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第49話 凍結する夏 ③

「そん……な……翠くん……が?」


 インタビューの翌日。

 夏樹翠を覗く春夏秋冬の3人は小林親子に呼ばれ、昨日の出来事を伝えられていた。

 3人は信じられないといった表情で大きなショックを受けていた。


「ああ。インタビューの最中に急に豹変して暴力を奮われた。同行してくれていた夏之のおかげで俺に怪我はなかったが……これは重大案件だ」


「僕が取っていた映像は辛うじて残っている。彼が暴れてしまったせいでカメラが一部破損してしまい音声データは無くなってしまったが、一応見てみるかい?」


 録画データをPCに繋ぎ、当時の映像がPCに映し出される。

 そこには確かに夏樹翠が小林ディレクターの胸倉を掴み、拳を振り上げているシーンが映し出されていた。

 だが、音声データがない故にどうして彼が激昂しているのかが分からない。


「あの翠くんが意味もなく暴力を奮うはずがありません。この日、どんなやり取りがあったのか、教えて頂けませんか?」


「「…………」」


「どうして黙るのです?」


「……いや、キミらに教えて良いものかどうか迷ってな。キミら3人にとってはショックが大きい内容だから俺の胸の内にしまっておきたいと思ってな」


「構いません。教えてください」


「……そうか。わかった。心して聞いてくれ」


 小林はあの日のインタビュー内容を鮮明に話す。

 嘘と事実を織り交ぜた口達者な方便を。


「俺はインタビューでこう質問した。他のメンバーに対してどのように思っているのか聞きたいとな。そうしたら彼は何を勘違いしたのか、『自分の実力不足で皆に気を遣わせてしまっている。とても申し訳なく思っている』と答え出した」


「翠さん……まだそんなことを言って……」


 小林の言葉を聞いて千秋が悲しげにポツリと呟いた。

 千秋が自分の言葉をまんまと鵜呑みにしているのを見て、小林は心の中でガッツポーズをする。

 イケる。騙せる。

 小林はそう確信した。


「俺は慌ててフォローしたさ。その内、認められる日はきっと来る。キミは実力があるのだから大丈夫だと強く諭した」


 この辺りは100%嘘だ。

 夏樹翠に対して不信感を抱かせる為に小林が用意していた台本である。


「彼は答えたさ。自分に言い聞かせるような呟きだった。自分は実力なら誰も負けない。だから自分は冬康のようにスタッフに気に入れられる為の取り入れなんてする必要はないし、演技が下手な千秋でも人気者になれるのだから、いつかきっと自分も認められる日がくるはずだ、とな」


「「なっ……!?」」


 一瞬で表情が強張る千秋と冬康。

 驚きや戸惑いが先行しているが、その瞳の奥隅には怒りの感情が湧き出しているのだと小林のカンが察知した。


「大切な仲間に対してそれは言い過ぎだ、と俺は言い返した。そうしたら彼は自分がメンバーに対しての悪口をぶちまけていたことにショックを受けていた様子だった。そのすぐ後だ。本音を吐き出したことで今までの鬱憤があふれ出たのだろうな。彼は俺に掴みかかり、お前に何が分かる! と叫びながら俺の胸倉を掴んできたんだ」


「翠くんがそんなことを言ったなんて信じられません」


 間髪入れず春子が反論してきたので小林は内心舌打ちを打つ。

 夏樹翠と仲の良かった羽嶋春子だけは簡単に騙せない。


「本当さ。彼は自分の不人気を嘆いていた。外面は平気そうでも内心は不満でいっぱいだったのさ。そしてそれはキミに対しても言っていた。『春子は顔が良いから売れたんだ』とな」


「嘘です」


「嘘じゃない。キミも思い当たることはあったのではないか? 夏樹翠が自分の容姿に好意を抱いていたのは気づいていたはずだ。こんなおっさんですら気づけたんだ。当事者のキミが気づいていないわけがない」


「……そ……それ……は……」


 思い当たる節があるようで春子は表情を歪ませながら俯いてしまった。

 あと一押しだ。

 そう思った小林はトドメの一撃を繰り出してきた。


「これは問題になるぞ。夏樹翠が俺に暴力を奮おうとしたこと、それに恋愛NGの声優事務所で生まれていた恋の芽。まだキミらの事務所の方には何も話してはいないが、俺が告げ口をしたらどうなると思う?」


