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5-9 終


【公開状態】

公開済


【作成日時】

2022-06-06 09:54:00(+09:00)


【公開日時】

2022-06-07 12:00:33(+09:00)


【更新日時】

2022-10-13 23:08:35(+09:00)


【文字数】

4,031文字


【本文(193行)】

 ――その日は雲一つない初夏の晴天だった。


 三ヶ月後。治療とリハビリを終えて退院した松本は〈アンダーライン〉本部を訪れていた。六条院が独断で保留にしていた退職届は、入院中に松本の元に戻ってきた。少なくともこの怪我が治るまでは公務上の災害ということで処理をした方がいいだろうという判断だ。改めて提出するかどうかは任せると言われたその封筒は松本の荷物の中に入っている。


「あ!」


 松本が第三部隊の執務室に顔を出すと、櫻井が気がついて声をかけた。

「おかえりなさい」


 出迎えの挨拶には軽く会釈で済ませ、松本は若干足を引きずりながら自分が使っていた机まで移動した。足はもう少し歩行を重ねたら日常生活に支障はなくなるが、今後も激しい運動はなるべく控えるように、と医師に言われていた。完全に元通りとはいかないらしい。刺さったナイフが足の神経をかすめたことが原因で「これで引き分けね」と笑ったサンの言葉はまさしくそうなったと言える。


「足、まだ痛みますか?」

「いや、大丈夫ですよ。ちょっと不便ですけど。ところで、隊長は?」

「あ、今隊長会議です。もう少ししたら戻られますよ。先にお茶でも淹れましょうか。副隊長がいらっしゃらない間にみんなすっかり珈琲飲まなくなってしまって」

「え?」


 櫻井の言葉に松本は首を傾げた。

「淹れ手によって味が変わるってことですよ」

「そうですか。それは光栄です……と言いたいところなんですが、そんなに変わるんですか?」

「……上手に淹れられるのに飲めないって損ですね」


 櫻井は少しの憐憫を含んだ視線で松本を見ると、手元の茶筒から茶葉を急須に入れた。茶を淹れてもらえるならば手土産の一つでも持ってくるべきだったか、と松本は一瞬考えて、いや旅行に出ていたわけではないな、と思い直す。櫻井はそんな松本の様子を気にかけることなく、茶と茶請けを持ってきた。


「あ、」

「これ、相変わらず常備菓子ですよ」


 松本が気に入って食していた薄味の煎餅を持ってきた櫻井はいたずらが成功した子どものような顔をしていた。


「三ヶ月って長いようで短いですね」

「ええ」


 変わる部分は変わり、変わらない部分は変わらない。

 そんなことを考えながら煎餅をかじっていると、松本の耳に聞きなれた足音が飛び込んできた。


「あ、隊長帰ってきますね」

「……前から思ってましたけど、よくわかりますね」

「隊長の靴って、ちょっといいブランドの独自素材で出来た靴底しているんですよね。ほかの人よりも聞き取りやすくて助かります」


 松本がそう言い終えた瞬間、部屋の扉が開いた。おかえりなさい、と櫻井が再び出迎えの挨拶をする。松本もゆっくりと立ちあがって頭を下げた。六条院はそんな松本を見ながら問いかける。


「もう身体はいいのか?」

「ええ、おかげさまで」


 松本の驚異的な回復力によって最後の二週間はだいぶ暇を持て余していたのだが、それは黙っておくことにした。おかげでようやく自分の身の振り方を決めることができた。


「隊長、これをずっと持っていてくれてありがとうございました」


 松本は荷物から封筒を取り出す。


「わざわざ出向かせてすまなかったな」

「いえ、俺もちゃんと言いたかったので」


 松本は六条院と櫻井の前で、『退職届』の封筒を二つに破いた。





「ここから先、やめることはいつでもできるので、今はもう少しここで走ります」





 改めて、よろしくお願いします、と頭を下げた松本の肩を六条院は軽くたたいた。


「――ありがとう」


 こちらこそよろしく頼む、と言って六条院は松本に右手を差し出した。その手を松本はしっかりと握り、わずかに破顔した。


「?」

「いや、隊長の手、いつでも熱いなと思って」


 ふふ、とおかしそうに笑う松本は、あの日〈プサイ〉で六条院とかわした言葉を覚えてはいない。覚えていなくてよかった、と六条院は思う。

 そして二人の横で話が見えてない櫻井が一生懸命状況を理解しようとしていた。


「え、副隊長、職務復帰でここに来たわけではなかったんですか⁈」

「進退は自分で決めろって隊長に言われてたので。最終的には戻ることに決めてから来ましたけど」


 松本の言葉に櫻井は「あ!」と声を上げた。


「だから最初に俺が「おかえりなさい」って言ったときに返事しなかったんですか⁈」


 図星だ。

 だが、松本はそれには答えずににっこりと笑うだけにとどめておいた。松本は二人に向き直ると、笑顔を引っ込めて口を開いた。


「俺の正体が知れたことで、迷惑がかかるかもしれません。偏った見方をしたい人だっているし、とにかく難癖をつけたい人もいる。でも、そうでない人もたくさんいて、ここには俺が働ける場所がある。――そんな場所がある限り、俺は頑張ってみたいと思います」


