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35.仏薬と仏桃

「……ここ、は……」


 濃桃色の瞳を見開いた桃姫が呟くように放った声が果てなくどこまでも広がる真っ白な空間に吸い込まれた。


「かかか……どうやらわしら、"時空の狭間"に流れ着いてしまったようだのう──」

「……ッ!?」


 背後から発せられた特徴的なしゃがれ声を耳にして振り返った桃姫。視線の先には笑みを浮かべた役小角が立っており、その背後には背もたれの付いた木製の椅子が2つ並んでいた。

 そして、その椅子の間には、二人が知る由もない黒い機械──"映写機"がポツンと置かれていた。


「……法術、呪術、陰陽術ッ……! いったい何をしたッ……!」


 神仏融合体の光り輝く姿から桃色の髪と着物姿に戻っている桃姫が、両拳を構え、睨みを効かせながら役小角に対して声を荒げた。


「落ち着け……わしは何もしとらんし、わしにも何が起きたのかわからんよ……しかし、生きておれば説明のつかぬ現象が起きるもの……それに、あれだけの光が一ヶ所に集まれば、何が起きても不思議ではない──ほれ、あつらえたように椅子がある……よい機会だ。ちと、座って話そうではないか──よいっ、せ……」

「…………」


 役小角はそう言って椅子に腰掛けると、背もたれに寄りかかりながら深く息をはいて両手を膝の上で組み合わせた。

 その気の抜けた様子を見た桃姫は両拳を構えたまま、訝しんだ眼差しで役小角の顔を睨み続けた。


「かかか……もう悪さしようとは思わんよ。おぬしの勝ち、わしの負け……きれいさっぱり結果を受け入れましたわいの……その証拠にほれ、わしの目も白く染まってしもうた」


 役小角はそう言うと、両眼を開いて眼球全体が白く染まった瞳を桃姫に見せた。


「……そんな言葉、信じられると思う……あなたがこれまでどれだけの"悪意の種"を日ノ本に撒いてきたのか……」


 桃姫が警戒を緩めずに役小角に告げたその時、ジジジジジ──という機械音と共に、椅子の間に置かれた"映写機"がひとりでに動き始め、桃姫の体越しに大画面の"映像"がパッと表示された。


「……お、おお……」

「ッ……なにっ……?」


 白い眼を開いた役小角が楽しげに声を漏らすと、桃姫は自身の体とその背後の白い空間に映し出された"映像"を見て驚きの声を漏らした。

 時よりガタガタと揺れる画質の悪い"映像"の中では、役小角が"白銀色の雫"が入った小瓶を興味深げな面持ちで眺めている様子が表示されていた。


「なんと……これは"仏薬"を作った時のわしではないか……」

「……"仏薬"……」


 椅子に座った役小角が"映像"を見ながら懐かしそうに声を上げると、桃姫は"仏薬"という言葉が引っかかって繰り返した。


「うむ……飲んだ者の血に"仏の力"を与える……千年善行の集大成じゃよ……」

「……ッ!?」


 何気なく告げられた役小角の言葉、それは"仏の力"を持って生まれた桃太郎と桃姫にとっては何より重大な話であった。


「ほれ……そこに突っ立っておったらよく見えんじゃろが……わしの隣に座りんしゃい」

「…………」


 役小角は好々爺然とした態度で桃姫にそう言うと、桃姫は横目で流れ続ける"映像"を見やってから、"映写機"を間に挟んだ役小角の隣の椅子に慎重に腰掛けた。

 そして、役小角は千年握り続けていた〈黄金の錫杖〉を失って手持ち無沙汰になった両手の指を組み変えながら口を開いた。


「……"仏薬"……わし自らが飲んで"仏"になるという強い誘惑に駆られもしたが、なんとか耐えた……かかか……なんせ、わしの"千年善行"の目的……それは、わしが蝦夷地で惚れた鬼の王……悪路王を超越することじゃったからのう……"仏薬"は、その過程で生まれた副産物に過ぎんのよ……」


 役小角は言いながら、"映像"に映る過去の自分の姿を見て苦笑した。


「……さて、わしは"仏薬"をどうするか心底悩んだ……"千年大空花"を咲かせるためには必要がない、かといって使わずにはいられない……よってわしは、立ち寄った村で一つの余興をすることにしたのじゃ」


 "映像"が進んでいくと、白頭巾で顔を隠した前鬼と後鬼を引き連れた役小角が花咲川を訪れる様子が表示された。


「……桃の中に"仏薬"を垂らして、"仏桃"とする……して、それを川上から流し、拾った者に"仏の力"を与えようとな……つまりは、"天の采配"じゃ。かかか。中々に趣があるじゃろう……?」


 白い空間に表示された"映像"では、役小角が大きな桃の頭に人差し指で穴を開け、その穴に白銀色に発光する液体を小瓶の中から垂れ流す様子が表示された。


「……ところがどうだ、"仏桃"を拾ったのは薄汚い老婆ではないか……わしは心底がっかりしたよ……しかし、所詮は余興だと考え、気前よく老婆に"仏桃"をくれてやった……」


