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29.鬼退治の専門家

 秀明に突きつけられた究極の二択──自ら崖下に身を投げて命を断つか、それとも憤怒の大鬼、羅刹刑部に体を引き裂かれて絶命するか。


「はァッ……! ──はゥぁぁああっっ……!!」


 秀秋は横目でちらりと羅刹刑部の恐ろしい顔貌を見やって甲高い悲鳴を発すると、遂には城壁の縁に両手を掛け、飛び降りて命を断つことに決める。


「──ガァゥルラァァッッ!!」


 そうはさせまいと跳躍するために両膝を深く折り曲げながら羅刹刑部が吼えたその時──羅刹刑部の後方から、天高く跳躍しながら現れた白い軽鎧をまとった長い桃色髪の女武者の姿があった。


「──ヤエァアアアアッッ──!!」


 白銀色の波紋を濃桃色の瞳に浮かべた桃姫は、裂帛の声を張り上げながら両手に握りしめた銀桃色の輝きを放つ二振りの仏刀を宙空で薙ぎ払うようにして、羅刹刑部の漆黒のヒレが立った背中目掛けて斬りつけた。


「──ギャォオオオオオッッ──!?」


 二刀による渾身の斬撃を体の右背面に受けた羅刹刑部は獣の咆哮を張り上げながら大きく吹き飛ばされる。

 桃姫は城壁の上に着地すると、死を覚悟して縁から身を乗り出しかけていた顔面蒼白の秀秋と視線を合わせた。


「──鬼の相手は、私に任せてください」

「……あ、あう……ああっ……」


 桃姫が力強くそう告げると、秀秋は仏を拝むような眼差しで涙を流しながらうんうんと頷いた。


「──グ……グがぁああ……!」


 硬い背ビレを斬り裂かれながら背面に刻まれた痛々しい二本の裂傷から黒い血をダラダラと垂れ流した羅刹刑部は、苦悶の声を発しながら起き上がると、憤怒の形相で桃姫を睨みつけた。

 それに対して、桃姫が秀吉を護るように立ちはだかると、両手の仏刀を構え直してその切っ先を羅刹刑部に差し向ける。


「──グァァアアアアルッッ!!」


 黒光りする"羅"の文字が浮かんだ赤目を見開き、鼓膜が破れんばかりの巨大な咆哮を羅刹刑部が桃姫に向けて放ったその時、別の方角から声が発せられた。


「こっちでござるよッ──!! 大谷殿ッ──!!」


 城壁の上に現れた五郎八姫はそう叫ぶと、着火された火縄銃の銃口を羅刹刑部に向けて即座に弾丸を撃ち放った。

 高速で飛来した鉛の弾丸はズドンッ──と羅刹刑部の右側面に命中して羅刹刑部は大きく怯んだ。


「──もう一丁ッッ……!!」


 五郎八姫は声を発しながら撃ち終わった火縄銃を放り投げて捨てると、隣でしゃがみ込んだ小早川兵が着火済みの火縄銃を五郎八姫に素早く渡して、受け取った五郎八姫が羅刹刑部に向けて即座に構える。

