……お風呂場。
俺は、湯船につかりながら天井を見上げていた。
実は俺、風呂に入る時に、脱衣場も風呂場も全部電気を消すというちょっとした趣味……というか、癖があった。
普段からそうしてるわけじゃないが、何かを考え込みたいなと思う時や、落ち着きたいと思う時によくやっている。
真っ暗な中、窓の外から漏れる月の光だけが、風呂場の中へと差し込む。 この日常の中にある非日常、幻想的な感覚で風呂に入れるのは楽しい。
死んだ母さんの好きな入り方だった。
「…………メグちゃん、か」
俺は今から四時間前……メグちゃんから言われた言葉が、未だに頭の中に響いていた。
『私、あなたが好きです』
『……え?』
『明さんのこと、好きなんです』
『え?えええええええ!?ちょっと待って?え?なんで?』
『なんでって……そんな、言わせたいんですか?私が明さんの好きなところ……』
『いやいやそうじゃなくて。いや……メグちゃんは、会ってまだ間もない、よね?そんなすぐ告白っていうか……』
『何言ってるんですか明さん。人間って、一目惚れだってする生き物なんですよ?』
『じゃあ、俺……ひ、一目惚れ、された、の?』
『一目惚れっていうほど早くはなかったですけど……初めて会った時から、素敵だなって思ってて。そして今日……その素敵だなって気持ちが、もっと強くなって』
『…………………』
『あ、明さん顔赤くなってくれてる。嬉しい……』
『い、いやそりゃあ……その…………そうですよ、ええ、はい』
『ふふふ』
『……まいったなあ。俺、今までそんな経験ホントになくて……。ここで上手いこと言えたら良いんだけど、全然何も言えないや……』
『上手い言葉なんていりません。明さんへ気持ちを伝えられたら、もう充分です』
『メ、メグちゃん……』
『美結も、明さんのこと好きですよね?兄としてだけじゃなく、一人の男性としても……』
『ど、どうなのかな……』
『きっと私は、そうだと思ってます。あの美結を変えたのも、たぶん……あなたの影響を受けたからだと思います』
『そうなのかな。もしもそうだとしたら、嬉しいけどね』
『そして明さん、あなたも美結のこと、好きですよね?』
『…………………』
『私にほとんど勝ち目がない喧嘩なのは、分かってるんです』
『そんなこと…………』
『そんなことありますよ。だって、私びっくりしましたもん。喧嘩してあげてほしいなんて……普通、言わないですって。みんな誰しもが、穏便に穏便に、波風立てず仲良くしようって人ばかりなのに……。本当に美結が好きじゃないと、あんな言葉出てこないです。あれを聞いた時、ああ、二人の間には、もう大きな絆があるんだろうなって思いました』
『…………………』
『だけど……明さん言いましたよね?自分の気持ちを隠さないでほしいって』
『う、うん』
『だから今、あなたに伝えました。もちろん、美結にもそのことを伝えます。今伝えないと、私……美結に遅れちゃうし、明さんも、私のこと、少しは頭の中に入れてくれるでしょ?』
『…………………』
『きっと美結には負けてしまうでしょうけど、私……自分の気持ちに素直になって、ちゃんと美結と喧嘩します。ふふ、あの子……どんな顔するかな?』
『メグちゃん……』
『……えへへ、明さん。自分の本心をちゃんと伝えるって、すごく照れ臭いですけど、こんなにも晴れ晴れとするものなんですね』
好きです、明さん
「……はあ」
俺の小さなため息が、風呂場の中に反響した。
頭の中に少しでもだって……?少なくとも俺は今、君のことで頭がいっぱいだよ。
「なんか、あれだなあ……。そう来たかって感じだなあ……。いや全然、好意自体は嬉しいんだけど……俺、どうしたらいいんだろう?」
なんとも言えない複雑な気持ちで湯船に浸っていると、ぱちっと脱衣場の電気がついた。
あれ?と思いそちらに眼をやる。風呂場の扉は磨りガラスになっており、そのガラス越しにぼんやりと人影が見えた。
その人影は、上着を脱いだ後、背中の方へ手を伸ばし、もぞもぞと何かしているけど……あれ?もしかしてブラを外したってこと?
