全身から白銀色に光り輝く"殺気"を放ちながら、〈桃月〉を両手で構え直した桃姫。
その勇ましい姿を見やりながら、斬り裂かれた左耳の先端を手で抑えた鬼蝶は、憎々しくげに顔を歪ませた。
「──なんで私がッ……! こんな小娘相手に怯まなきゃならないのよッ……! ──ふッざけんじゃアないわよッッ──!!」
仏刀を構えて対峙する10歳の少女相手に、一瞬でも怯んでしまった己の弱い心を拒絶するかのように鬼蝶は激しく叫んだ。
「──そんなに死にたいならッ──骨の芯まで燃え尽きなさいなァッッ──!!」
吼えるように叫んだ鬼蝶が、ギンッ──と見開いた左目から火炎の渦を桃姫に向けて盛大に撃ち放つ。
しかし、まるでその行動を読んでいたかのように白銀色の"殺気"を身にまとった桃姫は、飛来した熱線をスッ──と冷静に避けると、舞うように一回転しながら鬼蝶との距離を詰め、熱線を放つその横顔目掛けて〈桃月〉の刃を振り払った。
「──なんッッ──!?」
流れるような動作に驚愕した鬼蝶は、桃姫の一撃をかわせないと瞬時に理解し、左目を閉じて強引に熱線を止めると、あえて桃姫の体に向かって突進するように前方に踏み込んだ。
「……ぐぅっ──!」
路地裏に立ち並ぶ家屋の外壁に小さな体を強かに押し付けられた桃姫。その衝撃によって桃姫がうめき声を上げると、身にまとっていた白銀色の"殺気"が霧散するように消え去った。
鬼蝶はその全身を使って桃姫の小さな体にヘビのように組み付くと、黒く鋭い鬼の爪を桃姫の喉元に押し当てながら拘束した。
「──驚いたわ、あなた……なるほどね──"狼の子は狼"……どれだけ小さく、か弱く見えても、たった一噛みで命を奪う、危険な牙を隠し持っているってわァけ──」
鬼蝶は鬼になって初めて味わった"命の危機"に対して、怒りと興奮を同時に覚えると、顔を紅潮させながら熱い吐息混じりの声を桃姫の顔に向けて発した。
「──油断して愛でていたら……危うく、顔面を噛みちぎられるところだったじゃないのよ──!」
「……ぐ、ぐぐ──!」
家屋の外壁に桃姫の体を押さえつける力を更に強めながら鬼蝶は声を荒げると、その真っ赤な唇を桃姫の耳元に近づけて、妖艶にささやくように言葉をつむいだ。
「──ねェ、桃姫ちゃん……? 私が殺してきた3000人の命に"意味"なんてものはなァんにもないの──すべての命は等しく"無意味"……でもね、私たまァに思っちゃうのよ……あれ、今私が殺した命って、もしかして"意味があった命"なんじゃないの……? ──なァんて」
鬼蝶は桃姫の激しい怒りが宿った濃桃色の瞳を間近で見つめながら、赤い"鬼"の文字が浮かぶ黄色い右目をグッ──と近づけた。
「──桃姫ちゃん、私にはわかるわ……あなたの命、間違いなく"意味がある命"よ──人々の祈りを抱えて、希望の光を託されている命……だから巌鬼も行者様も、あなたを殺すことを躊躇しているってわけ──」
鬼蝶は熱い吐息を桃姫の頬に吹きかけながら言うと、燃える左目を薄っすらと開いた。
「──でも私はね……そんな"意味がある命"を"残虐"した瞬間にこそ──サイッコウに生きてるって心地がするのよ──」
"鬼"の文字を浮かばせた鬼蝶の両目はうっとりと歪み、そして桃姫の喉に押し付ける鬼の爪に力が込められた。
「──桃姫ちゃん、あなたの"意味がある命"……私に"残虐"させてよ……──ねぇ、おねがァい──♪」
「……ぐ、うう……!」
桃姫の首筋に鋭い爪がググッ──と喰い込むと、鬼蝶は残忍な笑みを浮かべながら燃える左目を見開いた。
「──おつるちゃんが待ちくたびれてるわよ……早く逝ってあげなさい──」
耳元で告げるようにささやいた鬼蝶。赤く燃える左目と黒い鬼の爪の両方が桃姫の命に狙いをつけた次の瞬間──。
「──フッッ──!!」
「──ッ……!?」
一陣の風のように鬼蝶の後方から迫った鬼を刈り取る銀桃色の刃──鬼蝶は桃姫の体を解放して即座に振り返ると、瞬時に眼前に両手を持ち上げ、鬼の爪を交差してその一太刀を受け止める。
「──桃姫様ッッ──!!」
雉猿狗が鬼蝶越しに桃姫の姿を見て叫ぶと、激昂した鬼蝶が〈桃源郷〉の刃を押し返して弾いた。
「──ケモノ風情がッッ──!! ──私の興を削ぐなァァッッ──!!」
