「あ、次は美結だね。はいマイク」
「ん……ありがと」
美結は指で涙を払い、メグちゃんからマイクを受け取って、席から立ち上がった。
ふー……と息を吐き、緊張をほぐしている。
「カラオケ……本当に久々かも。年単位で来てなかった気がする。お兄ちゃんとも、初カラオケだよね?」
「あれ?俺って美結とカラオケ行ったことなかったっけ?」
「うん、実は何気に」
「そっか……そう言えばそうなるのか」
「……ふふふ、じゃあ久々に頑張ろっと。見ててね?お兄ちゃん」
美結は咳払いをひとつしてから、歌い始めた。
それは、「prisoner of love」という曲だった。
「………………」
……すごい。
美結、想像していた以上に上手い。というか、様になっている。歌い慣れている感じだ。
(好きだったんだな、カラオケ)
今まで満足に外へ出られることも少なかったから、中々行けなかったんだな。
じゃあこれから、たくさん一緒に行ってあげたいな。俺は下手くそだからあれだけど、こうしてメグちゃんや他のメンバーと一緒になら美結も行きやすかろう。
そうか、でもまだまだ……俺の知らない美結がいるんだな。もっともっとこれから知れたら……嬉しいな。
……♪……♪♪
美結がちらりと、横目で俺を見る。それに目が合うと、彼女は歌いながらニコッと笑った。
なぜ突然こちらを?と、彼女の行動に首を傾げていた時、横からメグちゃんが「明さん、嬉しいですか?」と話を振ってきた。
「え?嬉しいって?」
「ほら、美結の歌ってる歌は、明さんに向けてですよ?」
「え?え?ま、まじ?」
そう言われた俺は、改めて彼女の歌詞に注視してみた。
「………………」
……お、おお、そうなのか。これが、美結から俺に向けて……。
「……………………」
ふいに俺は、彼女と出会ってから今までのことを思い出していた。
あれから数年の歳月が過ぎたと言うのに……まるで昨日のことかのように、鮮明に覚えている。
なんか、冴えない感じー。私、この人がお兄ちゃんなの嫌だ。
髪もなんか特徴ないしー、顔もフツーだしー、なーんか全体的に60点って感じ。
美結とか名前で馴れ馴れしく呼ばないでよね。本当のお兄ちゃんにでもなったつもり?気色悪い
私がバカだっただけじゃん……。私が、メグの気持ち考えてなくて、自分勝手で生意気で……最低で…………勝手に仲良しだって思って……。
ごめんねお兄ちゃん……私、もうお兄ちゃんのこと、大好きになっちゃった。
お兄ちゃん、愛してる。ホントにホントに愛してる。この世の誰よりも、あなたを愛してる。
「……………………」
もし……あの当時の美結と俺が、今の美結と俺を観たら……なんて言うだろうか?
「こんな関係になるなんてあり得ない!」と、そう笑うだろうか?
……♪♪……♪
美結の歌は、思いの外淡々としたメロディだった。だけど、彼女の持つ表現力がそうさせるのか……感情が真に迫るというか、心にストレートに伝わってくる。
美結からの強いメッセージを肌で感じる。
「……よし」
美結は1度マイクの音声を切ると、「ね、お兄ちゃんも立って」と言ってきた。
「え?お、俺も?」
「ほら、ね、お願い?」
「お、おう……」
彼女に懇願された俺はそれに従い、恐る恐る美結の横に立った。
美結はにっこりと笑うと、右手にマイクを持ち、空いた左手で俺と手を繋いできた。
手の平同士をぴったりくっつけてる、いわゆる恋人繋ぎだ。
「ひゅーひゅー!いいぞ美結っちーーー!」
「見せつけるぜこの野郎ー!」
藤田くんと圭の野次が飛ぶ。メグちゃんや葵ちゃん、湯水も「大胆ー!」なんて言ってはしゃいでるし、城谷さんや柊さんは、微笑ましい眼でこちらを観ている。
さすがに恥ずかしかった俺は、美結に「恥ずかしいから離してくれよ」と、そう伝えるために口を開いた。
……だけど、それは彼女の歌う横顔を見て、止めることにした。
彼女の眼は、真剣だった。
この手は、単にただこの場を盛り上げたいからじゃない。
ああ、そうか。
美結、今君は……俺にラブレターを口ずさんでくれているんだね。
──どんな時も、君は俺と一緒にいると、そう言ってくれるんだね。
「……………………」
……歌が終わったその瞬間、美結はこちらの方へ顔を向けて、俺の頬にキスをした。
「これからも一緒に、幸せになろうね、お兄ちゃん」
「……美結」
「ふふふ」
彼女はにこっと朗らかに笑うと、マイクをすっと、俺の前に差し出した。
「じゃあお兄ちゃん。最後のトリ、お願いね」
「……ト、トリ?俺が?」
お兄ちゃんは冷や汗をドバドバにかいて、口角がひくひくと動かしている。
「もちろん!お兄ちゃん、まだ歌えてなかったでしょ?もうそろそろ時間来ちゃうし、最後歌っちゃいなよ」
