二〇二五年十二月五日、満月の夜に初めて玲と“夢想デート”を楽しんだ。
彼と会うのは『月影の庭』の中だけだと思っていたから、普通の人間と同じように外でデートをできたのは嬉しかった。
“夢想デート”が終わり『月影の庭』に戻ってくると、彼の言った通り、時刻は夢想を始める前の七時五十分から進んでいなかった。もう少し、彼と楽しい時間を過ごしていたいという余韻に浸るには十分まだ時間があった。二人で庭園の椅子に腰掛けて、まんまるの月を眺めながら寄り添い合う。時々彼の手が私の背中や頭を撫でて、気持ちがぐらりと傾くのを感じた。
「月凪、次はいつ来る?」
「えーっと……次は年明け、一月三日かな。三が日だ」
毎年、お正月は実家のある福岡に帰省している。となれば、同じ九州の宮崎に行くのにはちょうどよい。三日は土曜日だし、またとないチャンスだ。
……ただ、両親に宮崎に行くことを伝えるのが、億劫ではある。
去年、大和と別れてから、親は私に恋愛や結婚の話を聞いてこなくなった。それまでは、特に母親に恋愛事情を大っぴらにしていたのだけれど、それ以降は全く話していない。大和のことは、一度親に会わせたことがあった。私は大和とそのまま結婚する気でいたから、そのつもりで母にも会ってもらった。実際大和の口から、「月凪と結婚したら楽しいだろうな」というようなことを何度も聞いていたから。
母の前に大和を連れて行った時、結婚という言葉は匂わせなかったけれど、大和も薄々、これがどういうことなのか気づいていただろう。
そういうプレッシャーが、彼には耐えられなかったんだろうか……。
思考がまた、終わった恋の方へと引きずられていって、慌てて考えを振り払う。
今、私の隣にいるのは大和じゃない。玲だ。この人が普通の人間だったら、何も後ろめたいこともなく、お正月でも母にきちんと報告をしてから会いに来ることができるのに。
——と、玲には何も落ち度のないことを、まるで恨み言を言うかのように心の中で呟いてしまったことに気づき、ため息を吐いた。
「月凪、どうした? さっきのデートで疲れでもしたか?」
「ん、いや、大丈夫……! ちょっと考え事を」
隣から聞こえてくる彼の息遣いを確かに感じながら、心の中で抱えている思いがすべて態度に出てしまう癖を早くなんとかしたいと思う。
「そうか。もしかして来月は会うの、難しいか」
「そうじゃないの! 日にち的にはばっちり。その日は帰省してるから、どうやって親に言い訳をして出てこようかって考えてただけ」
考えていたことを正直に伝える。
すると彼は、意外そうにぽかんと口を開き、それからゆっくりと、こう言った。
「それなら、“恋人に会いに行く”って伝えたらいいじゃないか」
「はい!?」
さらりととんでもない爆弾発言を寄越す玲に絶句する。その瞳には、私を揶揄おうとする悪戯心は見えなかった。純粋に心で思っていることを口にしたという反応に、思わずごくりと生唾をのみ込んだ。
「それ……本気で言ってる?」
「俺はいつだって本気だが」
凛としたまなざしに見つめられ、とうとう「ぐぬぬ」という唸り声が漏れた。
やっぱり、この人には敵わないな……。
初めて出会った日から警戒はしていたけれど、彼の独特のペースにのまれて、しかも心地よいと思っている。過ぎ去った日の恋愛まで思い出してしまうし、気づいたら来月もまた会いたいと思わされてしまう。この月夜の逢瀬が、いつしか自分にとってかけがえのない時間になっていた。
「と、とにかくなんとか言い訳して来るよ。てか来月もまた待っててくれるの?」
「何を言っている。俺は月凪のことしか考えてない。一ヶ月、満月の夜をどれだけ待ち望んでると思ってるんだ」
嗜めるような口調で彼が私のおでこにコツンと拳を突いた。
満月の夜を待ち望んでいる。
初めて聞いた彼の本音に、心がぐらりと揺らいだのは言うまでもない。
自分を待っていてくれる人なんて、もういないと思っていたのに。
大和以上に自分を大切にしてくれる人なんて、きっとどこにも——。
「月凪、きみが思ってる以上に、俺は月凪のことを考えてるぞ」
トクン、とまた一つ心臓の鼓動が大きくなる。
玲の瞳にちらちらと輝く小さな宝石のような光を、じっと見つめてしまう。
どうして。彼はそこまで私のことを。私なんかを。
「だから月凪も、俺のこと以外考えるな」
星降る夜に囁かれたその言葉が、胸に大きな
私は玲と、大和のことを、繰り返し繰り返し考えてしまっている。けれど玲は、自分のこと以外考えるなと言う。彼の気持ちが嬉しくて、だけど自分の中にある大和への恋情がまだ拭い去れなくて。複雑な想いを抱えたまま、それでもゆっくりと首を縦に振る。
玲の表情が安堵に包まれて、私をぎゅっと抱きしめる。
私は、この人のことを好きになりたい。
……いや、多分もう、とっくに。
気づかないふりをしていた気持ちが、溢れ出しそうになっている。
玲が普通の人間なら良かったのに。
そうしたら私はまた、大和に抱いていたのと同じ熱量で、彼を愛せただろうか。
一ヶ月に一度しか会うことの叶わない彼に、ぐるんと気持ちが傾いた瞬間だった。