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32.極楽浄土にて

「──桃姫──桃姫──」


 優しく呼びかけてくる聞き覚えのある懐かしい声を耳にした桃姫は、ゆっくりと目を開くと、白い空に向かって伸びる黄金の稲穂の群れをその視界に捉えた。


「……ん……んん」


 身を横たえていた桃姫は体を起こすと、心地よい風に吹かれながら揺れる黄金に光り輝く稲穂の海原が広がる景色を目にして息を呑んだ。


「……桃姫っ──!」

「──っ……?」


 背後から強く呼びかける声に慌てて振り返った桃姫は、驚きと共に大きく目を見開いた。


「──ああ、桃姫っ……! ──会いたかった……!」

「──桃姫、やっと会えたな……」


 黄金の海原に立ち、温かなほほ笑みを浮かべながら声をかける小夜と桃太郎。両親の姿を目にした桃姫は思わず一筋の涙をこぼしながら口を開いた。


「……父上、母上……ここは、どこなの……?」


 桃姫は震える声で言うと、周囲に広がる黄金の海原を改めて見渡した。


「──ここは"極楽浄土"……ここから先に進めば、"天界"に通じているんだ」

「っ……"天界"……!?」


 桃太郎の言葉を聞いた桃姫が驚きながら声に漏らすと、桃太郎と小夜の背後の宙空に黄金の光の粒子で形作られた閉じられた大扉が浮かんでいるのが見えた。


「──ええ、"天界"には花咲村のみんながいるわ。おつるちゃんもいる……さぁ、行きましょう、桃姫」


 黄金の風に吹かれた小夜が艷やかな長い黒髪をなびかせながら言うと、桃姫はフッ──と嫌な気配を感じて後ろを振り返った。


「──……ッッ!?」


 桃姫の背後、その足元には、黄金の海原にあって大穴が開いたかのような、大きな裂け目がぽっかりと広がっていた。

 そして、その先には関ヶ原の戦場が見えており、拡大し続ける"黒液"の海を"闇の大空華"である"大悪路王"が闊歩している阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。


