――戦いは終わった。
だけど、日常は……ほんとうに、戻ってきたのか?
放課後の教室。
窓から斜めに差し込む夕陽が、机に長い影を伸ばしていた。
俺、神崎シンは、いつものようにひとりで席に座っていた。
黒い仮面も、炎も、異形の敵も、今はどこにもいない。
でも——
(……なにかが、ズレている)
たとえば、鼓膜の奥にこびりついたような耳鳴り。
あるいは、視界の端に一瞬映ったような、青い揺らぎ。
(気のせい……だよな)
その時、俺のスマホに、白石アキラからメッセージが届いた。
【相談したいことがある。今日放課後に駅前のカフェで会えないか?】
あの白石が、俺に相談?——普通はありえないな。
(……何かが、動き始めている)
小さな“違和感”は、確実に次の戦いの予兆だった。
「ねえ……シン、ちょっと」
そのとき、背後から声がかけられた。
振り返ると、そこに立っていたのは——露崎ユリ。
(……おっと、また説教コースか?)
しかしユリの態度は、いつもと違っていた。
「……な、なんか用か?」
恐る恐る尋ねる俺。
すると、彼女は一度ふぅと息を吐いてから——
「今日……このあと、予定あるの?」
(……は?)
「え、ああ……ちょっと、白石と予定があってな」
——次の瞬間。
「なっ……!!?」
ユリの瞳が、大きく見開かれた。
口元がわずかに震え、声が裏返る。
「……白石生徒会長と? アナタが……“あの”白石アキラと予定?」
その言葉に込められたものは、驚きでもあり、疑念でもあり——そして痛みだった。
「……嘘。どうせ、私の誘いを断るための言い訳でしょ?」
ユリの声が震える。
だが、それは怒気ではなく、自己防衛のように見えた。
「だって、アナタ、クラスでも浮いてて、友達なんて私しかいないじゃない……ずっとそうだったじゃない……」
けっこうひどい言われようだが、俺と言う人間の評価としては的確だった。
ていうか、俺とユリって友達設定だったの?
「……私のことがイヤでも……もっとマシな言い訳にしてよ……!」
教室に、ユリの怒声が響く。
いつも冷静で真面目な彼女が、初めて“取り乱していた”。
「なんで俺がウソついてるみたいになってんだよ……ほら、スマホに」
いままでにない感情をぶつけてくるユリの姿に焦った俺が、スマホを見せようとモタモタしていると。
ユリは、拳をぎゅっと握りしめて——
「……そっか。だったら、もういい」
「……ごめん、変なこと言って。じゃあ……また、明日」
そう言って、彼女は背を向け、教室を出ていった。
その背中は、小さく揺れていた。
(なんだったんだ……今の)
帰り道。
俺は、胸のポケットに違和感を覚えて、手を突っ込む。
指先に触れたのは、金属製の小さな端末。
ガイから手渡された、謎の“トークン”だった。
(そういや……渡されたまま、忘れてたな)
何の変哲もない矩形パネル。
だが、そこには明確な数字が浮かんでいる。
「35.68, 139.76」
その意味を考える暇もなく——
『——観測対象、再起動を確認』
唐突に、久しく沈黙していたAIの声が、耳元に響いた。
「……おまえ、居たのかよ。大事な時に沈黙しやがってよ」
『……ずっとサポートしていましたけど不足でしたか?』
(いやいや、アマデルが出てきたあたりからほとんど喋ってないじゃん、もういいけど)
『先ほどマスターが“新たな観測”を開始したことを確認。量子座標を再計算します』
AIの声に合わせて、空を見上げると——
街の上空、夕焼けの中に、ごくわずかに“歪んだ揺らぎ”が見えた気がした。
青白く、まるで膜のように空間が脈打っている。
(……なんだ、今の)
見間違い? いや、確かに“何か”があった。
妄想と現実の境界線は、
今も確かに、揺らいでいる。
小さな“違和感”は、確実に次の戦いへの予兆だった。