"大悪路王"との戦いから1ヶ月後──関ヶ原の戦いの勝者にして、江戸幕府初代将軍徳川家康による召し出しを受けた桃姫と五郎八姫は、建築中の江戸城の大天守閣を訪れた。
「……む?」
勢揃いした徳川家臣団を左右に並べた家康が、開かれたふすまの向こうから現れた桃姫の姿を見やると、眉根を寄せながら声を漏らした。
桃姫は白い手拭いで目元を巻いて隠しており、同行する五郎八姫の手に引かれながら杖をついて現れたのである。
その様子を目にした家臣団が一斉にざわつく中、桃姫と五郎八姫は大天守閣の大広間を歩いて進むと、家康の前で両膝をついて静かに正座した。
「──天下人、徳川家康公の召し出しを受け、ただいま仙台城より馳せ参じ申した。伊達家当主、伊達五郎八姫にございます」
「──同じく、伊達の女武者、桃姫にございます」
五郎八姫と桃姫はそう告げながら家康に頭を下げると、家康は右手を上げながら口を開いた。
「苦しゅうない、面を上げよ……うむ。遠路はるばる、奥州よりよくぞ参られたな」
家康のねぎらいの言葉を受けた桃姫と五郎八姫がスッ──と頭を上げると、家康は桃姫の顔を見ながら目を細めた。
「して、桃姫殿……その目は如何にした」
家康が尋ねると五郎八姫が横目で桃姫を見た。そして、桃姫が静かに口を開いた。
「はい……私のこの状態につきましては、あの日、桃配山にて何が起きたのかについての話からさせて頂きたいと思います──まず、桃配山の山頂にて、私が役小角の野心から生まれた"大悪路王"を打ち倒したことは、家康公もご存知のことかと思われます。その際、私は日ノ本最高神天照大御神様と己の体とを融合させました」
「──オオオオ……」
桃姫の言葉に大広間に居並んだ徳川家臣団が一斉に驚きの声を上げた。
「私は天照大御神様の力を得て、極光天衣を身にまとい、関ヶ原の黒く染まった大地に対して浄化を行いました。そして諸悪の根源、"大悪路王"の胸奥にいる役小角を浄化する際に、極光の奔流が、私と役小角を飲み込みました」
家康は目を見張りながら、桃姫の言葉に耳を傾けた。
「目覚めた私と役小角はとても不可思議な白い空間にいました。その場所は流れる時間が現実とは異なっており……とても説明のしようがない空間でした……そこで私は役小角の真の目的を知りました。私は激昂して、役小角を床に何度も叩きつけました……」
桃姫の隣に座る五郎八姫が膝の上に乗せた両手に力を込めて聞き届ける。
「役小角は罪滅ぼしの為に──日ノ本を護る風になると……そう言い出したのです。その瞬間、その体から猛烈な突風が吹き荒れると私は桃配山の頂上で役小角を光の粒子に変えていました。それと同時に、私の目に強烈な熱を感じて、それでも……"大悪路王"を完全に浄化するまではやめられないと思い……力を使い果たすまで、極光を放ち続けました」
桃姫はそう言うと、白い手拭いで目元が隠された顔を家康に向けた。
「私は、いつの間にか気を失い……桃配山にて倒れていたところを駆けつけた五郎八姫によって介抱されたのです……そうして、私が仙台城にて意識を取り戻した時──」
桃姫は自身の目元を覆っていた白い手拭いを解いてみせた。
「──私の目からは、光が失われていたのです」
「……なんと……」
桃姫の言葉とその白く染まった瞳を見て家康と家臣団が驚きの声を漏らした。
「……そうか……そなたは、自らの体を天照大御神に捧げ、日ノ本を救い清める光となったのだな……さらに桃姫殿、そなたは悪鬼羅刹と化した大谷吉継からもわしの命を救ってくれた……そなたの多大な功績を鑑みれば、それは筆舌に尽くしがたいものがあろう」
家康は感慨深く唸るようにそう告げると、桃姫の顔を見て笑みを浮かべた。