ていうかこの人影って美結か!?
「美結!ごめん!俺今入ってる!」
俺がそう告げると、美結が「わあ!びっくりした!」と叫んだ。
そうか……電気消してたせいで誰もいないものと勘違いしちゃったんだな。申し訳ないことしたな……。
「お兄ちゃん、電気消して入ってたの?」
「そ、そうなんだよ……。電気消して入ると、リラックスできるからさ……」
磨りガラス越しに見える美結は、上半身が全部肌色だった。つまり……その……そういうことだ。
「えーと……美結、めっちゃ申し訳ないんだけど、一旦ちょっと脱衣場から出て貰ってもいいか?すぐ俺上がるからさ」
「…………………」
「脱いでる最中の時にごめんだけど、着なおしてもらってから……」
「あの……入っちゃダメ?」
「え?」
「お風呂……一緒に入っちゃダメかな?」
「!?」
そんな。なにを言っているんだ君は。
ダメだ、ヤバい、心臓が跳ねる。ちょっと待って、一緒に風呂?待て待て待て。
「い、いやいや美結!何言ってんだ!ダ、ダメだろそりゃ!み、美結だって年頃の女の子だし、お、おれ、俺と入るのなんか恥ずかしいだろ!?」
「恥ずかしいけど……お兄ちゃんなら、見せてもいいよ?」
美結は、下の方も下ろし始めた。屈んでパンツらしきものを脱ぐ時に、すーっと布が擦れる音がした。
「……ううん、違う。見せたい、かも」
そして気がつくと、全身肌色の美結の人影が、扉の取手部分に手をかけようとしていた。
「ちょちょちょっ!!」
俺は湯船から急いで出て、取手部分を内側から押さえて、開かないようにする。
「お兄ちゃん……私のこと嫌いなの?」
「ち、違うよ!!嫌いなわけないじゃんか!」
「じゃあ、一緒に入ろ?」
「で、でもな!お、俺たちは兄妹だぞ!?さすがにさ!年頃の二人が、その、ダメだろ!一緒になんて!」
俺が磨りガラスに自分から近づいたせいか、美結の人影が湯船に浸かっていた時より鮮明に見せる。彼女の胸の先端当たりが、仄かに赤いのを判別できた。
(ヤバいヤバいヤバい!ダメだ!ダメだって美結!お、俺も男だ!ハンパなくドキドキしちゃうんだって!!)
