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71.それぞれの想い(1/3)

……毎日が、風のように過ぎ去っていく。


平穏で、静かで、一粒も涙を流さなくていい日が、こんなにも幸せなんだって……改めて実感した。


俺はまだまだ子どもだから、美結のことをこれからも守れるか心配だけど……でも、今まで全力で生きてきたように、これからも全力でありたい。


俺はコツコツと勉強を進めている。城谷さんや柊さんから教わり、美結に支えてもらいながら、成績をちょっとずつ伸ばしている。


そうしてふと気がつくと、数ヵ月の歳月が過ぎ……もう俺は高校生じゃなくなっていた。


3月の下旬、これから春の芽吹きを感じる日に……俺は卒業した。


高校に入ってから、目まぐるしく動いた日々に区切りがついたみたいで、嬉しくもあり、どこか寂しくもあった。







『イエーーー!ビート刻むぞーー!』


「ひゅーーー!!いーぞ藤田くーん!!」


……とある日の日曜日。


俺たちは、とあるカラオケ店にいた。


俺と圭の卒業を祝して、いつものメンバーが集まってくれたのだ。


席順は、部屋の右側にある入り口側の席から、左側にかけて横並びにみんな座っていて、俺、美結、メグちゃん、それから藤田くんに葵ちゃん、圭、城谷さんに柊さん、そして……湯水という順番だった。


今は、藤田くんの順番だった。彼は「さくら」というラップを歌っており、軽快で明るいながらも、どこか春の切なさを感じる曲だった。


「へえ、藤田うめえじゃん!」


「公平くんはカラオケ得意なんですよね」


圭がジュースを片手に、藤田くんの歌を称賛する。彼女である葵ちゃんは嬉しそうに、どこか自慢気に藤田くんのことを話していた。


「美結はもう入れた?歌」


メグちゃんがカラオケの歌を予約できるタブレットを持って、美結へ尋ねていた。


「あ、まだ入れてない。どうしよっかな……何歌おうかな」


タブレットを受け取った美結は、顎に手を当てて、うーんと唸っている。


「ミユ!」


そんな彼女の元へ、湯水がやって来た。両手にはオレンジジュースの入ったコップを持っている。


「汲んできたわ!あなたが好きなオレンジジュース!」


「あ、ごめんね、わざわざありがとう舞」


「ふふふ、いいのよこれくらい!ね、ミユ。隣座ってもいい?」


「え?」


美結の答えを聞く前に、彼女は美結とメグちゃんの間に強引に座った。


「あ!ちょっと湯水!なんで私と美結の間に座るの!」


「うっさいわねー!私はミユの友だちなんだから、この位置じゃないといけないの!」


メグちゃんと湯水がまた喧嘩している。そんな光景を、俺と美結は微笑ましく見ていた。


湯水は俺たちに謝った日から、この場にいる全員に一人で謝りにいった。


もちろん、あれだけのことをやったんだから、すぐには許してもらえないし、未だにわだかまりがあることは事実だ。


しかし、それでもこの場にいられるくらいには……みんな、少しずつ彼女のことを受け入れていた。


これは柊さんから聞いたのだが、湯水は自分が今までにいじめていた何人もの被害者たちを訪ね、一人一人に謝罪を述べているらしい。


当然、今さら許してくれる人間なんて少ない。罵声を浴びせられたり、門前払いされたり、時には卵や石を投げられたり、飼い犬をけしかけられたりしたこともあったらしい。


それでも彼女はめげていない。今も訪問を続けて、自分を変えようとしている。


『明氏と美結氏のそばにいて、ふさわしい人間になりたいそうです』


柊さんは湯水が語っていた言葉を、俺と美結に教えてくれた。


『あの時に抱き締められたことが、相当彼女に響いたみたいですね。自分も人を抱き締められるようになりたいって、いつも話しています』


「……………………」


湯水とメグちゃんは、まだまだ喧嘩を白熱させていた。


「ねー湯水ってば!どいてよもう!わざわざここじゃなくていいじゃーん!」


「あんたもしつこいわねー!無理に決まってんでしょー!?ここの他って言ったら、アキラとミユの間しかないじゃない!二人の間を裂くような真似、できるわけないでしょー!?」