 "映像"には、"仏桃"を貰って草の上に両膝をつきながら感謝して拝む老婆の姿と、その場から立ち去っていく役小角と二体の大鬼の姿が表示された。


「……それからは……まぁ、おぬしも詳しいであろう……かかか……」

「……"桃太郎の物語"……」


 隣の椅子に座った役小角の問いかけに対して、桃姫は幼い頃、小夜に何度もせがんで読み聞かせてもらった絵本の題名を口にした。


「うむ……わしは桃太郎の"御師匠様"となり、修行をして鍛え、二振りの仏刀を与え、三獣を授け……鬼退治へと導いた……」

「……なぜ、そんなことをしたの……」


 役小角はそれぞれの場面が映し出される"映像"を見て、懐かしみながら口にすると、桃姫は眉根を寄せながら尋ねた。


「おかしいでしょ……あなたは鬼の王を超越することが目的だったのに……なぜ、桃太郎を育て鬼退治させたの……」

「……かかか……それがのう──わしにもわからんのよ……」

「……はっ……?」


 役小角のため息交じりの言葉を耳にした桃姫は怒気が混じった声を発した。


「いやな……桃太郎がわしにえらく懐いてかわいかったのは事実じゃよ……子のいないわしにとっては、"目に入れても痛くない"というのはこの事かと思い知ったわいの……かかか」


 桃太郎と共に花咲山で修行を楽しむ役小角の姿を映し出した"映像"を見ながら、役小角はほほ笑んで目を細めた。


「しかし、桃太郎を育てる必要がないのは事実じゃ……"大悪路王"を顕現させるためならば、そんな回りくどいことをせずとも、わし自らの手で鬼ヶ島を滅ぼせばよい……そんなことは"千年善行"を終えたわしには造作もないし、わしを憎んだ温羅坊をそのまま"大悪路王"の生贄とする……うむ、簡単に事が済んだであろうな……」


 役小角は自身の告げる言葉に、自身で納得するように深く頷きながら言葉を続けた。 


「しかしわしは……桃太郎を育て上げ、鬼退治をさせることに……そう……"夢中"になったのじゃ……"桃太郎育成遊戯"とでも呼ぼうか……わしは桃太郎と過ごしたあの時間──この世に生きる楽しさを初めて味わった」

「…………」


 椅子に座った役小角は心穏やかな笑みを浮かべて、三獣と共にきびだんごを食べる桃太郎と、その光景を笑みを浮かべながら眺め見る役小角の姿が表示された"映像"を見ながら感慨深げに言った。


「……確かに、鬼人兵を作り出し、村々を蹂躙する、これもまた愉快ではあった……"大悪路王"を顕現させ、関ヶ原を闊歩して黒く染め上げる、ああ痛快じゃったよ……しかしのう──そのどれもが、桃太郎と過ごした時間の尊さと比べれば、味気ない時間じゃった」


 役小角は白く染まった瞳で画面に映る純真無垢な桃太郎の笑顔を見やってからフッ──と顔を伏せると、白髪を頭頂で結った自身の頭を枯れ細った両手で抑えた。


「そして、わしは気づいてしまったのじゃ──"大空華"を桃配山の頂上に咲かせた瞬間……わしの"千年の夢"は終わりを迎えたのだと──」


 役小角はそう言うと、ジジジジジジ──と機械音を立てる黒い"映写機"越しに隣の椅子に座る桃姫の顔を見やった。


「だからわしは、神仏融合体となったおぬしが関ヶ原に降臨した時、打ち震えた──わしの"夢の後始末"を、最愛の桃太郎の娘が、果たしてくれるのだということにのう──」

「ッッ──!! ふッッ、ざけるなァアアアッッ──!!」


 役小角の告白を聞いた桃姫は怒りに震える両目を見開くと、怒号を発しながら"映写機"を蹴り飛ばして、役小角の白装束の胸ぐらに両手で掴みかかりながら、座っていた椅子ごと押し倒して、その老体に馬乗りになった。