「……ッ……!!」


 裂け目の向こう側から"極楽浄土"に向けて届けられる亡者たちのおぞましいうめき声を耳にした桃姫は眉をひそめて苦渋の表情を浮かべた。


「──見なくていいッッ──!!」

「……っ」


 そんな桃姫の背中に向けて、桃太郎の声がピシャリと発せられると、桃姫は裂け目をのぞき見るのをやめて桃太郎と小夜に振り返った。


「──"下界"は……もう見なくていいんだ」


 桃太郎もまた苦渋の表情を浮かべながら桃姫に向かって告げた。


「……桃姫は十分戦った。その細い腕で、よく鬼や悪意と戦い続けた……もう戦わなくていいんだ──」

「──桃姫、これ以上あなたが苦しむ必要はないの……これは父上と母上の心からの願いよ」


 桃太郎と小夜が暖かな風が吹く黄金の海原で桃姫に対して懸命に訴えた。


「私と小夜は、"天界"からずっと桃姫のことを見てきた……これ以上、桃姫が悲しい涙を流す姿を見るのは耐えられない」


 桃太郎の口から発せられる真摯な言葉を受けて、桃姫は目を伏せる。その時、自身の胸元に〈三つ巴の摩訶魂〉がないことに気づいた。


「……っ!? 雉猿狗──雉猿狗は……!?」


 濃桃色の瞳を見開いた桃姫が〈三つ巴の摩訶魂〉を失った胸元をグッ──と握りしめながら桃太郎の顔を見やって声を上げた。


「──雉猿狗は……もういない。あの"黒液"に飲み込まれた者たちは、みな亡者となり無限に苦しみながら、現世の地獄を彷徨い続けることになる」


 お供の三獣に強い想い入れのある桃太郎もまた辛そうにしながら静かに言葉を紡いだ。


「雉猿狗は、〈三つ巴の摩訶魂〉に残っていた最後の"神力"を振り絞って、"黒液"に飲み込まれた桃姫を"極楽浄土"まで導いてくれたんだよ」

「……そんな」


 桃太郎の口から語られる真相に桃姫は愕然として声を漏らした。


「桃姫……雉猿狗の導きに感謝して、そして、共に"天界"に行こう──」

「──行きましょう、桃姫……」


 桃太郎と小夜がそう告げながら、桃姫に対して手を差し伸ばす。桃姫はそんな両親の優しさを痛いほどに受け取りながらも自身の手を伸ばすことに躊躇した。

 その時、桃姫の耳元に"下界"からの声が届いた。


「──五郎八姫殿っ! もうこれ以上、城内には入れられんっ! ──いつまでも梯子を伸ばすのは危険だっ!」

「──秀明殿ッ! 情けないことを言うなッ! 助けを求める者たちを見殺しにして、何が武将でござるかッ──!」


 松尾山城の城壁の上にて、小早川秀秋と五郎八姫が互いに決死の形相となって口論をしていた。

 城壁に何本も掛けられた梯子を西軍、東軍ごちゃまぜになった兵たちが必死の形相で登ろうとしているのを松尾山の斜面を這い上がって来た"黒液"から伸びる"黒い手"が足や腕を掴み取り、ひとりひとり"黒液"の中に引きずり落としていく。


「──ぎゃああッッ!!」


 その時、梯子を登っていた兵たちが一斉に悲鳴を張り上げた。梯子を掴んだ何十という"黒い手"が登っている最中の兵ごと"黒い海"に向かって引き込んで倒したのである。

 ドプンッ──という大きな音と共に"黒液"の中に沈み込んでいく梯子と兵たち。落ちた兵たちは"黒液"の中を泳ぎながら助けを求めて叫んでいたが、海中から伸びてきた無数の"黒い手"に顔を掴まれて"黒い海"の中に次々と沈められていく。


「──嗚呼、ッッ!!」


 城壁の縁に身を預けながら、その光景を目にした五郎八姫が絶望して独眼から涙を流す。

 そんな"下界"の様子を横目で見やった桃姫は、静かに口を開いた。


「──……行けない」


 そして、"極楽浄土"の黄金の海原に立つ桃姫は決意を込めた声で両親に向かって告げた。


「──父上、母上……私、まだ"天界"には行けない──」

「……ッ」


 力強い眼差しで、凛とした女武者としての声を発した桃姫の姿を見やった桃太郎と小夜は、ハッと息を呑んだ。


「──"下界"がこんなに地獄なのにさ……それを見て見ぬふりしろだなんて……父上と母上は、私をそんな子には、育ててないよね──?」


 桃姫の言葉を受けて、桃太郎と小夜は互いの顔を見合わせると、何も言えなくなった。

 黄金の海原、そこに立っていたのは10歳の泣き虫で弱々しい桃姫ではない、苦難を経て立派に成長した17歳の一人の女武者、桃姫であった。


「──よろしいでしょう──その覚悟、確かに見届けました──」


 その瞬間、桃太郎と小夜の背後、宙空に浮かぶ黄金の光の粒子で作られた大扉から神々しい声が発せられた。

 そして、バァン──と扉が開け放たれると、中から黄金の光の粒子が溢れ出して、あまりの眩しさに桃姫と桃太郎と小夜が目を細めた。

 桃姫は大扉の向こう側、黄金の光の粒子の世界から現れた一人の天女の姿を見やって濃桃色の瞳を大きく広げた。


「──アマテラス様ッッ……!!」


 黄金の光の粒子を伴って現れた日ノ本最高神・天照大御神の姿を見て、桃姫が感嘆の声を上げると、天照大御神は両手を広げながら黄金に極光する瞳で桃姫の顔を見やった。


「──桃姫──私のこの体──今より、あなたに預けましょう──」


 天照大御神は慈悲深くも力強い声音でそう告げると、黄金の光の粒子の軌跡を描きながら桃姫に向かって飛んでいき、その体を抱きしめるように両手で抱くとフワリ──と背後に回った。