「アキラさんを誘拐したあなたがそれを言う!?説得力全然ないよ!」


やいのやいの言い合う二人を見かねた美結が、苦笑しつつも止めに入った。


「まあまあ、二人とも落ち着いて。舞、あまり強引なことはしちゃダメだよ?」


「そう?分かった。ミユがそう言うならそうする」


そう言って、湯水はあっさりと席から立ち、美結の足元にしゃがんだ。


……なんか、すごい光景だな。あの湯水が、まるで主人に懐く犬みたいになってら。


「次、誰が歌うんだー?」


藤田くんが歌を終えたらしく、次の曲が流れ始める。どことなく哀愁のあるロックで、「深夜高速」という歌だった。


「あ、これ私ね」


そう言って立ち上がったのは、なんと湯水だった。


「へえ、湯水……ロックとか歌うんだな」


俺が思わずそう言うと、湯水はこちらに振り向き、腰に手を当てながらニッと笑った。


「ふふふ、これがギャップ萌えというやつね。どう?可愛いでしょ?」


「い、いやぁ……どうかな?」


「むー、なによアキラ、冷たいわね。少しは私にも可愛いって言ってよ」


「けっ、誰かと思ったら湯水の番かよ。お前まともに歌えんのかー?」


「なんですってー!?飯島!今のは聞き捨てならないわね!」


「お前みたいな腐れ外道が、本物のロックを歌えんのかって言ってんだ!」


「ふんっ!分かってないわね!この曲はね、私だからこそ歌えんのよ!雑魚は黙ってなさい!」


「なんだとこのヤロー!!」


「ちょ、ちょっと待てって!湯水も圭も落ち着け!もう歌、始まんぞ!」


湯水と圭の喧嘩を、俺はなんとか仲裁していた。二人とも言葉が強い奴らだから、端から聞くとハラハラするんだよな……。


「ほい湯水、マイクだ!」


「ん、すまないわね藤田」


湯水は藤田くんからマイクを受け取り、とうとう歌い始めた。









……♪♪……♪


……私はマイクを握りしめ、その歌を歌い始める。


これはつい最近見つけた歌で、今まで聞いてこなかったジャンルだったけど……今はとてもお気にいり。


哀愁を感じる、絶妙なメロディーラインが、私の琴線に触れていく。


平田の小さく「上手……」と呟く声がする。 ふふん、当然よ。私はほとんどの歌を100点で歌える女なのよ。上手くて当然。


……そう、そうやってずっと100点をとり続けてきた人生だった。


勉強も運動も容姿も、何もかもを100点でいられるように、死に物狂いで生きてきた。


全部、親のために。



♪♪……♪……♪



つい先日、チアキから私の親の近況について聞かされた。


なんでも二人は、私が起こした騒ぎのせいで、職場や婦人会の間で白い目で見られるようになり、それに耐えかねて、パパは仕事を辞め、誰にも行き先を告げぬままに行方を眩ましたという。


そう、あの人たちも、私と同じように評価だけを軸に生きていた。ずっとずっとそうやって、他人に自分の生きる意味を押し付けていた。


でもそれは、本当に生きているの?



……♪♪……♪



……激しいギターのメロディの中に、どこか切ない空気感を孕んでいる。 これが今の私に、すごく刺さる。



♪……♪♪



アキラが私に、愛するってなんだ?って話したことが、今も胸に焼き付いている。


平田が私に、脇役でも生きているんだって言った言葉が、今も心に刻まれている。


ミユの優しいハグの感触が、今も私の肌に残っている。


……ああ。


なんでもっと私は、素直に生きられなかったんだろう?