 そして間髪入れずに発射された二発目の弾丸は、またしても羅刹刑部の右脇腹に命中した。


「──ガォオオオッッ──!!」


 鉄砲の連射を受けて、泣き叫ぶような悲鳴を上げながら膝をついた羅刹刑部。


「痛いでござるか大谷殿ッ──!? そもそもおぬしは軍師──そのような図体になっても、戦闘には不慣れなようでござるなッ──!!」


 五郎八姫が叫びながら、銃口から盛大に白煙を噴き出す火縄銃を投げ捨てて、更にもう一丁、小早川兵から着火済みの火縄銃を受け取る。


「やはり軍師は軍師らしく、後方で御輿に乗って采配を振るっておれば──よかったのでござらぬかァッ──!?」


 五郎八姫は火縄銃を構えて、三発目の弾丸を羅刹刑部に向けてドンッ──と撃ち放った。

 羅刹刑部は憤怒の眼差しでちらりと桃姫の後方で尻もちをついている秀秋の姿を一瞥したあとに、膝をついた状態から城壁を蹴り上げて跳躍し、弾丸をかわした。


「……うあッ──!?」


 そして、羅刹刑部は五郎八姫の眼前に着地すると、五郎八姫は羅刹刑部の漆黒の巨体を見上げながら慄きの声を漏らし、隣の小早川兵が恐怖に腰を抜かして尻もちをついた。


「──いろはちゃんッッ!!」


 桃姫が叫びながら両手に仏刀を構えて駆け出す。五郎八姫は桃姫の声を受けて正気を取り戻すと、右手で〈氷炎〉の柄を握りしめ、黒鞘から引き抜き様に羅刹刑部の二発の銃弾を受けた右脇腹に向かって斬りつけた。


「──デヤァァアアアッッ──!!」


 独眼を見開き、裂帛の声を張り上げた五郎八姫──しかし、それより素早く羅刹刑部は身を翻すと刻命刀の斬撃をかわし、黒鱗の生えた長い尻尾を五郎八姫に向けて振り抜いた。


「──グラアァァアッッ──!!」

「──尻尾ッ……!?」


 羅刹刑部の憤怒の咆哮を耳にしながら驚愕の表情で声を発した五郎八姫。まさか、尻尾による攻撃が来るとは思わず油断していたその体に、羅刹刑部渾身の一撃が叩き込まれた。


「──がァはッッ……!!」


 強靭な尻尾の一撃を黒い軽鎧をまとった腹部に食らって嗚咽を発した五郎八姫は、勢いよく弾き飛ばされて城壁の上を転がっていくと、物見櫓の柱に背中から強かに叩きつけられてようやく止まった。


