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18.顕現、天照大御神

 その小さな体からは想像できないような力で、少女とは思えぬ決死の形相で、一歩、一歩、死にものぐるいで一心不乱に登りつめていく。

 残り200段、残り100段──そして最後の一段を登り切ると、色が塗られていない古びた鳥居をくぐったところで、桃姫は参道の上にどさっと倒れ込んだ。


「……ハァ……ハァ……ハァ……」


 冷たく濡れる石畳に顔をつけた桃姫の全身から、白銀色の"熱気"が霧散していくと、豪華な拝殿より遥かに地味で小さな本殿の姿を目だけを動かして桃姫は見やった。

 これが、死の淵に立たされながら心臓破りの千歩階段を登り、追い求めて辿り着いた本殿の姿なのかと、そのあまりにも質素な姿に満身創痍の桃姫は、おかしさすらわいてきて、笑みをこぼしながら目を閉じた。


「──桃姫ちゃん、あと少しだよ。がんばって──」


 雨に打たれる桃姫の耳元におつるの優しい声が届き、桃姫は濃桃色の瞳を開くと玉子色の着物をきた足元が視界に入った。

 そして、桃姫が目線を上に上げると、穏やかなほほ笑みを浮かべたおつるが参道に倒れる桃姫を見下ろしていた。


「……おつるちゃん……最後まで……応援してくれる……?」

「──がんばれ、がんばれ、桃姫ちゃん──」

「……ははは……元気、出た」


 おつるの能天気で優しすぎる声音に桃姫は思わず笑ってしまい、そして思っていたことを言葉に漏らした。


「……おつるちゃん……私、おつるちゃんに……会いたいよ……」

「──うん……会おうね。いつか、会おうね。桃姫ちゃん──」


 おつるはそう言いながら、桃姫の前にしゃがみ込んだ。


「……がんばったら……会えるかな……」

「──うん、会えるよ。だから、今は立って、桃姫ちゃん──」


 桃姫に向かって差し伸ばされるおつるの小さな手。桃姫がその手を掴もうと右手を伸ばすと空振り、代わりに雨に濡れる石畳を力強く突いた。

 右手首につけた白い巻き貝の腕飾りが応援するように揺れると、雉猿狗を左手で背負い直した桃姫がグッ──と両足で石畳を踏みしめながら立ち上がる。


「──ぐッ──うおおおお……ッッ──!!」


 獣の咆哮にも似た声を発した桃姫が、天照山山頂の参道を力強く歩きだすと、桃姫が進む道を見護るように、煙雨にけむる鳥居の下に桃太郎、小夜、おつるの影が優しく立っていた。


「……ハァッ……ハァ……! 祈るよ……雉猿狗……祈るからね……!」


 遂に本殿の前に辿り着いた桃姫は、雉猿狗を背中から降ろすと、質素な本殿の木製の両開きの扉に向かって、二礼二拍手をした。

 そして、着物の胸元に手を差し入れて河童の形代を取り出すと、合掌するように両手で挟んで握りしめ、目を固く閉じてから口を開く。


「──日ノ本最高神で御わせられる天照大御神様──桃太郎の娘、桃姫──今、こうして千歩階段を登り切り、御身の元へ河童の形代を届けに参りました──」


 目を閉じて合掌した桃姫は、声に出して祈ると共に、心の中で強く念じた。


「──天界までこの声が届いているならば……どうか、この大雨を止め、大風を止め──神々しく燃ゆる太陽を、再び天空に顕現させてくださいませ──なにとぞ……なにとぞ──!」


 ひときわ強く天界に向かって祈りを捧げたその時、周囲がシン──と静まり返っていることに桃姫は気づいた。

 まるで音そのものがこの世から消えてしまったかのような完全なる静寂に全身を包まれた桃姫は、両手で握りしめる河童の形代が段々と熱を帯びていくのを感じ取った。


「──……っ」


 冷たく濡れた体を芯から温めるような"太陽の熱"を手のひらに感じた桃姫は、恐る恐る閉じていた目を開いた。すると、本殿の両開きの扉が音を立てずにゆっくりと左右に開かれていくのを桃姫は見た。

 開かれた扉の奥から姿を現したのは、黄金で装飾された美しい丸鏡であった。桃姫が思わず息を呑むと、下を向いていた鏡面がひとりでにゆっくりと上に傾き、桃姫の顔が映る。その瞬間、眩い黄金色の極光がカッ──と丸鏡から放たれ、桃姫の視界を覆い尽くした。


