太陽がすでに沈み、レンは街の暗い通りをゆっくりと歩いていた。彼の靴音が静かな歩道に響き、街灯が彼の進む道をぼんやりと照らしていた。いつものように、彼は疲れ果てていた。長い一日、終わりの見えない仕事。その単調な日々に、レンは大学を卒業した後の生活がこれほどまでに退屈だとは思わなかった。
「変だな……」レンは独り言をつぶやきながら、雨でできた小さな水たまりに映る建物の光を眺めた。「卒業する前は、いろんな期待を抱いてた。何か大きなことを成し遂げたかった。でも今は……」立ち止まり、虚空を見つめる。「今はただ、溜まった仕事を片付けるために夜遅く家に帰るだけだ。」
今日も特に変わったことはなかった。早朝に起き、制服を身に着け、職場に向かい、コンピュータの前で何時間も過ごす。報告書、電話、また報告書。そうして勤務時間が夜遅くまで延びるのが常だった。平凡で刺激のない仕事だったが、やることは山ほどあった。レンは勤勉な社員ではあったが、果たしてこれが自分の夢見た人生だったのかと自問せずにはいられなかった。
彼はかつて、大きな夢を抱いていた。世界を旅して、何か意味のあることを成し遂げるのが夢だった。しかし、オフィスでの生活に気付かないうちに飲み込まれ、今では何もかもが退屈だった。同じ日々の繰り返し。同じ週のルーティン。
深いため息をつきながら、レンは自分のアパートへ向かった。扉を開け、ジャケットをソファに投げ捨てる。部屋の中はいつものように静まり返っていた。その孤独な静けさは、彼の心の空虚さをさらに増幅させた。彼はソファに倒れ込み、目を閉じた。この生活に意味があるのだろうかと考えながら。
その時、不意に風がカーテンを揺らした。不思議な風だった。まるで何かが空気を変えたような感覚。しかし、レンは深く考えなかった。何せ疲れていて、ただ休みたかったのだ。目を閉じ、部屋の静けさに身を委ねた。
彼はまだ知らなかった。その日、彼の人生が永遠に変わることを。
部屋の隅に小さな光が輝き始めた。レンが目を開けると、そこは見慣れた部屋ではなかった。ソファも、壁も、全てがぼんやりと霧のように歪み、何か異質な世界にいるようだった。
その時、身体の奥から奇妙な引っ張られる感覚を覚えた。自分の体が何かに変わっていく。腕も脚も自由に動かせなくなり、代わりに柔らかく温かい何かに包まれている感覚があった。魂が吸い込まれ、どこか別の存在に閉じ込められたような…。
周囲を見渡し、レンは驚愕した。自分の体に起きている異変に気づいた時、目の前にあったのは、自分自身の姿ではなく、小さな手のひらサイズのぬいぐるみだった。白く柔らかい髪の毛、大きなボタンのような目。そして、小さな布でできた体。
「これ……俺なのか?」彼はつぶやいた、あるいはそう思ったが、声は聞こえなかった。自分の声が、まるで遠くから聞こえるような奇妙な響き方だった。「一体、何が起こったんだ?」
目の前のガラスに映る自分の姿を見つめた。そこに映っていたのは、明らかに人間ではなくなった自分の姿。布でできた体、ボタンの目、そして小さな糸で繋がれた手足。レンはそこで気づいた。もう自分は人間ではなく、何らかの力によってぬいぐるみに変えられてしまったのだ。しかし、なぜ?どうして?
部屋の霧が少しずつ晴れると、レンは自分がぬいぐるみの店の中にいることに気づいた。店内は温かく居心地のよさそうな雰囲気だったが、自分がこの奇妙な体に閉じ込められている感覚が、彼の心に重くのしかかった。
その時、店のベルが鳴り響いた。入口のドアが開き、誰かが入ってきた。レンは誰かが自分に気づいて助けてくれることを期待して、その方向を見つめた。
店に入ってきたのは、ピンク色の髪を高いポニーテールに束ねた少女だった。蜂蜜色の瞳が好奇心と無関心の混ざった輝きを放っている。彼女は店内を見渡しながら何かを探しているようだったが、やがて彼女の視線はレンに向けられた。
「わあ、こんな変わったぬいぐるみ、見たことない…」少女はつぶやき、レンが置かれた棚へと歩み寄った。「どうしてここに置いてあるの?普通のぬいぐるみじゃないのに。」
その後ろから、店主らしき老紳士が現れた。丸い眼鏡をかけ、真面目そうな顔をしている。
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「申し訳ありませんが、そのマリオネットは販売しておりません。非常に特別な品なんです。」
少女は眉をひそめたが、何も言わなかった。ただ、何か隙を伺うように店内を見回した。
レンは恐怖と希望が入り混じった感情を抱えていた。「助けてくれ!お願いだ!」と叫びたかったが、もちろんその声はほとんど聞こえず、ただのかすかな囁きとなった。
しかし、少女は自分の世界に没頭しているようで、レンの声を聞くことはなかった。
店主が他の客を対応している間に、少女は再びレンが置かれている場所に戻り、じっと彼を見つめた。
「なんでだろう…?でも、なんか可愛いわね。まあ、他のマリオネットの方がもっと可愛いけどね。でも、何となく…」
そう呟きながら、彼女は一瞬だけ店主を確認し、衝動的にレンを棚から手に取った。
少女はいたずらっぽい笑みを浮かべると、マリオネットをバッグの中に素早く隠した。
「あなたを連れて行くわ!」
そう言いながら、彼女は急いで店を飛び出した。
ぬいぐるみの体に閉じ込められたレンは、心の中で深くため息をついた。もう以前の生活には戻れない。すべてが変わってしまったのだ。今や彼の運命は、このツンデレな少女の手に委ねられていた。彼女の無関心な態度はまだ理解できなかったが、なぜか彼女と一緒にいることで、新たな冒険が始まる予感がした。
あとは待つしかない。この先何が起こるのかを——。
こうして、ぬいぐるみの体に閉じ込めら
れた彼の新しい生活が始まった。すべてを失った彼だったが、驚くべき未来を心のどこかで信じていた。
第1章 終わり。