「あなたの相手は私だと言ったはずですよッ──鬼ッ──!!」
両手を広げて絶叫する鬼蝶に対して、距離を取った雉猿狗は〈桃源郷〉を構え直して告げる。
「──……っ──!!」
鬼蝶の拘束が解かれて地面に尻もちをついていた桃姫は、家屋の外壁を支えにして立ち上がると、雉猿狗と対峙している鬼蝶の隙を突いて走り出し、鬼蝶の右側面で〈桃月〉を構えた。
「──……雉猿狗っっ──!! 二人なら──!!」
「──はいッ……!! 桃姫様ッ──!!」
桃姫と雉猿狗は互いに言葉を掛け合うと、視線を合わせて力強く頷いた。この状況、二人なら鬼蝶を討ち取れる──桃姫と雉猿狗がそう確信した瞬間、鬼蝶が歪ませた顔を引き裂くようにして叫んだ。
「──舐めるんじゃないわよッ……!! "八天鬼・燃羅の力"を──舐めるなァァあああッッ──!!」
鬼蝶が天に向かって咆哮するように叫ぶと同時に、途轍もない熱風が桃姫と雉猿狗の全身を襲った。
「──アハハハハハハッッ──!! 初めてよ、私の"両の目"に火をつけたのは……! あなたたちが初めてッッ──!!」
鬼蝶は左目のみならず右目からもゴウゴウと炎を噴き上げながら興奮の雄叫びを上げると、両手の指先から伸ばした鬼の爪を眼前に突き出した。
「──殺してやるわ……! 二人仲良く焼き殺してやるッッ──!!」
鬼蝶は両手の鬼の爪に両目の炎を引火させ、赤々と炎上させると前方に立つ雉猿狗に向かって黒い下駄をカン──と打ち鳴らして地面を蹴り上げ、紫色の着物をはためかせながら跳躍した。
「──まずはあなたからよ──雉猿狗ッッ──!!」
「……ッ──!!」
〈桃源郷〉を両手で構えた雉猿狗に飛びかかった鬼蝶は、ブォンッ──という風切音を立てながら右手の鬼の爪を勢いよく雉猿狗の胴体目目掛けて振り抜いた。
「──くッ──!」
雉猿狗は〈桃源郷〉の銀桃色の刃で鬼の爪を受け止めると、赤熱する爪から放たれた強烈な熱風を胴体に浴びて苦悶の表情を浮かべた。
「──潔く死になさいッ──! 雉猿狗ッ──!!」
燃える両目を見開いて叫んだ鬼蝶が左手に並んだ五本の鬼の爪を一本の槍のように束ねると、雉猿狗の顔面目掛けて素早く突き出した。
「──断固拒否しますッッ──!!」
声を張り上げた雉猿狗は鬼蝶の体ごと後ろに飛び退くようにして体をしゃがませると、雉猿狗の頭を空振りして突き出された鬼蝶の鬼の爪が家屋の外壁に突き刺さり、ジュウウウ──と大穴を穿ちながら黒煙を上げた。
「──ヤエエエエエエッッ──!!」
「──ッ……!?」
次の瞬間、裂帛の声を発した桃姫が〈桃月〉を両手で構えながら鬼蝶に向かって駆け出した。鬼蝶はその姿を憎々しげに睨みつけると、両目に浮かんだ"鬼"の文字を熱く輝かせてチュンッ──と左右同時に熱線を撃ち放った。
「ッ──アアあッ──!!」
短いながらも凝縮された熱線の塊を〈桃月〉の刃で防いだ桃姫は、その衝撃で弾き飛ばされて路地裏の地面を転がり、鬼虫の亡骸にぶつかって止まった。
「──桃姫様ッ──!! ──ダヤァッ──!!」
その光景を目にして叫んだ雉猿狗は、桃姫に向けて笑みを浮かべながら覆いかぶさる鬼蝶の胴体目掛けて、右足を全力で突き出して渾身の前蹴りを撃ち放った。
「──グうッ……!?」
腹部にまともに雉猿狗の前蹴りを受けた鬼蝶は眉根を寄せながらうめき声を発すると、蹴られた勢いそのままに、雉猿狗の体から飛び退くように後方に向けて跳躍した。
「──ふ、ふふふ……だめね私……さっき油断しちゃいけないって思い知ったばかりなのに……頭に血が昇ると、つい眼の前のことしか見えなくなっちゃう質みたい──」
雉猿狗に蹴られた腹部を手で抑えた鬼蝶が自嘲しながらそう告げると、熱が失われた両手から伸びる鬼の爪をズズズ──と引き戻して短くした。
「──そうよね……最初から本気で行かないと……もう手加減なしよ……あなたたちのような"ケダモノ"に対しては──」
鬼蝶は冷めたような口調でそう言うと、燃える両目を閉じて精神を集中させ始める。
「……ッ──!」
その様子を見た雉猿狗は、"獣の直感"によって鬼蝶から不穏な気配を感じ取ると、即座に立ち上がって桃姫に向かって叫びながら駆け出した。
「──桃姫様ッッ──!! ──身を隠してくださいッッ──!!」
「……えっ──!?」
