* * *
ジャリ…ジャリ…
足元で砂利を踏みしめる音が静かに響く。
久しぶりに訪れた**「蛇ノ社(くちなわのやしろ)」**は、昔よりもずっと静かだった。
「……やっぱり、誰もいないか」
私は小さく息をつきながら、境内をゆっくりと歩く。
この春で大学を卒業する私は、卒論のために 「神話と封印の関係」 をテーマに調査をしていた。
歴史学を専攻しているわけじゃないけれど、昔から神話や伝承が好きだった。
「せっかくなら、自分が興味あることを書きたいしね」
そう思いながら、京都周辺の神社を巡る日々。
今日は、ちょっとした寄り道だった。
「……ここ、本当に久しぶりだな」
この神社は、昔何度か家族と来たことがある。
それだけのはずだった。
――でも、なぜだろう。
境内を歩いていると、胸の奥がザワザワとする。
鳥居をくぐると、ふわりと風が吹き抜け、木々の葉を優しく揺らしていく。
――この神社、こんなにひっそりとしていたっけ?
視線を横に向けると、手水舎の水盤には落ち葉が溜まり、すっかり乾ききっていた。もう長いこと参拝客が訪れていないのかもしれない。
木漏れ日が境内を淡く照らし、空気は澄んでいるのに、どこか寂しげな雰囲気が漂っていた。
そんな中、私の目を引いたのは社の奥にそびえ立つ、見慣れない 石碑 だった。
「……こんなの、昔はなかったのに」
静寂の中で、私の小さな呟きだけが響く。
それはまるで、何かを閉じ込めるために存在しているかのように重々しく、古びた文字が刻まれていた。
――「封神ノ契 約果タサヌ者、還ルコト叶ワズ」――
意味がわからず、私はその言葉をそっと口にする。
「なにこれ……? 封神の契……?」
瞬間、冷たい風が吹き抜け、背筋にぞくりとした感覚が走った。
まるで、誰かがこちらを見ているような気配――。
その時、どこからか微かな声が聞こえた。
「ボクを……助けてくれるの?」
え?
思わず振り返る。
けれど、境内には私以外、誰もいない。
気のせい? それとも……。
懐かしさと共に、幼い頃の記憶が不意に蘇る。
* * *
――あの日も、こんな風に静かな神社だった。
家族と喧嘩して泣きながら駆け込んだ「蛇ノ社」。
誰もいないはずの境内で、私は 銀髪の少年 と出会った。
彼は肩に 白蛇 を乗せ、静かにこちらを見つめていた。
「ねえ、君はだあれ?」
泣き腫らした目で見上げながら問いかけると、少年はふわりと微笑んだ。
「……ボク? うーん、名前はあるけど、君にはちょっと難しいかも」
「難しい?」
「玖蛇(くじゃ) っていうんだ。でも、君には呼びにくいでしょ?」
そう言いながら、少年は小さく首を傾げた。
確かに、なんだか舌を噛みそうな名前だった。
すると、少年はくすっと笑い、
「なら、“ヤト” でいいよ」
そう言って、私の頭を優しく撫でた。
初めて会ったのに、彼は不思議なほど親しげだった。
そして、私が泣いていた理由を聞くこともなく、
ただ隣に座って、風に揺れる葉音を一緒に聞いてくれていた。
まるで、そこにいるだけでいいと言うように――。
* * *
記憶の中の少年と、目の前の石碑。
この二つが、ゆっくりと重なっていく。
「まさか……ヤトが……?」
心臓が強く鳴った。
そうだ、確かあの日――
「また会おう。――きっと」
ヤトは、そう言ったのだった。
でも、その約束は果たされなかった。
「でも、もしヤトがここにいるなら……もしかして――?」
再び、風が吹き抜ける。
そして、今度は確かに聞こえた。
「……ゆず」
私の名前を呼ぶ、懐かしい声が――。
「約束を、果たしにきた?」
光の中、かつての少年が、ゆっくりと目を開いた。
――第1話・完――