「──あの姿は……神仏──神仏、融合体っっ──」
極光の粒子に全身を包まれながら、光り輝く八枚の花びらを大気中にはためかせた桃姫の姿を見て、血相を変えた役小角が愕然としながら声に漏らした。
師匠である役小角がここまで狼狽している姿を初めて目撃した道満と晴明は、困惑しながら互いに顔を見合わせた。
「……道満、"神仏融合体"とは、なんです……?」
「……知らぬ……」
晴明が道満に尋ね聞くと道満は首を横に振りながら答えた。
「……お、御大様……"神仏融合体"とは、如何なる存在で……?」
晴明が後ろに立つ役小角に恐る恐る振り返りながら尋ねた。しかし、役小角は晴明の顔を見向きもせず、ただ見開いた漆黒の眼球から"黒液"の涙を垂れ流して打ち震えるのみであった。
一方その頃、五郎八姫のいる松尾山城は、松尾山の斜面の全方位を"黒液"に取り囲まれて今まさに陥落寸前の危機的状況にあった。
山の上に建つ城内は避難してきた人々で溢れかえり、城壁の上に居並ぶ槍や刀、弓や火縄銃で武装した武者や足軽たちは次々に伸びてくる"黒い手"を撃退するが、槍の柄を掴まれ、城壁から"黒液"の中に引きずり落とされる者もいた。
時間の経過と共に総量を増していく"黒液"に対して、松尾山城が沈むのはもはや時間の問題──その場にいる誰しもがそう観念していた時であった。
「……あ、あれは何でござるかっ──!?」
城壁の上に立つ物見櫓にて、弓を構えた武者の一人が漆黒に染まる関ヶ原の中央に突如として出現した"黄金の柱"を目にしながら声を発する。
「……な、なんだァ、ありゃァ……!!」
「……なんだ、なんだ……!?」
物見櫓からの声を皮切りに、城壁の上の武者や足軽たちが皆一斉に関ヶ原の中央に降り注ぐ"黄金の柱"の存在に気づき始めてにわかにざわつき出すと、伸びてきた"黒い手"を〈氷炎〉で素早く斬り捨てた五郎八姫が、独眼を見開きながら"黄金の柱"を見やった。
そして、城壁の縁に駆け寄って身を乗り出すと、涙を流しながら黄金に輝く光の柱、その渦中で極光する桃姫に向かって喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
「──ももォォオオッッ──!!」
五郎八姫の叫ぶ声は桃姫の元に確かに届いた。桃姫は松尾山城の方角をちらりと見やったあと、桃配山の頂上に立つ"大悪路王"に視線を戻した。
「──いろはちゃん、お待たせ──すぐに、終わらせるからね──」
黄金と白銀が混じり合いながら光り輝く濃桃色の瞳を力強く見開いた桃姫は、救済のほほ笑みを浮かべながらそう告げると"極光天衣"の背中から八枚の光の羽衣をブワァッ──と開花させるように全方位に伸ばして揺らめかした。
「──極光天衣・五体合掌(ごたいがっしょう)──」
桃姫が目を閉じながら、両手を合わせてそう告げると、八枚の光の羽衣は、先端が人の手のように割れ、それぞれが対になって組み合わさるように合掌した。
そして、桃姫の体を中心に、聖なる五つの合掌が関ヶ原の上空に顕れた瞬間、桃姫の両腕と八枚の光の羽衣から"黄金"と"白銀"と"桃色"とを織り交ぜた見目麗しい極光の花々がパッパッパッ──と次々に咲き誇り、"百花繚乱"の様相を呈していく。
「──不思議だよね……今の私──」
合掌した桃姫はゆっくりと"白黄金"に極光する濃桃色の瞳を開きながら役小角に向けて宣告する。
「──絶対に、負ける気がしないんだ──」
宣告した桃姫の瞳が一段と極光を放った瞬間、桃姫は全身で作っていた五つの合掌を一斉に解き放つと、極光する軌跡を描きながら関ヶ原の上空への高速飛翔を開始した。
背中から伸びる八枚の光の羽衣で大気を掴んだ桃姫が泳ぐように、舞うように、軽やかに飛翔すると共に、天空から降り注ぐ黄金の光の柱がその後を追うように続き、灰色の分厚い雲を斬り裂くように割ると、雲に隠されていた蒼天と太陽がその姿を現した。
そして、飛翔する桃姫の後を追う黄金の光の柱は"黒液"に汚染された関ヶ原の大地に向けて降り注ぐと、地面にへばりついた膨大な量の"黒液"をいとも容易く地上から引き剥がして、黄金の光の粒子で吹き飛ばすように浄化していく。
更には、"黄金の柱"に吸い上げられるようにズズズ──と周囲の"黒液"までもが引き上げられていく。"黒液"から伸びる無数の亡者の"黒い手"が地面に指を立てて抵抗するが、皆なす術なく"天界"から降り注ぐ"黄金の柱"に吸い上げられ、そして浄化されていった。
「……御大様っっ──!?」
「……御大様ッッ──!!」