「桃姫殿、そなたはその"褒美"として何を求める。金銀財宝に所領……何でもよい。申してみせよ。この天下人、家康の威信にかけて、万事、叶えてみせよう」
「……では、一つだけ……お願いがあります」
「うむ、申してみせよ」
桃姫は手に持った手拭いを握りしめ、白い瞳に熱を込めながら口を開いた。
「天照神宮を、復興してください……役小角によって燃やされ、破壊された天照神宮を復興さえして頂ければ……それより他に私が望むことは何もございません──」
大天守閣での謁見からしばらく後──白桜に騎乗した桃姫と月影に騎乗した五郎八姫が江戸城を離れながら会話をしていた。
「──もも……本当にあれだけでよかったのでござるか? 狸爺のあの勢いなら何を言っても通りそうでござったよ?」
「うん……でも、私は欲しい物もないし、破壊された天照神宮だけが心残りだったんだ……だから復興の約束が出来たなら、それで良いんだよ」
桃姫の穏やかな言葉を受けて、五郎八姫は小さく頷いてから口を開いた。
「……しかし、ももの話を聞いていると、結局、"役小角"とやらの望んでいた通りに事が運んでしまった気がするでござるよ。"夢の後始末"をももにさせるだなんて……」
「……そうかもしれない。でも役小角は、これからは日ノ本を護る風になるって言ったよ」
江戸の大通りを進む白桜の上で桃姫が言うと、五郎八姫は首をかしげた。
「その"風になる"ってのがいまいちわからんのでござるよ……この空に吹いている風が役小角だって言うのでござるか?」
「……わからない……風に聞いてみたら、どうかな……」
桃姫が提案すると、五郎八姫は空に向かって大声を発した。
「──おーい、役小角! 日ノ本をめちゃくちゃにしやがって! 父上を返すでござる! この自己中千年ジジイッ──!!」
叫んだ五郎八姫の声が青空に吸い込まれて消えていった。
「うーん……まあ、ちょっとはすっきりしたでござるかな……でもこれ、大声を出したからではござらぬか?」
「……あははは」
桃姫は笑って返すと、秋の空に向かって息をはいてから、馬上で肩を並べた五郎八姫に顔を向けた。
「……ねぇ、いろはちゃん……実はいろはちゃんにも……ひとつだけ、お願いがあるんだ──」
それから半月後──桃姫は花咲村にいた。乾いた秋の風が寒々しく吹き、あの"祭りの夜"の襲撃によって破壊され、燃やされた村は何一つ変わらない姿のまま時代に取り残されていた。
誰もいないその廃村で、白桜に乗った桃姫は半壊した生家に辿り着くと、目が見えないながらも出来る限りの片付けをして暮らしていたのであった。
そして今日は、桃姫が18歳を迎える誕生日であり、忙しい合間を縫った五郎八姫が仙台城から月影に乗って花咲村にやってくる日でもあった。
「──もも、本当にこのまま花咲村で暮らしていくのでござるか……?」
「……うん。相変わらず目は良くならないけど、白桜が私の目の代わりになってくれてるんだ……だから、大丈夫」
「そうでござるか……」
屋根のみが補修された桃姫の半壊した家で、煤けた座布団の上に座った桃姫と五郎八姫が脚が欠けたちゃぶ台を挟んで会話をしていた。
「……"故郷に帰りたい"……そうももにお願いされたら、断ることなんて出来ないでござるよ……」
「うん……ありがとう、いろはちゃん。私は伊達の女武者なのに、勝手なことして……ごめんね」
「いや、謝る必要はないでござる。日ノ本の戦は終わったし、鬼もいなくなったのでござるからな」
「うん……」
座布団の上であぐらをかいた五郎八姫がほほ笑みながら言うと、脚を崩して座った桃姫も笑みを浮かべて頷いた。
「あ、そうだ、もも。拙者、18歳になったももに、"贈り物"を持ってきたでござるよ」
「……え?」
「もも、両手を出すでござるよ」