「いろはちゃんッッ……!!」

「……っぐぅ……! ……尻尾を、使うな……! ……この、卑怯者……!」


 羅刹刑部に向けて走る桃姫が叫ぶように呼びかけると、五郎八姫は激痛に顔を歪めながら腹部を手で抑え、独眼に涙を浮かべながら羅刹刑部に向かって悪態を吐いた。


「──鬼ッ、私が相手だッッ!!」


 二振りの仏刀を握りしめ、濃桃色の瞳に浮かぶ白銀色の波紋を拡大させながら羅刹刑部に迫った桃姫が叫ぶと、両手を広げて威嚇するように吼えた羅刹刑部。


「──グルラアァァアッッ──!!」

「──覚悟ッッ──!!」


 桃姫は体内から放ちだした白銀色の"闘気"を全身にまとうと、羅刹刑部目掛けてダンッ──と力強く城壁を蹴り上げて跳躍した。


「──ッ、グウウ……!! グヌウウッッ──!!」


 鬼を殺す銀桃色の刃を両手に光らせながら迫りくる桃姫に対して、明らかに怯えた様子を見せた羅刹刑部。


「──グラアァァアッッ!!」


 次の瞬間、羅刹刑部は両脚を屈めると、桃姫との戦いを避けるように大きく吼えながら天高く跳躍した。


「──っ!?」


 まさかの行動に驚いて声を漏らしたのは桃姫であった。羅刹刑部が元居た場所に着地しながら咄嗟に頭上を見やる。


「……飛んだッ!?」

「……っ、大谷殿……!」 


 苦痛に顔を歪めた五郎八姫と怯えた表情の秀秋もまた、松尾山の上空を跳躍する羅刹刑部の黒い影を見上げながら声を発した。


「グルルルル──!!」


 桃姫の姿を見下ろしながら上空で苦々しげに歯噛みした羅刹刑部は、松尾山の東の斜面に着地すると、関ヶ原東方にそびえる山の頂上を赤目でギロリと睨みつけた。

 そして、斜面を蹴り上げて再び力強い大跳躍をすると、松尾山城から遠ざかっていく。


「……あ、あの方角……まさかっ──!?」


 その羅刹刑部の行動を見届けた秀秋が声を上げると、桃姫が振り返って秀秋の顔を見た。


「間違いない……! 大谷殿の狙いは家康だっ……! 東軍総大将・徳川家康の本陣……"桃配山"に向かっているッ──!!」

「……"桃配山"っ……!?」


 秀秋の言葉を耳にした桃姫は、白銀色に染まった瞳を見開いて叫ぶように言った。

 そして、静かに振り返ると、羅刹刑部が向かった先──桃配山を見据えた。


「……行かなきゃ」


 桃姫はそう言って、白鞘に二振りの仏刀を収めると、城壁の上を歩き出した。そんな桃姫に向かって物見櫓の下にいる五郎八姫が声を投げかけた。


「もも……! 拙者も行くで、ござる……! ──ぐッ……」


 物見櫓の柱に身を預けた五郎八姫がそう言って立ち上がろうとすると、尻尾の一撃を受けた腹部に激痛が走り、苦悶の表情を浮かべてまた座り込んだ。


「──いろはちゃんは、ここに残って」

「……でも」

「いろはちゃんッ……!」

「……くッ……! ……かたじけない……!」


 桃姫の必死の言葉を受けて、五郎八姫は歯噛みしながらついていくことを断念した。


「──安心して、いろはちゃん……私は、鬼退治の専門家だから──」


 桃姫は笑顔でそう言って駆け出すと、城壁から颯爽と飛び降りて城門前で待っていた白桜にまたがって素早く駆け出した。


「……もも……信じてるでござるよ……」


 五郎八姫はそう言うと、物見櫓の柱に寄りかかりながら灰色の雲がかった関ヶ原の空を見上げた。


「──どうッ! どうッ!」


 桃姫は声を上げながら白桜を走らせて羅刹刑部の後を追った。


「グウゥゥウッッ……!! グアァァアッッ……!!」


 松尾山を下山した羅刹刑部は、この世のものとは思えないおぞましい声を喉奥から発しながら、両手両足を器用に使って獣のように関ヶ原の戦場を疾駆していく。


「な、なんだァ……!? 化け物ッ──!?」

「──グッ……ラアァァアアッッ!!」

「ぎヤあああッ……!!」


 徳川本陣に向けた進行方向で発生している西軍と東軍の合戦のど真ん中に突撃し、敵味方関わらずその鬼の爪と鬼の牙を振るって虐殺していく羅刹刑部。

 その光景はまるで、檻から放たれた獰猛な黒い獣が次々と人間を捕食しているように桃姫には見えた。


「たすけ……がぁッ──!」

「──ガウッッ!! ガルゥッッ!! グラァァアアッッ──!!」


 雑兵たちの真っ赤な臓物を宙空に撒き散らしながら、羅刹刑部は関ヶ原の戦場を横断し、徳川が本陣を構える桃配山へ向けて猛進する。