関ヶ原を浄化していく黄金の光の粒子を大地に振り撒き、八枚の光の羽衣をうねらせながら蒼天を飛翔する神々しい桃姫の姿を目にした晴明と道満が、助けを訴えるように師匠の役小角に向けて叫ぶが、役小角は呆然とした顔つきで口をあんぐりと開いたままであった。
関ヶ原の上空で神楽を舞うように軽やかに飛翔しながら、黒く染まった大地を見る見るうちに気持ちがよい程に祓い清めていく桃姫の姿を見届けた役小角は、ようやく満面の笑みを浮かべると、一言だけ漏らした。
「──ああ──こりゃ、かなわん──」
満面の笑みを浮かべた役小角は、まるで深いため息をつくような気の抜けた声でそう発すると、関ヶ原の大地をあらかた浄化しきった桃姫が、その狙いを未だ漆黒に染まる山、桃配山に立つ"大悪路王"につけた。
「──極光天衣・神仏千花(しんぶつせんか)──」
桃姫は空中を飛び跳ねるように高速飛翔しながら両手を組み合わせて声を発すると、背中から伸ばした八枚の光の羽衣もまた、組み合わせた両拳の上にまとわせるように重ね合わせた。
そして、極光の花々が咲き誇る桃姫の両腕と八枚の羽衣とが"一体"となると、桃姫のその両腕は、"大極光"を放つ巨大な一つの"花束"と化した。
「──ヤエエェェェエエエッッ──!!」
極光する両目を見開き、裂帛の大声を放った桃姫が大気を強く蹴り上げて"大跳躍"すると、宙空で大きく一回転し様に、桃配山の頂上に立つ"大悪路王"の胸元目掛けて、"大極光"の"花束"を全神全霊の勢いで叩き込んだ。
その瞬間──桃配山全体を震わせる猛烈な衝撃波が轟音と共に鳴り響き、桃姫の腕に咲く千花が極光の輝きを放ちながら"白銀"と"黄金"と"桃色"の光の粒子で形どられた花びらを桃配山に向けて盛大に撒き散らす。
神仏融合体・桃姫による渾身の一撃の衝撃波と共に盛大に撒き散らされたキラキラと舞い飛ぶ光の花びらは、桃配山の汚染された黒い山肌を洗い流すように浄化していくと、元の緑の木々へと戻した。
そして、桃姫の両腕から解き放たれた無数の光の花びらが大気中に霧散して消えていくと、"大極光"の"花束"の直撃を受けた"大悪路王"の姿がようやく光の中から現れた。
「……あ、ああ、ああ……!」
眩しい太陽の光を顔に浴びながら嗚咽に似た声を口から漏らした道満──桃姫渾身の一撃を胸に食らった"大悪路王"の上半身は、丸ごと吹き飛ばされ、完全に消失していた。
下半身のみとなった状態で桃配山の斜面に倒れ込んだ大巨人"大悪路王"は、その胸奥にて制御していた役小角、道満、晴明の姿を白日の下に強制的に露出させた。
「こ、これはよくありません……逃げましょう、道満──!」
「……お、おう──!」
晴明の言葉に慌てて返した道満。二人の陰陽師は、"黒液"の中から自身の両足をズボッ──と引っこ抜いて、"大悪路王"の崩壊した胸部から出ていこうとする。
「ッ……おぬしら、どこへ行くつもりじゃ──!?」
去っていく二人に気づいた役小角がその背中に向けて声をかけると、顔面に貼られた赤の呪符と緑の呪符をペッ──と剥がした道満と晴明が、役小角に向けて声を発した。
「千年後の日ノ本にこのような"存在"がおるとは、我ら聞いておりませぬゆえッ──!」
「御大様、あとはお任せいたしますッ! では、これにて失敬ッ──!」
役小角に向けて一方的に言い放った道満と晴明は、"大悪路王"の崩壊した胸部から跳躍すると、両手で印を結びながら"陰陽変化"と同時に掛け声を発しボンッ──と赤と緑の煙を立てながら勇ましい赤虎と見事な緑龍の姿に変化した。
そして、道満の赤虎は空を駆け、晴明の緑龍は空を泳ぎながら関ヶ原から飛び去っていく。
「……な、なんと薄情な弟子じゃ……」
役小角が遠ざかっていく赤虎と緑龍の姿を見やりながら力なく言ったその時、"大悪路王"の"ヘソ"の位置から褐色の両手がズッ──と伸びた。
そして、両手の指に力が込められると、ズズズ──と烏天狗の仮面を付けた女神・一言主が顔を出し、次いで漆黒の大翼を押し出しながら"大悪路王"の外に飛び出した。
「──ハァッ、くそったれ……やっと出られた──!!」
大翼を広げて空を飛んだ一言主は忌々しげに声を発すると、"大悪路王"に向けて右手を伸ばし、"ヘソ"の穴から〈黄金の錫杖〉を抜き取って宙空を運び、手中に収めた。
「──こいつは返してもらうぞ……小角──!!」
「……一言主……!? 待て、やめろ……!!」
桃姫に吹き飛ばされた衝撃で体内の"荘厳な社"から脱出した一言主の存在に気づいた役小角が声を発すると、一言主は更に左手を"大悪路王"の"ヘソ"に向けて伸ばした。