「──あなたは桃太郎と同じく──"超常なる仏の力"をその体に宿しております──」


 天照大御神は桃姫の耳元でささやくように告げる。


「──"超常なる仏の力"に合わせて、"超常なる神の力"までをも得たあなたは──日ノ本の大守護者、"神仏融合体"となるのです──」

「……ッ……"神仏融合体"──」


 体を密着させた天照大御神の言葉を受けて、桃姫の濃桃色の瞳に浮かんでいた"白銀の波紋"に"黄金の波紋"がうねるように混じり始める。

 そして、桃色の長い髪が"仏炎"によって白銀色に染まっていくと、着ていた白い軽鎧がほどけて落ち、桃色の着物が神秘的な極光を放ち出して、白銀と黄金と桃色の三色がうねるように混じりあった八枚の長い光の羽衣が背中から生え伸びる"極光天衣"へと転じ始めた。


「──さぁ、桃姫よ──闇に染まる関ヶ原を救い清め、日ノ本を"悪意"より護るのです──」


 極光する黄金の瞳を閉じた天照大御神がそう告げると、桃姫の体と同化するようにスッ──と入り込んで完全にその姿を消した。


「──桃姫ッ……!」

「──桃姫っ……!」


 天照大御神と一体化するその光景を目の当たりにした桃太郎が声を漏らし、小夜は思わず祈るように自身の両手を固く結んだ。


「──父上、母上──」


 背中から生え伸びた神秘的な"花びら"のような八枚の光の羽衣(はごろも)をなびかせる"極光天衣"に身を包み、"仏炎"に燃える長い髪を光り輝かせた桃姫が桃太郎と小夜に向けて、力強く凛々しい声音で告げた。


「──日ノ本を、救って参ります──」


 桃姫のその立派な覚悟と姿を目にした桃太郎と小夜は熱く込み上げてきた涙をその目からこぼした。そして、頷きながら声を発した。


「──桃姫……! 日ノ本の闇を打ち倒してこい……! ──桃姫は、強い子だ……! 桃姫にはそれが出来る……!!」

「……はい……! 父上ッ──!!」


 濃桃色の瞳に希望と信頼を込めて告げた桃太郎の言葉に、黄金と白銀の波紋を走らせる濃桃色の瞳を輝かせた桃姫が力強く頷いて答えた。


「……桃姫っ──! 母上と父上はずっとここにいるから! ずっと、桃姫のことを見護っているから──! だから思う存分──やっちゃいなさいっ!!」

「はい……! 母上ッ──!!」


 握り拳を振り上げながら応援の言葉を発した小夜に対して、桃姫は笑みを浮かべながら力強く頷いて答えた。

 そして、"神の黄金"と"仏の白銀"と"桃姫の桃色"をうねるように混ぜ合わせながら光り輝く"極光天衣"を身にまとった桃姫は、その身からほとばしる極光する粒子を風に巻き上げながら振り返ると、黄金の稲穂の間に広がった"下界"へと繋がる裂け目を見下ろした。


「──行ってきます──」


 そして、桃姫が桃太郎と小夜に向けて、最後に小さくそう告げた横顔──その横顔は幼い日の桃姫がお気に入りの赤い鞠を小さな両手に抱えて玄関から外に出ていく瞬間の──あの横顔を桃太郎と小夜に想起させた。

 しかし、今の桃姫は17歳。日ノ本を守護する"大いなる光の存在"──桃太郎と小夜は美しい花びらのような長い羽衣が伸びる桃姫の背中を熱い眼差しで見届けながら小さく口を開いた。


「……行ってらっしゃい──」

「……気をつけてね──」


 一人娘を戦地へと送り出す、両親の慈しみと深い愛情の念が込められたささやかな声をその背中でしかと聞き受けた桃姫は、濃桃色の瞳に浮かぶ"神力"を司る黄金の波紋と"仏力"を司る白銀の波紋をグン──と拡大させた。

 そして、"神仏融合体・桃姫"は、関ヶ原の地獄絵図が広がる大きな裂け目に向かって一歩大きく足を踏み出すと、"絶対に日ノ本を救ってみせる"という熱い覚悟をその心に燃やしながら、胸を張って堂々と、"下界"への裂け目に我が身を投じるのであった。

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