「「「…………」」」


 3人とも消沈したように俯いている。

 小林は勝利を確信した。


「だが、俺も鬼じゃない。このことは内密にしてやってもいい」


「ほ、本当です……か?」


「もちろん条件はあるがな」


 言いながら小林が取り出してきたのは企画説明時に彼が持ち込んでいた『残留』と書かれたプレートと『追放』と書かれたプレート。

 それを3人の前に静かに置かれる。


「俺はこれからもキミらと一緒に仕事をしたいと思っているんだ。でもこんな遺恨があっては仕事に支障が出る。俺に暴力を奮おうとした夏樹翠が正直怖くてね。俺はキミら3人とは仕事をしたいが夏樹翠とは今後一切かかわりたくない。だからキミらに決めて欲しい。暴言魔で暴行魔の彼を春夏秋冬から追放するか、それとも遺恨を残したまま今後も夏樹翠と共にユニット活動をしていくか、決めてくれ」


「「「……っ!!」」」


 小林は遠回しにこう言っている。

 事務所に余計な告げ口をされたくなかったら夏樹翠の追放を選ぶんだ、と。


 3人が俯いたまましばしの時が流れる。

 突然運命の分岐路に立たされ、呆然と立ち尽くす。

 まるで永遠のように長い時間。

 その沈黙を破ったのは千秋だった。


「翠さんの……追放を選びます」


「千秋!?」


 千秋は震える手で追放のプレートを手に取った。

 その真意をポツリと囁くように漏らされる。


「演技が下手なのは……自分でも分かってる! でも私には歌があるから! 歌っていう誰にも負けない武器があるのに……! 何も持っていない人が偉そうに言うんじゃないわよ!」


「僕も……千秋と同意見だ。追放を選ぶ」


「冬康くんまで!?」


 冬康は千秋と違って迷いのない眼で追放のプレートを取っていた。

 その瞳から断固たる決意を感じる。


「翠の……馬鹿野郎! 不満があるなら言ってくれてもいいじゃないか……! アイツは一人で抱えて一人で悩んで……僕達のこと……仲間とすら思っていなかったんだ……! そんなヤツのことなんて……僕はもうどうでもいい!!」


 冬康は自分が虐げられたことよりも自分達に何も相談しなかったことを憤っていた。

 それは春子や千秋も同じ気持ちでもあった。


「さあ、後はキミの選択のみだ羽嶋春子。最初に俺が言ったルールは覚えているよな? 誰か一人でも追放を反対すれば彼は残留できると。そのルールは尊重してやろう。キミの判断で彼の——いや、キミ達の運命が決まる」


「わ、私は……翠くんを……信じたい。心にどんな闇があったとしても、今まで一緒に頑張ってきたことに偽りなんてないから! だから——」


 春子は残留のプレートに手を伸ばす。

 だが、その手が触れる前に小林が悪魔の言葉を投げてきた。


「——ああ。そうそう。もし彼の残留が決まった場合、俺は夏樹翠の暴行を世間に発信するつもりだ。彼がキミに好意を向けていたことも事務所に言ってしまうかもしれんな」


「……っ!!」


「そうなってしまった場合、はたして幸せに慣れる人は居るのだろうか」


 卑怯な言葉だった。

 つまり、どちらに転ぼうと夏樹翠に徳はないと言っている。

 残留を選んでも夏樹翠は世間から叩かれ、果てには声優業界にはいられなくなってしまうかもしれない。

 でも追放を選べば夏樹翠はユニットから居なくなるだけで済む。


 どちらが夏樹翠の為になるのか。

 そう考えると、羽嶋春子はこちらのプレートを選ぶことしかできなくなっていた。


「満場一致だな。夏樹翠の春夏秋冬での活動は只今を持って凍結する」


「……その代わり、翠くんが暴力を奮おうとしたことを黙っていてくれますね?」


「ああ。約束通り、世間に発表したりはしない。夏樹が密かに抱いていた恋心の件についても俺の胸の内にしまっておいてやるさ」


 こうするしかなかった。

 夏樹翠が今後も声優として活動していくためには春夏秋冬から追放するしかなかった。

 悲惨な結末だけど、彼の未来だけは守られた。

 もう一緒のユニットで活動することができないのは悲しいけれど、頑張り屋の彼ならばいつか一人でも人気声優にたどり着くことができるはずだ。

 春子は涙をボタボタ垂らしながら翠斗の輝かしい未来を祈ることしかできなかった。

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