3月3日──桃の節句、上巳の節句、ひな祭り。
日ノ本の古来より様々な呼び方あれど、この花咲村にもまた春がおとずれた。
関ヶ原の決戦より1年半、桃姫は19歳となり荒廃した花咲村の復興に一人いそしんでいた。
「──ふんっ!」
桃姫は掛け声を上げると、大の男が5人がかりでようやく持ち上げられる巨大なやぐらの残骸を一人で肩に担ぎ上げた。
そしてそのまま歩き出し、村の外まで運んでいくと、森に向かって全力で放り投げる。
「──だァッ!」
両手で放り投げられた黒焦げた材木は、森の木々に飲み込まれるように放物線を描きながら落下した。
天照大御神は体から抜け出ていたものの、未だ"神の力"が桃姫の体には多く残されており、神仏融合体であることには変わりなかった。
そんな桃姫は、正しく"百人力"とも呼ぶべき尋常ならざる力をその体から発揮していた。
「はぁ……これで、やぐらが、片付いた……はぁ、はぁ……」
桃姫は荒くなった呼吸を落ち着けながら言うと、額に浮かんだ汗を着物の袖をまくった腕で拭った。
そして戻ってきた桃姫は、1年半かけて片付けた村の全容を見回すと静かに口を開いた。
「……父上、母上……おつるちゃん……私、全部、片付けたよ……」
9年前のあの惨劇の夜、鬼の襲撃を受けて燃え上がった花咲村。その悲惨な残骸を桃姫は一人で黙々と片付けたのであった。
その行為には、桃姫にとって弔いの意味もあった。この村に確かに住んでいた人たち、村人たちの笑顔を一つ一つ思い出しながら、燃え朽ちた家々を解体して片付けていく。
それと並行して、桃姫は石碑の建立も行った。桃姫は花咲山で手頃な大岩を見つけると、それを削り出して石碑を作り、村役場の解体中に拾った名簿を便りに村人の名を彫った。
その中には、桃太郎、小夜、そしておつるとおつるの母、おかめの名もしっかりと刻んだ。片付けとは別に行うその行為によって、村で唯一生き残った桃姫の心が救われる部分が大いにあったのだ。
そして、村人の亡骸が眠る桃の木の下に石碑を建立し、家々が片付けられると、最後に残されたのは村の中央に鎮座するやぐらの残骸であった。
あの日、おつると調理小屋からおぼんを運んだ際に桃姫が垣間見た光景。桃太郎がやぐらの上で照れながら手を振った次の瞬間、な世界のすべてが一変してしまった、あのやぐらである。
家々を片付けたり、石碑を作ったりしている最中、桃姫は極力、あの忌々しいやぐらを見ないようにしていたが、最後に残されれば否応なしに相対せざるを得なくなる。
やぐらの前で息絶えた桃太郎の血溜まりは9年分の雨風によって土の上から消えてはいたが、桃姫はやぐらに近づく度に眼の前が暗くなる感覚を得た。
そして、実際にやぐらを片付けている作業中、いくつかの人骨が出てきたりもした。
9年間に渡ってやぐらの残骸に押しつぶされていたのだと思うと、桃姫はやるせない気持ちになったが、ひとつひとつ丁重に拾い集めると、桃の木の下に埋めて合掌した。
「……残ったのは、私の家と、桃の木だけ……」
桃姫は村の中にぽつんと立つ、質素ながらも一人で再建した桃姫の家と村はずれに立ち並ぶ桃の木を見た。
桃の花が満開に咲き誇り、春風に吹かれては花びらを舞い散らして村人たちが埋められた地面を桃色の絨毯で染め上げていく。
「……あとはただ、この村で静かに暮らしていくだけだね……」
村ひとつ分の片付けをたった一人で行うという大仕事の達成感を味わった桃姫は、静かに目を閉じると、心地よい春風にその身を預けながら呟いた。
その時、背後にフッ──と懐かしい気配を感じた桃姫は、濃桃色の瞳を驚きに見開いて咄嗟に振り返った。
「──雉猿狗……ッ!?」
桃姫が声を上げると、ただ桃の花びらが春風に巻き上げられて備前の青空に吹き上げられる光景が広がるのみであった。
しかし、桃姫は確かに雉猿狗の気配を感じたのであった。"お疲れ様でした、桃姫様"と太陽のほほ笑みを浮かべながら優しい声でねぎらう、あの翡翠色の瞳を持つ麗人の気配を──。
その日の夜──桃姫は花咲山で採った春の野草を入れた味噌汁と玄米の食事を作り、小さな仏壇にもお供えした。
簡易的に作った手製の仏壇には、両親の位牌と両親から贈られた手紙、そしておつるの赤いかんざしが置かれていた。
線香立てに線香を焚いて、巻貝の腕飾りをつけた手を合わせた桃姫は、村の片付けが終わったことを三人に報告した。
そして、一人分の食器を並べたちゃぶ台の前に敷いた座布団の上に座ると手を合わせながら口を開いた。
「……いただきます」
桃姫は声に出すと、一人、静かに食事を始めた。家の外では、伊達の白馬・白桜が干し草を食んでいた。
食事を終えて食器を片付けた桃姫は、家の裏手にある縁側に向かって座った。
すると、同じく食事を終えた白桜がやってきて桃姫に挨拶するように頭を下げた。ほほ笑んで返した桃姫は村の外、花咲山のふもとに見える赤い鳥居を眺めた。
村の家々が片付けられた今、桃姫の家の縁側からまっすぐ赤い鳥居が望めていた。そして桃姫は、その鳥居の先にある三獣の祠に想いを馳せた。
「……雉猿狗……会いたいよ」
桃姫がため息をつくように呟くと、白桜が心配そうに顔を寄せてきて、桃姫はその頬を撫でた。
「そうだね、白桜……私たちは仙台城に帰るべきなのかもしれない……村の片付けは終わった……みんなの供養は済んだんだ……いろはちゃんの所に戻ろうか……?」
桃姫は言いながら、気持ちよさそうに目を細める白桜の温かな熱を手の平越しに感じた。
「白桜も月影に会いたいでしょ……? 仲、よかったもんね」
「──ブルルル」
桃姫の問いかけに白桜は嬉しそうに鼻を鳴らして返した。
「突然私が仙台城に現れたら、いろはちゃんびっくりするだろうな……あははは」
桃姫は白桜から手を離して膝の上に置くと、半年以上会えていない五郎八姫の驚く顔を想像して笑った。
そして、春の夜空に浮かんだ白い満月を眺めながら深く息を吸った。
「……帰れる場所がある、待ってくれている人がいるっていうのは……本当にありがたいことだよね──」
桃姫はそう言うと、両手をグン──と夜空に向けて伸ばし、気持ちよさそうに目を閉じるのであった。