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4-6 終

 マスターキーが到着したのち、救急隊員によって米澤の遺体は運び出されていった。玄関近く、廊下ともいえない小さなスペースとダイニングキッチンの境目に倒れていた彼女の死因は外傷がなかったことから加齢による心停止か、服薬等による自殺かの可能性があるということだった。彼女は想像よりも小柄で、穏やかそうな印象を与える人間だった。生前の表情までは想像できなかったが、六条院が言ったとおり上品で穏やかな老婦人であったのだろう。

 彼女の遺体は科技研に運ばれたのち、元岡たちの手によって解剖をされる手はずになっていた。


「櫻井さんは玄関で靴を調べてください。もしかすると処分済かもしれませんが、桑原と坂本が鑑定依頼をした足跡と一致するかもしれません」


 きっと、彼女は証拠を残しているという確信が松本にはあった。おそらく彼女は自らの行いを悔い、自身の研究の果ての責任を取り、最後に自ら死を選んだのだろう。――そんな彼女がわざわざ自らの行いに関する証拠を隠蔽する可能性は低かった。


「わかりました」

「俺は、室内に行きます」


 現場を荒らさないようにするため松本はシューズカバーを履きながら言う。櫻井は心配そうに松本を見た。


「大丈夫ですか。室内の方がにおいもきついと思いますが」

「マスク持ってきたんで多分。適当に休憩しながらやります」


 松本はマスクをつけて、室内に踏み出していった。八条院からの情報は松本にしか共有されていないため、櫻井に室内を任せるわけにはいかなかった。

 1DKの間取りの住宅は、玄関を入るとごく狭い廊下があり、右手にトイレ、左手に洗面所と風呂、正面にダイニングキッチンと続いている。ダイニングキッチンの左手側には寝室と思しき部屋に繋がるドアがあった。


「……」


 寝室にはベッドのほかにデスクと椅子、そして小さな本棚が置かれていた。本棚の中身は学術書ばかりかと思いきや文庫版の小説も入っている。松本は本棚を注意深く見るが、特に気になるものはなかった。

 次にデスクの上には書きかけのノートが開かれていた。ノートの傍らには万年筆が転がっていた。今この都市国家で万年筆を使うのは一部の限られた文化人だけのため、彼女が文化的な生活を送っていたのだと推測できた。

 松本は開きっぱなしになっているノートをはらり、とめくった。指紋をつけないようにニトリル手袋をしているため、若干のめくりにくさを感じるが、構わずめくっていく。はたして、そこには遺言――いわゆるエンディングノートだったのだろう――が青いインクの美しい文字で記されていた。

 米澤の遺産については研究機関に寄付すること、研究内容の取扱いについては八条院家に一任することから始まり、死後の部屋の清掃や本の管理など、細かく業者が指定されていた。エンディングノートは正式な遺言ではないが、彼女には配偶者も子息もいないため、ここに書かれている通りになるだろう、と松本は思う。そして次のページをめくったところで思わず息を飲んだ。


『私の責任を最後に果たすことができた。一つだけ心残りなのは、残る五人を探し出せなかったことだ。今どこで何をしているのだろうか。わたしの、こどもたち』

「……」


 おそらく自殺した人間たちを探し出したのだろうとわかるが、この手記だけでは証拠にならない。思わずため息をついて、松本は手記を閉じた。


「副隊長?」

「ん?」


 背後から声をかけられて松本は振り向く。

「靴底の模様が一致するスニーカーが見つかりました。そちらは?」

「物的証拠が出てこなくて困っていたところです」


 これの内容もぼかして書いてありますしね、と言って松本はノートを持ち上げ、ビニール袋の中にいれた。


「一応自供っぽいことが書かれていたので持って行きます」

「本当にふんわりしていたんですね」


 松本の言葉に櫻井は苦笑でもって返答した。櫻井もビニール袋に証拠のスニーカーを入れる。


「――ひとまず、今日の調査はここまでですね。俺は本部に戻ります。櫻井さんはその証拠品を科技研に届けに行ってもらえますか」

「了解です。では、先に出ます」

「はい。よろしくお願いします」


 松本は先に櫻井を部屋から送り出す。自らも部屋を出るタイミングで、一瞬室内を振り返った。レースのカーテンの隙間から差し込む冬の陽光が、松本の瞳をやさしく焼いた。その光に思わず目をすがめたが、松本は何事もなかったように外に出て玄関のドアを閉めた。