「……待てッ──! くっ……こんな戦場の中を……!」


 桃姫は巧みに白桜の手綱を操りながら、混乱と混沌の渦巻く関ヶ原の合戦場を駆け抜けた。

 その時、白桜目掛けて一本の矢が戦場から放たれた。


「──ドウッ……!」


 桃姫は手綱を強く引いて白桜の胴体を持ち上げ、盛大に嘶(いななか)せると、矢を寸での所で回避させる。

 興奮した白桜が胴体をドスン──と地面に降ろすと同時に、桃姫は白桜の胴体を両足で蹴り、再び全力で走らせた。


「──ひひーん!!」

「──怖いよね、でも、もう少し……! もう少しだけ走って……! ──白桜……! お願いッ……!」


 桃姫は前傾姿勢を取って白桜の体に自身の体を密着させると、血管の張った白い首筋を右手で撫でながら祈るように告げた。

 その時、白桜の体に着せられた金色に輝く伊達家の家紋入りの紺色の馬装を見て桃姫はハッ──と気づいた。


「──っ! そうだ、私は伊達の女武者ッ……東軍の陣地を通れるんだ──!!」


 桃姫は合戦場のど真ん中を直進する羅刹刑部の道を逸れると、東軍の陣地が展開されている関ヶ原の南東部に向けて白桜を走らせた。


「──忠勝殿ッ! 西の方角から白い馬が走ってきますッ! いかがなされましょうぞッ!?」

「なに……戦場に白馬だと……! いや、待てッ! あの家紋は……! ──あれは、伊達の馬だッ! ──撃つな! 通せッ──!」


 本多忠勝が椅子から立ち上がり、野太い声を発しながら名槍〈蜻蛉切〉を高く掲げた。


「──感謝しますッ……!」

「んんッ……!? 戦場を白馬で走る……桃色の髪の、女武者──!?」


 本多忠勝は、白馬が通ったあとに残された不思議な桃に似た香りを嗅ぎながら、牡鹿の大角が飾られた黒い兜の下で顔に疑問符を浮かべた。


「どうッ……! どうッ……!」


 東軍陣地を駆け抜けた桃姫は、桃配山の斜面を駆け上がり始めた羅刹刑部を追いかけるようにして白桜を更に走らせた。

 そして遂に、徳川の葵紋が描かれた大きな陣幕が張られた桃配山の山頂まで来ると、家康を護ろうと詰め寄せた武者たちを両腕を振るって薙ぎ払いながら羅刹刑部が前進している光景を桃姫は目撃した。


「……ひ……ひぃ、鬼ぃ……!」


 そんな羅刹刑部に向かって怯えた声を発しながら、震える手で弓を構えた若い兵の姿を視界に捉えた桃姫は、白桜で走り抜き様にその兵から弓と矢を取り上げた。


「──お借りしますッッ──!!」


 そう告げた桃姫は、揺れる馬上で器用に弓の弦に矢をあてがうと、武者の体を鬼の爪で引き裂いた羅刹刑部の赤目に狙いを定めて限界まで引き絞った矢を撃ち放った。

 放たれた矢はビュオン──という凄まじい風切音を立てながら、羅刹刑部の瞳の中央に輝く"羅"の文字にドスッ──と突き刺さる。


「──ギャオオォォオオッッ!!」


 羅刹刑部は右目に走った突如の激痛に絶叫すると、武者の亡骸を踏みにじりながら、四つ脚で駆け出す。

 そして、勢いそのまま陣幕を引き裂いてその内部に突入した。


「──お、お、鬼……ッッ!! 入ってきたではないか……!! 外の武者どもは、いったい何をしておるか……!!」


 陣内に現れた羅刹刑部の姿を目にして椅子から転げ落ちた徳川家康が軍配を掲げながら叫んだ。そして、家康の左右に侍っていた鎧武者が一斉に家康の前に移動して、羅刹刑部に向けて長槍を構えるが、その長槍の切っ先は恐怖に震えていた。


「お、おぬしらぁ! 何を震えておるッッ! ──即刻、鬼を退治せぬかッッ!!」

「──う……ウォオオオッッ──!!」


 家康にけしかけられた二人の鎧武者は恐怖心を振り払うように雄叫びを上げながら羅刹刑部に向けて突撃する。

 突き出された長槍の切っ先は、羅刹刑部の左肩と右胸にズブリ──と突き刺さったものの、羅刹刑部は動じることなく、次の瞬間、重厚な鎧ごと武者の体を鬼の爪で刺し貫いた。


「……あ、ああ……」

「──イエヤス──カクゴ──」


 鎧武者の亡骸を両腕から落とした羅刹刑部がそう告げながら、尻もちをついて後ずさる家康を見下ろして近づく。


「……おぬし、大谷……大谷殿なのであろう……? そ、そうだ……この戦が終わったならば、大谷殿の所領は安堵としようではないか──これ以上の寛大な処分はないぞ……!」