 松本の言葉に、六条院はまぶしいものを見るかのように目を細めた。ずっと何かを飲みこみながら、人と違うから仕方がないと諦めながら生きてきた松本が、前を向いて生きようと決めたことが嬉しかった。


「……そなたに救われる人間はきっとこれからもたくさんいる。寄り添ってやってくれ」

「はい」

「ところで」


 六条院は声を潜めて松本に訊ねる。


「その後、同胞たちには会ったか?」


 松本は黙って首を横に振った。


「一応、会いに行こうとしたんですけど、拒否されました」


 松本よりも先に退院して逮捕されていた〝ノライヌ〟の四人は拘置場に移されている。昨日、面会を申し込もうとしたが、全員から拒否されたので、松本は黙って帰路に就くしかなかった。


「……仕方ないだろうな」

「ええ。俺とあいつらの道は完全に別になってしまった」


 あんなことしてなかったら、いろいろ話がしたかったんですけどね、と松本は少し寂しそうに笑った。


「いつか、あいつらが罪を償って出てきたときに俺が生きてたら、今度こそ平和に話ができたらいいと思っています」

「ああ」


 それがそなたの長所だな、と六条院はわずかに笑った。






「そういえば」


 話が終わり不在時に溜まってしまった書類と格闘をしている松本に櫻井が声をかけた。


「あの家、勝手に引き払ってましたよね? 今晩からどこで寝るつもりなんですか?」

「一応今日までは、ちゃんとホテルを取ってたんですけど、明日からは仮眠室……」


 松本の声は櫻井の顔の険しさに比例して小さくなった。


「また隊舎をあてにしてたんですか⁈ いい加減学習してくださいよ!」


 なによりも先に住居決める書類書いてください! と櫻井は松本を叱った。


「どうせまた同じ住居ならば、しばらくわたしの家に泊まるか?」


 さらり、と六条院から飛んでくる言葉に松本は反射で「それは結構です!」と返した。あの時は緊急事態だったので家に上げてもらったが、朝型の松本と夜型の六条院では同居が難しいのは火を見るよりも明らかだった。


「……いろいろと売るんじゃなかった」


 また新居を整えるところからスタートか、と松本は苦笑いをする。

 〝ノライヌ〟の四人を追いかけると決めたときには、すべてに後腐れがないようにと処分をしてきたが、その時の自分の判断を少しだけ後悔した。


「前にも言いましたけど、仮眠室の寝泊りは住居環境が整うまでですよ。今日から二週間でなんとかがんばってください」

「わかりました」


 櫻井さん、相変わらず厳しいですね、と松本が言うと、副隊長がゆるふわなんですよ、と返された。


「一応確認ですが、住居自体は前と同じでいいですか?」

「そこ以外に俺に選択肢あったんですか?」

「まだしばらくは通院が必要なら、もう少し病院に近いところがないか、かけあってみようかと思いまして」

 櫻井の視線は松本の足に向いていた。確かにしばらく経過観察をするから定期的に通ってほしいと言われており、病院に近い場所の方が便利はいいが。

「……あんまり近いと救急搬送車がしょっちゅう通りますよね? それはそれで俺が困るので前のところをお願いします」


 サイレンは必要だから鳴らしていることはわかっているが、松本には確実にストレスになるのがわかりきっていた。その点、以前の住居は松本への負担が少なく、松本自身も気に入っていた。


「わかりました」


 じゃあ総務に書類もらってきますから明日中に書いてくださいね、と言って櫻井は執務室の入口に向かう。

 櫻井がドアを開けて外に出ようとすると、ドアの向こうからわっと隊員が入ってきた。櫻井は慌ててドアの前から飛びのき、室内にいた松本と六条院も驚いて目を見開く。

 そんな彼らの様子に隊員たちはサプライズが成功して喜ぶような顔をし――ひとりの隊員が前に出てきた。




「副隊長、復帰、おめでとうございます!」




 全員がパチパチパチパチと拍手をする。見たところ、夕勤に出てきた隊員たちと日勤の隊員たちが入り混じっており――たまたま時間が合った隊員たちが集まったというところだろう。人が外に出ようとした瞬間に、無理やり押し入らないように、と櫻井が叱っているが、残念ながら馬耳東風である。

 松本は突然の復帰祝いに驚いていたが、徐々に笑顔になる。


「ありがとう。またよろしく」


 そして櫻井さんにはちゃんと謝罪を、と松本は苦笑して付け加える。隊員たちはそこで拍手を一旦やめて、櫻井に頭を下げた。櫻井も苦笑して、気をつけるように! とだけ告げて改めて部屋を出て行った。


「復帰祝い、させてください! もう店取りましたから!」

「え、いいけど、俺お酒飲めないよ?」


 それでもいいなら、と言って松本は隊員たちの輪に入っていく。その後ろ姿を六条院は穏やかな表情で見ていた。やはり、松本は人の中にいるのが似合う。


「隊長も仕事が終わったら合流してくださいね」


 隊員の誰かが六条院を振り返って言う。六条院はその誘いに片手を上げて応え、目の前の仕事をもう少しだけ片付け始めた。





 その後、松本の復帰を聞きつけた稲堂丸、志登をはじめとした他の隊の人間も合流して、一大イベントと化してしまうのだが、それはまた別の話。





【5-9 END】

【最終話 Good-bye our sweet stray dogs END】

*****

■お礼■

最終話までの閲覧ありがとうございました。



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