居酒屋にはすでに、女の子達と、彼女たちに囲まれた広瀬の姿があった。
(……相当、迷惑そうだな)
円は、顔を顰めて、一言も話をしないのだが、周りの女子達は、頻りに「広瀬くん、どの辺に住んでるの?」とか「私、日本文学って大好きでぇ。広瀬くん、どの作家が好き?」とか聞いているのは良いのだが、頻りにボディタッチをしているので、円は鬱陶しそうにしていた。
それを見た御園生が「おい稲葉」と小さく耳打ちする。
「はい?」
「あれ、散らしてこい」
散らす。どういうことか、よく解らなかったが、女の子達を蹴散らせば良いのだろうと、大雅は理解した。
「おっけーっス」
「広瀬がひとりで女の子を独占してるのは我慢ならん」
この人は女好きなんだな、と乾いた笑いが漏れつつ、不機嫌そうに黙りこむ円は、なんとかしてやらないと可哀想だと思い、大雅は、円の向かいに座った。
「よォ、広瀬」
大雅が声を掛けると、す、と顔を上げて、円が大雅の顔を見た。
「お前、御園生さんと一緒に会場に来るっていったじゃねェか。なんで、先に来てンだよ」
そんな約束など、一度もしていない。なんとか意を汲んでくれ、と願いながら大雅は言う。
「俺は、お前の事待ってたよ」
掛かってくれた。大雅は安堵した。では、ここから先はアドリブだ。
「待ってなかったじゃねェか」
「遅かったし、この人達が、稲葉達は先に行ったって言ってたから」
「あっ? なんだと、お前ら、コイツにデマながしたんか?」
大雅が凄むと、女の子たちは「ひっ」と小さな声を上げて、テーブルの反対側にいる御園生の所へそそくさと逃げ出した。
テーブルの端と、テーブルの端。真ん中が空くことになって、そこに、教授と野原が座る。
「こんなにまばらな使い方っていいのか?」
「……密集してるより良いと思うけど?」
たしかに感染症の流行していた時期は、どこもかしこも距離を取って座っていたはずだった。それを思えば、距離がある方が安全なのだろうし、円は、あの女の子たちがいない方が良いのだろうから好都合なのだろう。
(しかし……、あの女の子たち、顔が良けりゃ、なんでも良いのかねぇ)
今は、女好きそうな御園生が嬉々として相手をしているので任せているが、つい先ほどまで円にまとわりついていたとは思えないほどの変わり身の早さには驚いてしまう。
「……あのさ、稲葉」
ぽつり、と円が呟くのが解った。
「ん? なに?」
「また……、その、助かった」
ばつが悪そうに視線を逸らす円の姿を見て、一瞬にして、昨夜の夢を思い出してしまって、大雅は、顔が熱くなってきた。
「べっ、別に……」
冷たい唇だった―――と思ったら、急に、円の唇が視界に飛び込んできて、ドギマギしてしまう。
「……なんか、俺の顔に付いてる?」
「つ、付いてないです……」
視線が離せずにいると、円が小さくため息を吐いた。
「……今日が、ゼミのキックオフじゃなかったら、飲み会なんてこないのに」
「広瀬は、飲み会とか、苦手なのか?」
円は、大雅の顔を見やってから、苦笑する。苦笑と―――いうか、もっと、歪んだ笑いだった。
「飲み会って、何をされるかわかんないから」
何をされる……と言っても、暴力沙汰になることは殆どないだろう。
(ということは……、この間のイベント会場みたいに……、セクハラとか、連れ込まれそうになる……とか?)
だが、相手は女の子たちだ。そう言うことが出来るとは思えない。
「飲み物に何か入れられたり、モノを取られたり、カバンの中に、エアタグとか仕込まれたり、スマホを勝手に弄られたり、触られたり、貰ったぬいぐるみの中にはカメラとか音声レコーダー……いろいろだよ」
「怖い……な、そんなのおちおち、飲み会にも出られねぇだろ」
「……初めて、女の子が周りに居ない飲み会になったよ」
円の言葉を聞いて、大雅は、気分が沈む。今まで、顔が良くて、華やかな雰囲気を持っている人というのは、皆に囲まれて、幸せで居るのだと思っていた。
「なんかさ、身近に居るヤツが信用出来ないのって、結構辛そうだな」
「えっ?」
円が目を丸くする。
「あのさ……なんて言ったら良いんだろ……、俺ァ、そんなに、人に好かれる性質じゃねェし、周りに友達も居ない。けど、少なくとも、信用出来るヤツは、近くにいてくれたりするんだ。まあ、うちの舎弟どもだけど。でも、絶対に、俺になにかしてこないって言うのは、安心感があるよなと思って。今、広瀬の話を聞いてそう思った」
「……あのさ、稲葉の家って……、その……ヤの付くお仕事なんだよね……?」
聞きづらそうに、円が聞く。
「えっ? あ、そーだけど?」
「それってさ……」
多分、『どういう感じなの?』という言葉が続いたのだと思う。だが、円の口から、その言葉が紡がれることは無かった。
「えーっ!! 稲葉くんってヤクザなのっ!!!?」
女の甲高い声が、居酒屋中に響き渡った。