「──そんなのって勝手すぎるよッッ……!! ──あなたが見た"夢"のせいで……!! ──いったいどれだけの人々が犠牲になったと思ってるのッッ……!!」

「……かかか。まったくじゃの……反論の余地ナシ……かかかっ……」


 怒りを込めた濃桃色の瞳で桃姫が声を荒げて見下ろしながら告げると、役小角は乾いた笑いを発しながら答えて返した。


「……笑うなッ……!! 笑うなよッッ──!! ──笑うなッ!! 笑うなぁッッ──!!」

「ッグ……!! ぐフッ──!! ごフッ──!! ごホッ──!!」


 桃姫は喉が張り裂けんばかりの声量で叫びながら、胸ぐらを掴んだ役小角の老体を幾度も真っ白な床の上に叩きつけた。

 役小角は抵抗せずその身を打ちつけられ続けると、口の端を釣り上げながら桃姫の顔を見上げた。


「……しかし、わしの千年も無駄ではなかった……結果として、桃太郎とおぬしに、こうして逢えたのだからな……」

「──っっ!!」


 桃姫は役小角の言葉を受けて絶句した。役小角は千年善行の集大成として"仏薬"を作った、その"仏薬"によって桃太郎はこの世に生まれ、桃姫もまたこの世に生まれた。

 血こそ繋がってはいないが、役小角は実質的な桃太郎の生みの親であり、そして桃姫の祖父にあたるのである──。


「……ッッ、そんなこと、言うな……!!」


 役小角の"夢"が自分を生んだ。その事実に気づいた桃姫は胸ぐらから両手を離すと、白い床の上に力なく崩折れる役小角の老体を見やりながら声を漏らして後ずさった。


「……とはいえ、千年かけて積み上げた"善の蓄え"を、すべて帳消しにしてしまうような……いや、それを上回る"悪行"を……わしは関ヶ原にてしてしもうたのじゃ……」


 役小角は乱れた白装束の胸元を整えながら起き上がると、桃姫の濃桃色の瞳を白い瞳で見やりながら特徴的なしゃがれ声で告げた。


「かかか……わしは何事においても……ちと、やり過ぎてしまうきらいがあるでな……大宇宙における"陰陽の均衡"を、またもや崩してしまったわいの……」

「……今さら気づいたところで……もう、何もかも手遅れなんだよ……あなたがやった"悪行"は……あなたが奪った大勢の命は──もう、二度と元には戻らないの」


 顔を伏せた桃姫はそう言いながら、自身の椅子に倒れ込むように腰掛けて、両手で顔を覆った。

 そんな桃姫に対して、役小角はふらふらと歩きながら近づくと、その前に立って桃太郎を思わせる桃色の頭を見下ろしながら口を開いた。


「……のう、桃の娘よ……この役小角……今更、許してくれとはよう言わん……ただ、少しでもこの罪過を償うために……わしは……"風"になりますわいの──」

「──……?」


 役小角の言葉を耳にした桃姫は、頭に疑問符を浮かべながら顔を持ち上げると、役小角を見た。


「……未来永劫、日ノ本の大地を吹きすさび、護り続ける……終わりのない、"風"になりますわいの──」


 役小角はそう言いながら両腕をゆっくりと大きく広げると、白く染まった両目を大きく見開いていく。


「──なにを、言ってるの……」


 それに対して桃姫が眉をひそめながら声を漏らした瞬間──突如として両腕を高く広げた役小角の老体から凄まじい突風が放たれ、椅子に座る桃姫に向かって吹き付けた。


「……ッッ──!?」


 座っていた椅子が突風によって吹き飛ばされ、果てのない白い空間をどこまでも転がっていくと、体勢を低くした桃姫は顔の前に両腕を交差して、吹き付ける突風に耐えながら黄金に光り輝いていく役小角の姿を目の当たりにした。


「──それをわしの、罪滅ぼしとしようではないかのうッッ──!!」


 力強く宣言した役小角の白い両目からカッ──と眩い黄金の閃光が放たれると、大きく開いた口奥からも目が眩むほどの黄金の閃光が放たれた。

 それは、"人"が"神"へと昇華していく瞬間であった。桃姫は、極光する黄金の閃光を両目と大口から解き放つ畏怖なる祖父の姿を眼前に目撃しながら、その名を叫んだ。


「……役、小角ッッ──!!」

「──わしは"風"じゃぁッッ──!! ──"役小角の風"じゃぁッッ──!! ──クァカカカカカカカカッッ──!!」


 叫んだ役小角の体が極光する黄金の粒子を放つ"黄金の風"に包まれて細分化されながら崩壊していくと、桃姫もまた壮絶な極光の奔流に飲み込まれていく。

 そして、"戦国時代の関ヶ原"──"光の大空華"が開花する桃配山の斜面にて、神仏融合体・桃姫の花咲く両手に両頬を挟まれた役小角が両眼と口奥から黄金の閃光を激しく放ちながら、どんどんと細分化されていき、その体を黄金の粒子へと転じながら崩壊していった。


 ──かかか──桃の娘、さらばじゃ──いずれまた、逢おうぞ──カカカカカカカカッッ──!!


 背中に"光の大空華"を咲かせる桃姫に向けて、声なき声でそう告げた役小角は、神仏の光の花々が咲き誇る桃姫の両手をすり抜けてパラパラパラ──と煌めきながら舞い上がっていく。

 そして役小角は、"時空の狭間"での宣言通り、"黄金の風"になって天空に吹き上がると、桃配山に花ひらく"光の大空華"のその美しい威光を上空からしかと見届け、黄金に光り輝く満面の笑顔を黄金の粒子で形成して宙空に浮かべたあと、満足気に笑いながら霧散して、日ノ本の蒼天に吹く"風"と一体になって消えていくのであった。

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