自分のことが嫌いであることを認めずに、無理やり見ないようにして、傍若無人に振る舞い……多くの人を傷つけた。


立花だって、圭だって、藤田だって、葵だって、平田だって、ミユだって。


……アキラだって。


今になって思えば、私がアキラに惹かれたのは、自分にない素直さを持っていたから……。


真っ直ぐで自分を隠さず、そのままを出せる人間だったから。


そして、それはミユや平田も同じだった。彼女らも自分のことを隠さないで……ねじ曲げないで、真っ直ぐに……生きていこうとしている。


それが、羨ましい。


ぐちゃぐちゃにネジ曲がった私は、もう数えきれないほど、罪を重ねてしまった。


気づくのが遅かった。


遅すぎた。


でもそれは、実は無意識に分かってた。だから死にたかったんだと思う。


アキラと出会って……自分がひどく惨めな、小さくて醜い人間だったことを想い知った。


だからずっと、殺してほしかった。


人に謝ることから逃げたくて、自分の罪を忘れたくて……。


だから……。



…♪♪……♪



だけど、もう死にたいなんて思わない。


私は…………アキラのことを好きになってしまった。


ミユのことを尊敬してしまった。


どうか……この二人のそばに、いさせてほしい。 私という人間を、もう一度立ち直らせてほしい。



……♪……♪♪



私は心からのシャウトを、その歌に込めた。


生きててよかったと、そう思えない人生だった。


ずっとずっと、何かに抑圧されて、その不安から逃げて逃げて……自分を追い込むだけの毎日だった。


でも今は……今は……!




……苦しくて長い人生の中で、誰か一人にでも抱き締められたことがあったっていうことを……もし、あなたが心の片隅に置くことができたら、きっと…………。




アキラ!


そして、ミユ!


私を……私を抱き締めてくれてありがとう!


本当に本当に、ありがとう!


私はあなたたちみたいになりたい!なってみたい!


そのために生きたい!


生きていたい!


生きて!


生きて!


生きて!


そして!私もいつか……!




──傷ついた誰かを、抱き締めてあげるんだ!!




「……………………」


歌が静かに終わった。私はそれを見届けて、マイクのスイッチを切った。


「す、すげ~……。初めて聴くけど、良い歌だったな」


「う、うん……凄かった。舞、歌上手いね」


アキラとミユが話している声が聞こえる。褒めてもらえてるみたいで、私は嬉しかった。



『採点結果:99点』



カラオケの映像を映し出すモニターに、その点数が表示された。「おー!」という感嘆の声が、部屋の中に響いた。


……99点、か。


100点じゃなかったんだ。


「……………………」


私は、みんなの方へ振り向いた。


するとみんなが口々に、「すごかった!」と言ってくれた。


「なんだよ湯水ー!お前超人かよ!99点とか、俺じゃ絶対無理だ!」


「すごいね舞!気持ちもこもってたし、とってもよかったよ!」


「湯水、凄すぎー!どうやってそんな点数出せるのー!?」


「やっば!!プロなれるべ!!」


「湯水さん、さすがだね……!」


「……ちぇ、仕方ない。認めてやらあ」


「……………………」


そうだ、ここの人たちは……私が100点じゃなくても、“ここにいていいよ”って、言ってくれる。




偉いな“舞”。よく頑張った。でも、身体には気を付けるんだぞ?きちんと眠って……ゆっくりして、自分のことも大事にしなさい。たとえお前が100点を取れなくたって……大事な娘であることに、変わりはないから


もちろんだよ“舞”。とっても似合ってる。でも、あなたはそのままでも可愛いよ。いろんな色に染めなくたって……あなたらしい可愛さがあるから。人に合わせなくたっていいの。大丈夫、それを信じて……?




「……………………」


私は、目尻に溜まった涙を、右手で払った。


そうだ、100点じゃなくても……いいんだ。私は、生きていていいんだ。


「……みんな。どうも、ありがとう」


私は自分の気持ちを真っ直ぐに、少しも包み隠さずに、そう言った。









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