鬼気迫った面持ちの雉猿狗が困惑する桃姫の手を掴み取り、鬼虫の死骸の後ろに引っ張り込んで身を寄せ合った次の瞬間──ドオオオォン──という壮絶な爆発音と共に猛烈な爆風と熱波が二人に襲いかかった。
鬼蝶の体から放たれた爆風は、路地裏に立ち並んだ木造家屋を木っ端微塵に吹き飛ばすと、鬼虫の後ろに身を隠した桃姫と雉猿狗は互いに苦悶の表情を浮かべながら、周囲を飛び交う粉塵と瓦礫を何とか耐えしのいだ。
「──……っっ」
「──……くッ」
まるで焼却炉の中にいるかのような恐ろしい熱風が治まり、息を止めていた桃姫と雉猿狗が戦慄しながら呼吸を始めると、更地と化した路地裏にひとり立つ鬼蝶が静かに口を開いた。
「──ふふ……楽しかったわ。私がこれほどまでに本気になれたのは、"八天鬼人"に生まれ変わって初めてのことよ……──」
両目を薄く開き、穏やかな笑みを浮かべた鬼蝶。しかし、紫色の着物をまとったその体には、赤く燃える無数のアゲハチョウが円を描くようにパタパタ──と舞い飛び、火炎の渦を形成していた。
黒く焼け焦げた鬼虫の亡骸から恐る恐る顔を覗かせた桃姫と雉猿狗が鬼蝶のその姿を見て絶句する。
「──……ですが、何事にも終わりが訪れる……今宵の祭りも、そろそろ"お開き"といたしましょう……──」
丁寧な口調で告げた鬼蝶が、左右の手のひらをスッ──と前に差し出すと体の周りを回って火炎の渦を描いていたアゲハチョウが次々と手のひらに集まりだし、みるみるうちに赤い炎で形成された一振りの薙刀を形成した。
鬼蝶は手にした炎の薙刀をブンッ──と炎の軌跡を描きながら大きく振るうと、両目をギンッ──と大きく見開いて、光り輝く赤い"鬼"の文字からゴウゴウと炎を噴き上げた。
「──……天下人、織田信長が妻──鬼蝶──いざ、参る……──」
凛とした声音で名乗りを上げた鬼蝶が、炎の薙刀を両手で構えると、桃姫と雉猿狗に向かって飛ぶように跳躍する。
「……ぐッ──! ──ダアアッッ──!!」
それに対して、雉猿狗は鬼虫の死骸を両手で持ち上げながら踏ん張って立ち上がると、鬼蝶目掛けて咆哮を発しながら放り投げた。
「──……愚かなケモノ……──」
鬼蝶は吐き捨てるように言い放つと、両手で構えた炎の薙刀を下から上へ一振りして軽々と死骸を寸断する。そして、桃姫と雉猿狗がいた場所目掛けて笑みを浮かべながら迫ると、そこに二人の姿はなかった。
「──……ん……──」
黒い下駄を鳴らして着地した鬼蝶が路地裏の入口に目をやると、雉猿狗に手を引かれながら走り去っていく桃姫の背中を目にした。
「──……笑わせないでちょうだいよ……──」
鬼蝶が失笑しながら告げると、両目を大きく見開いて、二人の背中を睨みつけながらダンッ──と地面を蹴り上げて大きく跳躍する。
ビュウウウ──という凄まじい風切音を立て、宙空を滑るように飛びながら、炎の薙刀を後方に引き下げた鬼蝶は、路地裏を抜けて大通りに出た桃姫の背中に狙いを定める。
「──……桃姫様ッ──! お逃げくださいッ──!!」
それに気づいた雉猿狗が大通りで振り返りながら叫ぶと、桃姫の手を離して、かばうように前に出た。そして〈桃源郷〉を両手で構え、路地裏を飛びながら迫りくる鬼蝶に対峙する。
「──……これで終わりッッ──!! 炎鳳衝(えんぶしょう)ッッ──!!」
両目の炎を盛大に噴き出した鬼蝶は雉猿狗と桃姫に向かって飛びながら吼えると、両手で握りしめた炎の薙刀を身体を一回転させながら全力で振り下ろした。
それに対して雉猿狗は、〈桃源郷〉の刃を横に倒すと獣の如き咆哮を張り上げ、地面を両足で踏ん張りながら全力で鬼蝶に向かって振り上げた。
「──獣心閃(じゅうしんせん)ッッ──!!」
渾身の力で互いに振るわれた火炎の刃と銀桃色の刃──燃える堺の大通りにて、鬼と獣の猛烈な力のぶつかり合いによって眩い極光が辺りに生じると、桃姫は思わず、〈桃月〉を握る腕で顔を覆った。
「──もう手加減はしないって言ったでしょう。雉猿狗──」
「──……ぐああッ!!」
激しい鍔迫り合いの最中、鬼蝶が笑みを浮かべながら静かに告げると、火炎の刃の凄まじい熱量に耐えきれなくなった雉猿狗の両手から〈桃源郷〉が手放される──次の瞬間、振り下ろされた炎の薙刀の切っ先が雉猿狗の胸を焼き斬り裂いた。