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30.顕現、大悪路王

 関ヶ原の北方、笹尾山のふもとにて、目を閉じた役小角が静かに口を開いた。


「──悪路王の頭髪、3000を超える魂が抜ける前の新鮮な死体、怨嗟にまみれた鬼ヶ島の首領……そして、混沌渦巻く関ヶ原の大戦場──」


 特徴的なしゃがれ声でそう言いながらゆっくり目を開くと、道満、晴明、伝説的な陰陽師である二人の弟子と視線をかわした。


「──機は熟した。これより、日ノ本に"千年大空華"を花ひらかせる──」


 役小角は宣言するように告げると、白装束の懐に左手を差し入れて漆黒の球体、"鬼捕珠"を取り出した。

 怨嗟の鬼、温羅巌鬼を内部に捕らえた"鬼捕珠"は、役小角の手のひらからふわりと離れると宙空へと浮上していく。


「……いよいよ始まるのですな……御大様──」

「千年待ちわびた……我らの時代が遂にきたる──」


 顔に赤い呪符を貼りつけた道満と緑の呪符を貼りつけた晴明が、三人の間に浮かんでいく"鬼捕珠"の姿を見上げながら感嘆の声を漏らした。


「──ノウボウ──アキャシャ──キャラバヤ──オン──アリキャ──マリボリ──ソワカ──」


 左手で印を結びながら、右手に持つ〈黄金の錫杖〉を掲げて虚空蔵菩薩のマントラを唱えた役小角。

マントラを聞き届けた漆黒の球体"鬼捕珠"が瞬時に巨大化していくと、内部にいる巌鬼の姿が半透明の黒い球体の中に見えるようになった。

 両腕で両膝を抱えて丸くなりながら目を閉じる巌鬼の姿を、役小角は満面の笑顔で見上げた。


「──温羅坊、まるで赤子のようだのう」


 役小角は愛おしそうに目を細めながら呟くように言うと、道満と晴明に目配せして、頷きあった。

 そして、道満と晴明がスッ──と両手を重ね合わせ、役小角と三人で詠唱を始める。


「──空華──虚空華──夢幻空華──千年に及ぶ"大空華の法"により、今、日ノ本にその大花輪を顕現せしめよ──」


 役小角、道満、晴明の三人の伝説的な陰陽師の詠唱に応えるように中央に配された神棚の上の悪路王の白い頭髪をくくった赤い紐がプツリ──とちぎれた。


「──純然たる悪にして──超然たる美の化神──しかと目覚めよ──"大悪路王"──」


 役小角、道満、晴明の詠唱に力が込められると、悪路王の白い頭髪がパラパラ──と浮かび上がって巌鬼を内部に捕えた"鬼捕珠"に一本一本、吸い込まれていく。


「──ノウマク──サンマンダ──バザラダン──センダン──マカロシャダ──ソワタヤ──ウンタラタ──カン──マン──オンッッ──!!」


 役小角、道満、晴明が不動明王のマントラを唱え終えると同時に、左手を勢いよく上方にバッ──と突き出して呪力を全力で"鬼捕珠"に注ぎ込む。

 その瞬間、悪路王の頭髪をすべて吸収した"鬼捕珠"が暗黒の極光を放ちながらぐるぐると縦横無尽に回転し始める。


「──くかかかかかかッッ──!!」


 その光景を見上げた役小角は、深淵の大宇宙を内包する漆黒の瞳を大いに広げて高笑いの声を発すると、極光する"鬼捕珠"から鬼の血に似た"黒液"が盛大に噴出された。

 怒涛の勢いで四方八方に噴き出した"黒液"は、三人の陰陽師の頭上に降り注いで瞬く間に漆黒に染め上げながら飲み込んでいくと、更に勢いと放出量を増していき、笹尾山のふもとに描かれた巨大な五芒星の陣"大顕現陣"をなぞるようにして激流のように走っていった。


「──ウォオオオオッッ!!」


 迫りくる"黒液"に向かって鬼人と化していた島左近が赤く染まった目を見開いて叫んだ。島左近率いる鬼人兵の軍勢は、五芒星の五つの角それぞれに関ヶ原で討ち死にした死体を集める役目を務めていた。

 山のように積まれた死体と共に"黒液"に飲み込まれていく島左近と鬼人兵の群れ。関ヶ原の北方に突如として現れた巨大な五芒星は"黒液"によって形どられていくと、暗黒の光りを放って輝き出した。


「……何、何が起きてるの……ッッ──!?」


 白桜に騎乗した桃姫が遠くで起きている異様な光景に瞠目しながら叫ぶように言った。

 関ヶ原の前線で合戦に身を投じていた西軍と東軍の兵たちも笹尾山のふもとで起きている異常事態に気づき始め、鍔迫り合いをしながらその様子を見届けている者もいた。

 五芒星の五つの角に積まれた死体の山を飲み込んだ"黒液"は死体を巻き込みながら上空に持ち上がっていくと温羅巌鬼と悪路王の頭髪、そして三人の陰陽師を内包した"鬼捕珠"に向かって飛びかかるように伸びていった。

 五方向から飛んできた膨大な量の"黒液"が"鬼捕珠"の元に集結していくと、暗黒の球体は更に極大化していくと共に、その下では巨大な"人間"の下半身を形成していった。


「……あ、ありゃぁ、なんだぁ……」


 鍔迫り合いをしていた東軍の武者が刀を降ろして呟くと、西軍の武者も唖然とした顔で笹尾山のふもとに現れた黒い"人間"の下半身を見やった。

 笹尾山のふもとに広がる"大顕現陣"の上に、二本の足で立つように巨大な"人間"の下半身が形成されていくと、"鬼捕珠"の球体は限界まで膨れ上がった。

 遠くから見たその光景は、漆黒に光り輝く巨大な"花の蕾"をした上半身を持つ大巨人のようであった。


「…………」


 あれだけ騒がしく混沌としていた関ヶ原の戦場が静寂に包まれる。笹尾山のふもとに突如として顕れた漆黒の"花の蕾"に全員の視線がそそがれた。次の瞬間。


 ──バァァァアアアアンッッ──!!