 米澤のスニーカーの鑑定はあっさりと終わり、〈タウ〉の空き屋の足跡と一致したと連絡がきた。それとは別に、空き家を丹念に調べていた科技研の担当者(第三部隊を担当する数人のうちのひとりだ)が落ちていた毛髪を見つけたことで、米澤の関与はあっという間に濃厚になった。遺体の毛髪を用いて、空き家の毛髪のDNA鑑定を行うというので、結果を待つことになっているが、結果は明白だろう。


「……結局これはあんまり役に立たなかったですね」


 本部に戻ってきた松本は手に入れたエンディングノートを見つめる。六条院もほろ苦い笑みを浮かべた。


「そうだな。最後の一文が気になるところだが、あの部屋の後始末をするためにマンションの管理会社に返さねば」


 独居老人向け、を謳うマンションであるため、死後の始末は管理会社が一括して行っている。彼女の遺言どおり、遺産は寄付され、あの部屋も片付くだろう。

 元通りになってしまう――そこまで考えて、松本はふう、と小さくため息をついた。


「……あの部屋で、なにかあったか?」

「え?」

「戻ってから、顔色がよくないうえにため息ばかりついている」


 六条院の質問に松本は少し迷うように視線をうろつかせたのち、かぶりを振った。


「個人的な理由です。少し思うところがあって」

「そうか。無理には訊かぬが、支障が出るようなら追究するぞ」

「はい」


 まだ言い足りないが、松本の責任で黙るなら見逃してやろう。松本はそんな気配が伝わってくる六条院からの意識を別の方向に向けるべく話題を変えた。


「ところで、米澤の死因はなんだったんですか」

「……それが、不明だと元岡から連絡がきた」

「不明?」

「虚血性心不全、これが彼女の暫定の死因だ。もちろん元岡もそれを信じているわけではない。服毒だと推測されているが、ほう助しただろうほかの遺体とは違ってタリウムは検出されなかった。おそらく彼女が独自に創り出した毒薬だろう」


 六条院の言葉に松本は眉をひそめた。そんな様子を見た六条院は安心させるようにわずかに微笑んだ。


「彼女の死因はなんとしてでも突き止めると元岡が張り切っていたから大丈夫だろう」

「そうですか」

「……大きな声では言えないが、元岡にとって米澤は最大の目標だったようだ」


 六条院の言葉に松本は納得する。米澤の研究は八条院家の中でも限られた人間しか知らないだろうが、名前だけは伝わっていたのだろう。それを幼い元岡が耳にしていてもおかしくない。


「死因となった毒物は必ず明らかにする。明かせたら、それで目標に追いついたことにする、と元岡は言っていた」

「はは、元岡さんらしいですね」

「まったくだ」


 六条院も松本につられて笑った。


「では、わたしはこれから志々雄様に連絡を取る。そなたも今日はもう上がれ」

「ありがとうございます。じゃあ、遠慮なく」


 すっきりしないまま終わった事件については早めに忘れるに限る。幸い嫌な記憶が残りやすい方ではなかったので、今日は軽く走って早めに寝よう、と松本は決心してロッカールームへと向かう。

 ――その背中に六条院から再び声がかかった。


「今回の仕事はここまでだが……この研究に関する件がすべて終わり、ではないかもしれない」

「……はい」


 松本は六条院を振り返る。

 彼は鋭さの中にも温かさをたたえた眼光で松本を射抜いた。


「もし次何かが起きてしまったら、その時はまた、どうか力を貸してほしい」


 祈りのような言葉に松本はふ、と肩の力を抜いた。


「もちろんです。だって隊長が俺に言ってくれたんですよ? 俺が救える人間がきっとたくさんいるって」


 松本は胸を拳で軽くたたいた。


「そんな人がいる限り、俺はここで力を尽くします」


 松本はそう言うと、ぺこり、と頭を下げ「お疲れさまでした」と言って部屋を出て行った。

 その背中をなにかまぶしいものを見るように目をすがめて見送り、六条院は端末を手に取った。残念ながら、八条院への報告は吉報ではないけれども。


「志々雄様の慰めになればいいのだが」


 八条院家の過去の所業を悔いている現当主の心が少しでも軽くなればいい、と祈りながら六条院は八条院へつながる番号を入力した。



【4-6 END】

【第四話 Eternal Dolls END】


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