顔どころか、全身がぽっぽぽっぽ熱くなっていくのを感じていた。
「でもお兄ちゃん……私たち、義理の兄妹だよ?ホントの兄妹じゃないんだよ?」
「そ、そういう問題ではなーい!!思春期の我々が一緒に入るのがダメだってばー!!」
「……私のこと、女の子として見てくれないの?」
「見てるよ!見てるからダメなんだって!」
俺は生唾をごくっと飲んだ。
「美結は……その、すごく魅力的だよ!俺の理性が持たないかも知れないから!!お、俺だってスケベな人食い狼なんだぞー!?」
「……ふふふ、そっか」
そう言って、美結は取手から手を離した。そして、「びっくりした?お兄ちゃん」と、少し笑いを含んだ声で尋ねてきた。
「……か、からかったのか?」
「うん、ちょっとだけ」
「ちょ、ちょっとじゃないって~……!もうびっくりした……」
クスクスと、扉越しに彼女の笑い声が聴こえる。
でも、その後に告げられた言葉は、いつになく真剣味があった。
「ねえお兄ちゃん、私のこと、本当に……女の子として見てくれる?」
「……み、美結?」
「いつか、こんな扉を隔てずに……私のこと、女の子として抱き締めてくれる?」
「…………………」
彼女の顔は、磨りガラス越しで表情が判別できない。一体何を思っているのだろう?今の俺には、まだ分からない。
「お兄ちゃんに、私の全部をあげたい」
美結は、磨りガラスに小さくキスをした。
「大好き、お兄ちゃん」
一言だけそう言って、彼女は服を着なおし、脱衣場から出ていった。
「…………………」
俺はふと、自分の股間部分を見た。そこには、欲望が詰まった1本があった。俺は顔をしかめて、そいつに言った。
「ちぇ、この野郎……。人間てのはな、お前みたいに単純じゃないんだよ。複雑な人間関係ってもんがあるんだ。ところ構わず“致す”わけにゃいかねえんだよ」
この馬鹿息子め!と言って、そいつをピンっと指で弾いた。
「…………あーーーー!!どうしよ!どうしよどうしよどうしよ!!すっごい恥ずかしかったーーーー!!」
私は枕に顔をうずめて、脚をバタバタと動かした。大分無理しちゃった……。
本当はずっと、心臓が壊れるんじゃないかってくらいバクバクしてた。
「でも……そうしないと、メグに負けちゃう……」
実はさっき、メグから電話がかかってきてた。 それは、遡ること30分前……。
『もしもし?美結?』
「あ……メグ。どうしたの?」
『今日は、あの……ありがとう。水彩絵の具。これ、高かったでしょ?』
「えっと……まあ、うん。絵の具の良し悪しがよく分かんなかったから、一番高いの選んだの」
『ふふ、そっか』
「うん」
「…………………」
『…………………』
「……メグ?」
『美結、私ね……明さんが好き』
「え?」
『さっきの帰り際にね、告白したの』
「ええ!?ええええええええええええ!?」
『びっくりした?』
「……え、あの……いつの間に、好きになったの?」
『少し前に初めて会って、その時から気になってたけど……今日、好きになっちゃった』
「……な、なんで、今日告白?好きになったその日になんて……」
『だって、ライバルがいること知ってるから』
「…………………」
『美結は、明さんのこと好き?』
「……好きだなんて、そんなの……」
『…………………』
「そんなのじゃ、足りないよ」
『足りない?』
「お兄ちゃんは、私に新しい人生をくれた人。生涯をかけて、大好きでいたい人」
『……ふふふ、そっか、そうなんだね』
「…………………」
『私は……きっと、美結にはかなわない。明さんもきっと、美結を選ぶと思う』
「……!」
『それでも、私は好きな気持ちを隠したくない』
「わ、私だって!いっぱいお兄ちゃんにアピールするもん!」
『ふふふ』
「な、なに?」
『今日初めて……ちゃんと美結と喋った気がする』
「!」
『美結、私はこれから遠慮しない。だから、美結も遠慮しないで?一緒にたくさん喧嘩して、たくさん話して……たくさん、仲良しになろうよ』
「…………メグ」
『それじゃあ、またね美結』
「…………………」
まさか……メグもお兄ちゃんが好きだったなんて、思いもしなかった。
そんな電話を受けた直後にお風呂場へ行ったら、まさかのお兄ちゃんがお風呂に入っててびっくりした。
その時に……私は、お兄ちゃんが私を女の子として見てくれるか、不安になっちゃった。だからあんなイタズラを……。
『美結は……その、すごく魅力的だよ!俺の理性が持たないかも知れないから!!』
「えへ、えへえへ」
思わず頬が緩んじゃう。なんていうか、「きゃっ♡」っていう感じになっちゃう。恥ずかしいけど嬉しいみたいな……。えへえへ。
「……メグ、私、負けないからね」
今はまだお外に出る勇気がないけど、でも……いつかお兄ちゃんとデートして、たくさん遊んで、そして……。
幸せに、なりたい。