 大気を震わす猛烈な破裂音と共に巨大な"花の蕾"が破裂すると、その内部から"開花"するように両腕を広げながら"黒液"で形成された"人間"の上半身が優雅に顕れる。

 鍛え抜かれた彫刻のような漆黒の肉体を持った大巨人は、両眼を閉じた漆黒の顔で関ヶ原の戦場を睥睨すると、カッ──と大きく両眼を見開いた。

 その両眼は眼球まで真っ赤に染まっており、千年前の蝦夷地に現れた鬼の王、悪路王と同じ"魔眼"であった。


「──さぁ、"千年悪行"を始めるぞ。"大悪路王"よ──」


 "大悪路王"の胸奥で合掌した役小角が告げた。同じく合掌した道満と晴明と三人で"大悪路王"の制御を行っていた。

 "大悪路王"が両腕を広げて弾いた"花の蕾"の欠片は、関ヶ原の大地に雨のように降り注ぐと、"黒液"となって西軍と東軍に襲いかかった。


「……あッ! あああッッ──!!」


 大地に広がった"黒液"はまるで意思を持っているかのように蠢きながら叫んだ武者の手を掴むと"黒液"の中に引きずり込む。

 それはまるで、"黒液"に取り込まれた死者の魂が"道連れ"を求めているかのような光景であった。


「──くかかかかかッッ!! このまま日ノ本全土を黒く染め上げようぞッッ──!!」


 巨大な脚を持ち上げた"大悪路王"が一歩前に踏み出すと、黒い足で地面を踏みしめたそこからも"黒液"がドバッ──と溢れ出して、関ヶ原の大地を黒く"汚染"していく。


「──かかか! これよ! この力! これぞ、悪路王を超越した、わしの"千年大空華"──"大悪路王"の力よォッッ──!!」


 "大悪路王"の胸奥で両眼から黒い涙をしとどに流しながらこれ以上ないほど満面の笑みを浮かべた役小角が咆哮するように喜びの声を発した。

 三人の陰陽師によって制御された"大悪路王"は容赦なく関ヶ原の大地を闊歩し、巨大な足で踏みしめるその度に"黒液"を噴出して津波を引き起こした。

 西軍、東軍かまわず、次々と"黒液"の津波に飲み込まれていき。関ヶ原の大地は瞬く間に黒く染まっていった。


「……ああ、なんてことでござるか……! ああッッ──!!」


 松尾山城の城壁の上から五郎八姫が関ヶ原の光景を見て悲鳴のような声を上げた。

 突如として笹尾山のふもとに顕れた常人の20倍を超える大きさを誇る漆黒の巨人が関ヶ原の大地を蹂躙しながら歩き回っているのである。

 迫りくる"黒液"に追い立てられるように前線から撤退してきた小早川の軍勢が城壁の上から降ろされた縄梯子を使って懸命に登って来る。


「……ももッッ──!!」


 そんな光景を横目で見やりながら、五郎八姫は桃姫の無事を祈って叫んだ。

 一方、羅刹刑部を退治して桃配山から駆け降りた桃姫は、漆黒の大巨人の顕現に目を見張りながらも、逃げ惑う東軍の兵たちを尻目に、その大巨人に向けて白桜を走らせていた。


「──白桜っ、ここまででいい……! ──あなたは、逃げて……!」


 押し寄せる"黒液"の波に足元をすくわれないように跳ね跳びながら器用に走っていた白桜だったが、大巨人に近づくにつれて"黒液"の量が多くなり、もはや限界と見た桃姫はそう叫ぶと、白桜の背中から跳躍して拡大していく"黒液"の川を飛び越えて対岸の岩の上に着地した。


「──あなたは関ヶ原の外に逃げるのっ! ──良い子だから、早くっ!」


 白桜は困惑した面持ちで、"黒液"の川の前で足踏みしながら対岸に立つ桃姫の姿を見ていたが、桃姫のその必死の言葉を受けるとヒヒン──と大きくいなないた後に反転して、無人の状態で関ヶ原を東に向けて駆け出していった。


「そう……それでいいの。後は、私がやるから──」


 桃姫は遠ざかっていく白桜の姿を見送ったあとにフッ──と振り返った。

 その瞬間、上空から耳障りな鳴き声を発しながら飛来してきた一匹の鬼虫を見やった桃姫は、流れるような動きで左腰の白鞘から〈桃源郷〉を引き抜き様に斬り上げ、寸断された死骸をドボッドボッ──と背後に流れる"黒液"の川の中に落とした。


「──お願い……雉猿狗、私を導いて……」


 白銀色の波紋を濃桃色の瞳に浮かべて、祈るようにそう告げた桃姫は白鞘から〈桃月〉も引き抜き、銀桃色の刃を持つ聖なる刀を両手に固く握りしめる。

 そして、妖々魔仕込みの"大跳躍"で岩を蹴り上げ、"黒液"に侵されていない地面の上にスタッ──と着地すると、関ヶ原を闊歩する漆黒の大巨人、"大悪路王"に向けて単身、駆け出すのであった。

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