「──ガゥルルルルルッッ!!」


 顔に脂汗を浮かべた家康は笑みを浮かべながら羅刹刑部に懇願するが、羅刹刑部は"悪魔"のそれに似た顔で家康を睨みつけながら唸り声を発した。


「……なぁ、だから、どうか……わしの命だけは……! なにとぞ……! なにとぞ……!」

「──イエヤス──シスベシ──」


 羅刹刑部が血濡れた黒い鬼の爪を命乞いする家康に向けて振りかざしたその時、羅刹刑部の背後の陣幕を巻き上げながら、猛烈な桃色の烈風が迫った。


「──ガォオオオッッ──!?」


 羅刹刑部の巨体が烈風に吹き飛ばされて椅子を薙ぎ倒し、陣幕を破りながら外に弾き飛ばされる。

 尻餅をついた家康が驚愕に目を見開きながら烈風の放たれた元を見ると、二振りの仏刀の銀桃色の刃の切っ先を前方に突き出して肩で息をする桃姫の姿があった。


「……はぁ……はぁ……はぁ……!」


 濃桃色の瞳に白銀色の波紋を大きく拡大させた桃姫は激しく脈打つ心臓の鼓動を抑えて息を整えると、家康の前に移動して口を開いた。


「──家康さん……私の後ろに……」

「は……はぁあぁ……」


 放心状態の家康は頷きながら声を漏らすと、尻を引きずって後ずさるようにして桃姫の背後に移動した。


「──グゥラアァァァアッッ──!!」


 吹き飛ばされて激昂した羅刹刑部が猛獣の吼えを発しながら起き上がると、桃姫に向かって駆け出し、下半身を回転させ、硬い尻尾を桃姫の顔面に向けて振り払った。


「……ふッ──!」


 桃姫は瞬時に身を伏せて尻尾の一撃をかわすと、〈桃源郷〉と〈桃月〉の柄を両手で握りしめ、稲妻のような速度で斜め上に向けて斬り上げた。


「──妖々魔奥義──妖心斬ッッ──!!」

「──ギャギッッ!! ギイイィィィイッッ──!!」


 激痛に絶叫する羅刹刑部と、✕字に斬り裂かれて宙空を舞う羅刹刑部の黒い尻尾。

 切断面からは黒い鬼の血が噴き出しながら、羅刹刑部は地面に倒れ込んだ。


「──悪鬼、死すべし──!!」


 二振りの仏刀を構え直した桃姫は全神経を集中させてそう告げると、地面に崩折れながら怯えた表情を見せて振り返った羅刹刑部と眼を合わせた。


「……グラッッ……!!」


 羅刹刑部から見た桃姫の顔は、己よりも遥かに鬼気迫る顔──恐ろしい"鬼の顔"に見えていた。


「──雉猿狗奥義──双桃獣心閃(そうとうじゅうしんせん)ッッ──!!」


 瞳を白銀色に染め上げ、全身に"闘気"をまとった桃姫は、両手に構えた仏刀を横に倒し、右から左に向けて全力で薙ぎ払うように振り払った。

 恐怖に怯えた羅刹刑部はなすすべなく、"鬼の心臓"を横に二重に切断されると、鬼の牙が伸びる口から黒血を吐き出し、そのまま絶命した。

 家康の眼前で繰り広げられた壮絶な鬼退治の一幕に、家康はガタガタと体を震わせながら何とか声を発した。


「……お、おぬし……何者じゃ……」


 白銀色の波紋を縮小させ、濃桃色の瞳に戻った桃姫が仏刀についた鬼の返り血を振るって払うと、家康の黒い目を見ながら告げた。


「──私は桃姫──鬼退治の専門家です──」

「……もも、ひめ……」


 家康は畏怖の念と共にその名を繰り返すと、桃姫は静かに頷いてからフッ──と関ヶ原の方を見た。


「……ッッ!!」


 関ヶ原から嫌な気配を感じ取った桃姫が徳川の陣幕から走って抜け出すと、桃配山の山頂から関ヶ原を見た。


「……鬼虫……!!」


 そこで桃姫が目にしたのは関ヶ原の空を覆うように飛び交った大量の鬼虫の群れ、そして、遠く笹尾山のふもとに立つ役小角の姿であった。


「──ッッ!! 白桜……! 行くよ……!」


 桃姫はカッ──と両眼を見開いて叫ぶように言うと、白桜を呼び寄せて颯爽と騎乗し、即座に駆け出して桃配山を降っていった。


「……は、はぁああ……」


 家康は地面に尻もちをついたまま放心状態で声を漏らすと、隣で息絶えている羅刹刑部の屍をちらりと目にして、顔を引きつらせるのであった。

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