五郎八姫はそう言うと、自身の紺色の着物の胸元に手を差し入れて取り出した"贈り物"を、言われるがまま両手を出した桃姫の手のひらに置いた。
「……っ!?」
両手を握って、置かれた"贈り物"の感触を確かめた桃姫は白く染まった両目を見開いて驚きの声を漏らした。
「関ヶ原で、見つかったのでござるよ」
「これ……〈三つ巴の摩訶魂〉……」
桃姫は、手にしたその感触から伝わってきた心象を声に漏らした。
桃姫が両手で確かめる〈三つ巴の摩訶魂〉は、それぞれの翡翠に亀裂が入り、連なっていた形が三つに分裂していた。
「発見した者によると、桃配山の山頂……ももが倒れていた付近に落ちていたという話でござるよ」
「……ッ……最後まで、一緒にいてくれたんだね……雉猿狗──」
五郎八姫の言葉を聞いた桃姫は、砕けた〈三つ巴の摩訶魂〉を大切に胸に抱き入れた。
それから、五郎八姫は伊達領の戦後処理が忙しいという話を桃姫にすると、月影に跨がり慌ただしく仙台城に向けて帰っていった。
桃姫は五郎八姫を見送ってから白桜に乗って三獣の祠に向かった。
そして、祠の前で白桜から降りた桃姫は、白い石造りの祠の木製の扉を開いた。
祠の中に置かれた小さな陶器製の三つの骨壷には、犬、猿、雉、それぞれの絵柄が藍色の墨で描かれていた。
その小さな骨壷に手で触れた桃姫は、蓋の上に〈三つ巴の摩訶魂〉の欠片を一つずつ丁寧に置いていった。
「……雉猿狗……護ってくれて……ありがとう……」
三つ並んだ骨壷の上に円を描くように並べられた雉猿狗の魂の欠片──桃姫はささやくようにそう言いながら祠の中から手を引くと、両手を合わせて祈りを捧げた。
そして、光を失った桃姫の両眼から熱い涙があふれ出すと、頬を伝い、顎を伝い、ポタポタと落ちて、手のひらを重ね合わせた指先を濡らした。
「──桃姫様──こちらこそ──ありがとうございました──」
雉猿狗の声──桃姫は光を失った両眼を大きく見開き、三獣の祠を見ようとするが、視界はただ暗闇を映すのみであった。
しかし、重ね合わせた両手のひらはぽかぽかと太陽の熱を持ち始め、三獣の骨壺に囲まれた香炉からはかぐわしい香木の香りが立ち始めた。
「……っ──!!」
「──桃姫様──雉猿狗は──桃姫様のお供になれて──本当に幸せ者でした──」
雉猿狗の優しい声音が桃姫の耳元に届くと、背中越しに暖かく抱きしめられる感触を桃姫は得た。
「……雉猿狗……ッッ!!」
体の透けている雉猿狗の幻影が後ろから桃姫の体を優しく抱きしめ、合わせている両手に自らの両手を重ね合わせる。
桃姫の涙は止まらず、次々とこぼれ落ちた涙が、雉猿狗の手をすり抜けて桃姫の手を濡らした。
「──だから、もう泣かないでくださいませ──私の大切な、桃姫様──」
重ねていた雉猿狗の手が、左手で桃姫の頭を撫で、右手で桃姫の両眼をスッ──と撫でた。
「雉猿狗っ──!!」
桃姫が大声でその名を呼んだ瞬間、突如として膨大な量の光が桃姫の見開かれた瞳に飛び込んできた。
「……ああっ──!!」
暗闇に包まれていた視界が一転して明光に包まれると、光は段々と収まっていき、桃姫はゆっくりと視力を取り戻していった。
そして、三獣の祠と隣で大人しく待つ白桜の姿を視界に捉える。
耳に聞こえるのは、木々の葉を揺らす風の音と鼻にむせかえるような秋の花咲山の匂い。
背中には既に雉猿狗の熱はなかった。
「……う、うう……!」
桃姫は腕で目元をこするが、既に涙は流れていなかった。
「……雉猿狗……」
その名を呼び、一瞬だけ。ほんの一瞬だけ10歳の頃の幼い顔つきを見せた桃姫。だが、すぐにその面影は消えた。
「……私、もう泣かないよ──」
18歳になった桃姫は透き通るような秋の青空を見上げて、雉猿狗のような慈悲深くも力強いほほ笑みを浮かべながら言った。
「……私、強くなれたよ──」