさか九麻め、呪詛に気づいたか……ええい!」


 玉面公主は気力を振り絞って立ち上がり、これ以上奪った物を九麻夫人に取り戻させるものかという執念で、卓上の花をもぎ花びらをむしり取り散らした。


 勢いがつきすぎて、花瓶が冷たい石の床に落ちて砕けるが、その場に再び倒れた玉面公主にそれを片付ける余裕はない。


「九麻……九麻ああああ!!」


 玉面公主が絶叫する。


 稲光が窓から差し込み彼女を照らした。


 怒りのためか、玉の如くと評されたその美しい面差しは見る影もなく崩れている。


「妲己様に次ぐ九尾の狐は、ワタクシだけなのよ!」


 そう叫ぶと、真っ白な九尾の狐に変化して外へと飛び出した。


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