最近の凛子ちゃんは少し様子がおかしい。
いや、もちろん凛子ちゃんは普段通りがすでに普通とはずいぶんと違うのはみんな知ってるところだけれど。
元々凛子ちゃんの勤労意欲は皆無。しかしそうは言っても仕事中はいたって真面目だし、なんなら能力だって抜群に高い。
レジ打ちや袋詰め、焼き上がったパンの陳列も綺麗で丁寧。お客への愛想だって非の打ち所がない、我がロケットベーカリーにとって欠かせない存在だ。
そんな凛子ちゃんがここのところ、イライラしてるっていうか、ぼんやりしてるっていうか……――とにかく集中力がないって感じなんだ。
なにか原因があるんだろうか。
……うん、まぁ、そうだ。
オーナー兼店長の私が聞くしかないんだ。分かっちゃいる。
昼ピークも過ぎて、凛子ちゃんが千地球で昼食を済ませた夕方ピークまではまだしばらくあるタイミング。
今のところ客足もそれほど大したことはない。
「凛子ちゃん」
「なんすか店長」
「ジャスミンティー入れたから、ひと息つかない?」
「…………頂くっす」
すっきり冷えて美味い。
昔はジャスミンティーとかハーブティーってあまり好きじゃなかったけど、いつの間にかすっかり好きだ。不思議だよな、人の味覚ってのは。
違う違う、そうじゃない。しっかりしろゲンゾウ。
「ここのとこ元気ないね、凛子ちゃん」
「……いや、元気はあるんすよ。ただもうなんか調子が出ねえっつうか」
凛子ちゃんらしくない元気のない声でそう呟いて、グイッとジャスミンティーを飲み干して続けた。今度はいくらか元気な声で。
「すんません、なんかそのせいでイライラしちまって――暇なウチにオモテ掃いてくるっす!」
完全に
うーん、参ったな。
よし、善は急げ、だな。
閉店後、私服に着替えた凛子ちゃんを夕食に誘ってみた。
「明日は定休日だしさ、久しぶりに千地球で晩御飯どう? 奢るからさ」
「えっ――?」
ほんの一瞬。
一瞬だけ嬉しそうな顔した凛子ちゃんは真顔に戻り、改めてニコリといつもの笑顔。そして自分の左手開いて
「
「じゃぁ着替えるからちょっとだけ待ってて」
後回しに出来ない掃除や仕込みは済ませてある。
急いでジーンズとシャツに着替え、家と店の鍵をまとめてるキーホルダーから指輪を外し、忘れないウチに
もちろん私はパン屋。とても大事なものだが着けっぱなしで粉を捏ねるなんて事はあってはならない。
だから始業から終業まではロッカーの中だ。
「お待たせ。じゃ行こっか」
「へへっ。
凛子ちゃんが言う『あん時』。二人で千地球に行った時のことだよな。
夏休みを利用して野々花さんがパン屋体験に来てた時だから、なんだかんだで
思えばあん時があったお陰で今の私の生活は――
「店長店長」
「なに?」
「このサマーニット、あん時のぐらい手触り良いんすよ。ほれ、触ってみ?」
今の私に対してそんな事を言ってのけ、さらに「きししし」と笑ってみせる。さすがの凛子ちゃんだ。
「なに言ってるの、触らないよ。周り全部が顔見知りの商店街だよ?」
「あれ? 知らない街でなら触ってたんすか?」
「うーん、まぁ、触ってたかも知れないかな」
私の言葉が予想外だったのか、目をぱちくりした凛子ちゃんがあっという間に表情を変えて言った。
「だはははは!
だと思った。
私も凛子ちゃんとカオルさんの事を信用してるから、こうやって夕食に誘えるんだから。
「あら! なんだか久しぶりのカップルね!」
「もう! ママさんったら! オレ、
ぷっ――。
ごめん、笑っちまったよ。素の凛子ちゃんとよそ行きの凛子嬢が混ざってたもんだからつい。ごめん。
「でも鹿野さん?」
私だけに手招きし、ちょっと真面目なトーンで言った千地球のママ。
「来週いっぱい旅行なんでしょカオルちゃん達。だからって凛子ちゃん誘ったんじゃないでしょうね?」
そりゃ言われるよな。分かってた。
でもここなら逆に、こうやって直接言ってくれると思ったから千地球にしたんだ。
「違いますよ。ちょっと元気なさそうなんで息抜きにでもと思って」
「鹿野さんに限ってないわよねぇ。カオルちゃんの代わりに毎日入ってくれてるんだもんね、疲れてるのかしら?」
あ、そうか。
日曜しか入ってなかった凛子ちゃんに連勤お願いしてるんだ。そりゃ疲れも溜まるか。
しまったな、晩御飯に誘ってる場合じゃなかったか。
ママとのやり取り、凛子ちゃんに聞こえてたらしい。
「わたし全然疲れてなんていませんわ。元気元気です」
おっとりお嬢様モードの凛子ちゃんが力こぶを作るポーズで言った。
空元気なのが私にはよく分かるが、その理由はまだ分からない。
なんとか今晩、それが分かると良いんだがな。