「い、いやいやいいんだよ俺は!俺、超ド下手くそだし……絶対白けるって!」
「えー?でも私、お兄ちゃんの歌聴きたいな~?」
私はわざと、上目遣いをしてお兄ちゃんに迫ってみた。お兄ちゃんは顔を真っ赤にさせて、「むむむ……!し、しかし……!」と唸っている。
「はいはーい!私も明さんの歌聴きたいなー!」
そこに、私の援軍が入ってきた。もちろんそれは、メグだった。
彼女を皮切りに、この場にいるみんながお兄ちゃんへ次々と言葉を飛ばしてくる。
「ねえアキラ!私も聴きたいわ!聴かせてよ!」
「兄貴なら大丈夫ですってー!!みんなで最後、盛り上げましょうや!」
「兄貴さんがどんな歌を選曲されるのか、興味あります」
「おい明ーーー!びびってんじゃねーぞ!腹くくれーーー!」
「明くん、音痴なんて誰も気にしないから、楽しんじゃいなよ!」
「私も自由に歌わせてもらいましたから、明氏も自由に歌ってください」
「ほら……ね?お兄ちゃん」
「……………………」
お兄ちゃんはしばらくの間、物凄く迷っていた。マイクを凝視して、ぐっと唇を噛み締めた。
だけどその後……覚悟を決めた様子で、「……っし」と呟き、袖をまくった。
「分かった!“ドブネズミ”な俺をさらけ出してやる!」
「「おおおおーー!!」」
お兄ちゃんの宣言に、拍手が起きた。 お兄ちゃんはタブレットに曲を入力し、右手に“人”の字を3回書いて飲んでいた。
「それじゃあ……美結、マイクをくれるかい?」
「うん!」
私からマイクを受け取ったお兄ちゃんは、バクバクと高鳴る胸を左手で抑えながら……歌い始めた。
曲名は、「リンダリンダ」。
……♪……♪♪
まず序盤は、ゆっくりと進む。
バラードのように優しく、穏やかだった。
「……すうっ」
「───────っ!!!」
曲調が一瞬にして変わった。激しく眩しい、パンクロックに。
お兄ちゃんは、思い切り叫んでいた。喉が破れんばかりに大声で。 部屋の中がビリビリと振動して、一気に私たちの心を掴んだ。
「おら来たーーーーー!!」
「さすが兄貴ーーーー!!」
圭さんと藤田さんが、早速お兄ちゃんの熱いシャウトに呼応する。
音程もリズムもズレてて、確かに技術的には上手じゃないかも知れない。
でもお兄ちゃんの歌は、真っ直ぐて一生懸命だった。 それが本当にお兄ちゃんらしくて、すっごくすっごく嬉しかった。
まさしく、渡辺 明そのものだと思った。
「アキラーーー!」
「明さーーん!!」
見ている人たちがみんな、リズムに合わせて手を叩く。サビの部分では、お兄ちゃんとともに口ずさむ。
「しゃっおらあっ!!」
間奏のところで、お兄ちゃんは思い切りヘドバンをした。
額に浮かんでいた汗が、ぱっ!と辺りに散っていた。
「明氏、いいですよ!」
「明くん!いけいけー!」
「兄貴さーーん!」
部屋中がお兄ちゃんの放つ熱気に包まれて、胸が熱くなってくる。
鼓動がどんどん激しくなって、止まらない。生きてる喜びを思い切り噛み締めるような、そんな感覚。
どんなことがあっても、ひねくれない。
曲がらない。
真っ直ぐに。
真っ直ぐに。
お兄ちゃんの持つ、決して負けない強い力。
それを優しさと呼んだり、思いやりと呼んだり、愛と呼ぶのかも知れない。
「お兄ちゃーーーーーん!!!」
私は叫んだ。
お腹の底から、思い切り叫んだ。
目に涙が滲んでも、構わず叫んだ。
お兄ちゃん。
お兄ちゃん。
私、ずっとずっと、お兄ちゃんが大好きだよ。
「……はあっ、はあっ、はあっ」
お兄ちゃんは、全速力で走り切った。
肩を揺らすほどの息切れをさせながら、汗を滲ませていた。
「わーーーー!!」と、部屋の中が割れんばかりの歓声が上がった。
私たちはお兄ちゃんに向かって、次々と叫んだ。
「明さん!すごかったですよ!ホントに!」
「何よアキラー!あなた上手いじゃない!」
「兄貴ーーー!ひゅーひゅーーー!」
「兄貴さんさすがーー!」
「やるじゃんかよ明ーー!いいシャウトだったぜーー!!」
「明くん良かったよー!熱かったーー!」
「明氏らしかったですね、とても好きです」
「お兄ちゃん!カッコ良かったよーーー!!」
「……………………」
……お兄ちゃんは、その光景にぽかんとしていた。
「……へへ」
でもその後、お兄ちゃんは……眩しいくらいに明るい笑顔で、左手にVサインを作り、私たちへ自信満々に見せてくれた。
「あ!お兄ちゃん、採点が発表されるよ!」
「お!?マジか!?」
私がモニターを指差すと、お兄ちゃんもそちらの方を見た。
『採点結果:60点』
結果がモニターにデカデカと映されると、お兄ちゃんは口をあんぐりと開け、頭を抱えて叫んだ。
「ギャーーー!やっぱり酷いーーー!」
そんなお兄ちゃんの嘆きのシャウトに、みんなお腹がよじれるほど笑った。