「──ついでだ、こいつも貰っていく──!!」
そう言って、更に"ヘソ"から巌鬼を収めた"鬼捕珠"を抜き取って左手で掴むと大カラスのそれに似た漆黒の大翼を羽ばたかせながら反転し、関ヶ原を飛び去っていった。
「……あ、ああ……晴明、道満、一言主……わしを置いて行くな……行くでない……」
役小角が自分を捨てて遠ざかっていく"弟子"と"師匠"に向けて弱々しく声を漏らすと、組み合わせていた拳を解いて両手と光の羽衣を広げた桃姫が、一人残された役小角の元へと降りていく。
「──ようやく会えましたね……でも、"日ノ本の黒幕"にしてはあまりにも弱々しい──それに、あなたも巌鬼と同じ……ひとりぼっち──」
"白黄金"に光る濃桃色の瞳で"日ノ本の黒幕・役小角"の白装束をまとった老体を見下ろした桃姫は、融合した天照大御神の心情をも汲みながら口にした。それに対して、役小角は漆黒の瞳で宙空に浮かぶ桃姫の神々しい姿を見上げると、笑みを浮かべた。
「……かかか。わしをあのような子鬼と一緒にするでないわい……わしの名は、役小角──千年の時を生きた……伝説の修験僧ぞ──」
桃配山の斜面に崩折れた"大悪路王"の下半身は、顕現の中核を担っていた"鬼捕珠"を失ったことによって崩壊し始めていた。
"黒液"で形成された漆黒の肉片が山肌にボトッ──と落下すると、その形を維持できずに蒸発して消え去っていく。
そんな"大悪路王"の崩れていく胸部に一人取り残された役小角の悔し紛れの言葉を耳にした桃姫は、若干の哀れみを感じながらも開いた両手をその顔に向けながら静かに口を開いた。
「──そうですか……ですが、今日でその伝説は終わります──」
桃姫は背中から伸びる八枚の光の羽衣を揺らしながらふわりと役小角に向けて近づくと、黄金の"神光"の花々を咲かせた右手のひらを役小角の左頬にあてがった。
「──神花掌(しんかしょう)──」
「──ぐッぉおおおおおっっ──!?」
漆黒の眼を見開きながら唸り声を張り上げた役小角。次いで桃姫は、白銀の"仏光"の花々を咲かせた左手のひらを役小角の右頬にあてがった。
「──仏花掌(ぶっかしょう)──」
「──がァァッあああああっっ──!!」
両頬に"神仏の裁き"の光を同時に受けた役小角は漆黒の両眼を大きく広げながら叫び声を張り上げた。しかし、役小角は叫び声を"かかか"という高笑いの声に転じると、至近距離で向き合う桃姫と互いの目を合わせた。
「──かかかっっ──かかかかかッッ──!!」
役小角の実に嬉しそうな眼差しと高らかな笑い声を互いの額がくっつかんばかりの間近で受けた桃姫は、両眼をこれ以上ないほど激しく極光させながら詰問するような声音で告げた。
「──笑うなッッ──!! 何が嬉しいッッ──!! 何がッッ──!!」
この状況下でも笑い続ける得体の知れぬ翁・役小角に対して、その心情を全く推し量れない桃姫は強い脅威を感じ、その両手に咲き誇る"神仏の力"を更に増幅させていった。
すると、"極光天衣"の背中から伸びる八枚の光の羽衣──"黄金"と"白銀"と"桃色"とを織り交ぜた神秘的な光の花びらが凄まじい煌めきを放ち出し、渦を描くようにゆっくりと回転しながら肥大化し始める。
桃姫の顔越しにその息を呑む壮絶な美しさの"極光の大花輪"を見やった役小角は、満足気な笑みを浮かべながら漆黒の眼球をグルン──とひっくり返して真っ白な光に染め上げた。
──ああ──見事じゃ──わしも嫉妬するほどの見事な"大空華"──咲かせおったわいの──。
桃配山の斜面に倒れ込んで崩壊していく"大悪路王"の漆黒の"大花茎"から、関ヶ原の蒼天に向かって極大化しながら煌めき伸びる"神仏融合体・桃姫"の極光の"大花弁"──それは役小角が千年の時を費やして日ノ本に咲かせた"闇の大空華"、その更に上に花ひらいた"光の大空華"の圧巻の威光であった。
──桃太郎、見ておるか──おぬしの娘、咲かせおったぞ──かかかっっ──カカカカカカッッ──。
両目を真っ白に染め上げた役小角が高らかに笑いながら"天界"に向けて声なき声を放った瞬間、満開に花ひらいた"光の大空華"の器からあふれ出るようにして、極光の奔流がほとばしった。
堰を切ったようにとめどなく降り注ぐ怒涛の極光は、顔を突き合わせた桃姫と役小角の体を瞬く間に包み込んで覆い隠すと、"桃配山"という同一地点における"光の許容量"を遥かに超越した光量によって、"戦国時代の関ヶ原"という"時空"から、容赦なく二人の体を押し流していくのであった。