「──桃姫──そなたの強い祈り、確かに天界まで届きましたよ──」


 桃姫の頭の中に響く声。それは、天女の鳴らした高貴な鈴の音のような、この世ならざる神々しい声であった。


「ッ……アマテラス様──!」


 黄金色の極光に目を慣らした桃姫が感極まって声に漏らすと、丸鏡から振り返って、黄金色に光り輝く天空を仰ぎ見た。

 分厚い雨雲を引き裂いた黄金色の光の柱が天照山の山頂へと降り注ぎ、そして、黄金色に極光する天衣をまとった見目麗しい黒髪の女神──天照大御神(あまてらすおおみかみ)が悠々と天界より舞い降りてくるのであった。


「──雉猿狗、いつまで寝ているのですか──いい加減、目覚めなさい──」


 黄金色の瞳を輝かせた天照が、桃姫の足元に寄り掛かるように倒れている雉猿狗にそう告げると、天界から直接降り注いだ高密度の光の粒子を全身に浴びた雉猿狗の顔色がみるみるうちによくなっていった。


「……ん、んん……」


 そして十分に神力を充填し、生気を取り戻した雉猿狗が目を覚ますと、頭上に顕現している天照の御姿を見て、翡翠色の瞳を大きく見開きながら口を開いた。


「……あ、あ……アマテラス様……!」


 雉猿狗はそう言って慌てたように立ち上がると、桃姫の隣に立った。そんな雉猿狗の様子を見て、天照はくすりとほほ笑むと、いよいよ桃姫と雉猿狗の手の届く距離まで降りてきた。


「──犬、猿、雉の姿のほうが私には見慣れておりますが──雉猿狗としての姿も、"様"になってまいりましたね──」


 宙空に浮かんだ天照が極光する天衣をなびかせながらそう告げると、雉猿狗は畏敬の念を込めながら天照に向かって深々と頭を下げた。


「──日ノ本最高神として、現し世に強く干渉することは、本来ならば忌避すべきこと──しかし、悪意ある者たちによって日ノ本が蹂躙されるとあらば話は別──二人の苦難の旅路に対して、私から"神の御業"を授けましょう──」


 天照は細めた黄金色の瞳から光の粒子を放ちながら桃姫と雉猿狗に優しく告げると、右手をスッ──と持ち上げてから雉猿狗を見た。


「──雉猿狗、こちらへいらっしゃい──」

「……はい……!」


 天照に呼ばれた雉猿狗が声を発して天照の前に進み出ると、天照は伸ばした右手に神力を込めて黄金色に極光させ、雉猿狗の目元を覆うように、そして撫でるように軽く触れた。


「──……ッ!?」


 両目を通して身体に流れ込んでくる天照の熱い神力に思わず雉猿狗が声を漏らした。そして、天照の黄金色の右手で撫でられた雉猿狗の翡翠色の瞳の中央には、波打つように神々しい黄金色の波紋が宿っていた。


「──私の持つ御業の一部、神術〈神雷〉を授けました──苦難の旅路の折、有効にお使いなさい、雉猿狗──」

「はい……! ──有難き、神の御業……!」


 神術を授かった雉猿狗は、宙空に浮かぶ天照に感服しながらお辞儀をした。


「あの……アマテラス様、一つだけお尋ねしてもよろしいですか」


 桃姫はそんな様子を見届けたあと、天照に怖ず怖ずと声をかけた。


「──はい。臆せず申し上げなさい、桃姫──」


 快く了承した天照に桃姫は、"祭りの夜"の惨劇以来、ただ一つだけ天照に聞きたかった質問を投げかけた。


「ありがとうございます……! ──あの、その……父上と、母上……おつるちゃんは……天界で幸せに暮らしているでしょうか……?」

「──はい、もちろん──」


 桃姫の言葉に対して、太陽神としての暖かなほほ笑みでしっかりと頷きながら答えた天照。


「……ああ……よがっだぁ……」


 その返答を聞いた瞬間、桃姫の濃桃色の瞳にぶわっと大粒の涙が浮かび、桃姫は安堵の声を漏らした。


「──天界より二人の旅路、花咲村の皆が見護っておりますよ──臆さず前に進みなさい、桃姫、雉猿狗──この天照が、二人の旅路を祝福いたしましょう──」


 黄金色の瞳を強く輝かせた天照は宣言するようにそう告げると、天照山の山頂に伸びる黄金色の光の柱を天界に向けて駆け上がるように飛翔していった。

 そして雨雲の高さまで一気に昇ると、極光する黄金色の光の粒子を天衣から解き放って、周囲を囲む分厚い雨雲を盛大に吹き飛ばして瞬時に霧散させた。


「……うわぁ──!」

「……ああ──!」


 灰色の雨雲が消えて青空が現れるその光景を見届けた桃姫と雉猿狗が、思わず歓喜の声を発した。

 晴れ渡った青空に黄金色に光り輝く太陽が姿を現すと、天照山の山頂に立つ桃姫と雉猿狗の姿を明るく照らし出して祝福するのであった。

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