* * *
――確かに聞こえた。
懐かしくも、優しいあの声が。
「……ヤト?」
そっと呟いた瞬間、蛇ノ社の空気が変わった。
風が吹き抜け、木々の葉がざわめく。
ジャリ……ジャリ……
静寂の中、砂利を踏む音が響く。
私はゆっくりと封印の石碑に近づいた。
「約束を、果たしにきた?」
ふいに、背筋がぞくりとする。
まるで、この場所そのものが問いかけているようだった。
幼い頃、私は確かにヤトと「また会おう」と約束した。でも、その約束の内容を思い出そうとすると、なぜか霞んでしまう。
――どうして? あんなに楽しかった思い出なのに……
私は拳をぎゅっと握りしめ、石碑を見つめる。
まるで誰かが私の記憶を曇らせているかのような、嫌な感覚があった。
「……なんで、思い出せないの?」
焦燥感に駆られながらも、私は石碑に手を伸ばした。
すると、指先が触れた瞬間――
パァンッ!
突然、目の前で何かが弾けた。
「きゃっ……何!?」
驚いて後ずさる私の前で、石碑が淡く光を放ち始める。
まるで何かが目覚めるように、封印の文字が揺らぎ始めた。
――「封神ノ契 約果タサヌ者、還ルコト叶ワズ」――
古めかしい文字が、鈍く光っている。
この意味するものは……?
「……封神の契?」
呟いた瞬間、ふいに背後から冷たい風が吹き抜ける。まるで誰かが囁くように、耳元で風が流れた。
「っ……」
息をのむ。
すると――
「……ゆず」
今度は、はっきりと聞こえた。
懐かしくて、優しい声。
確かにこれは、ヤトの声だった。
「……ヤト? いるの……?」
鼓動が高鳴る。
目の前の封印が、確実に何かを隠している。
すると、
ギィ……ン……
鈍い音を立てながら、石碑の表面がゆっくりとひび割れていった。
「えっ……?」
息を呑む。
ひび割れた隙間から、金色の光がこぼれ出す。
そして――
金色の瞳を持つ、あの少年がそこにいた。
「……久しぶり、ゆず」
柔らかな微笑みを浮かべた彼は、まるで昔と変わらぬ姿でそこにいた。
だけど、私には分かってしまった。
この再会が、単なる“偶然”ではないことを。
私は思わず息を呑んだ。
光の中から現れた彼は、確かにあの頃と変わらない姿だった。
銀髪に金色の瞳――間違いなくヤトだ。
でも、違う。何かが違う。
「……ヤト?」
思わず声をかける。
「ボクを、助けてくれるの?」
その言葉に、私はハッとする。
まるで、彼が囚われていたかのような響き。
「……どういうこと?」
混乱する私をよそに、ヤトはゆっくりと私に近づいてくる。
けれど、光の境界線を越えられないように、その足が止まった。
「ボクは、ここから出られないんだ」
「……え?」
「だから、ゆず。お願い。ボクを……」
その言葉の続きを聞く前に、突然、神社の鈴が大きく鳴り響いた。
カラン……カラン……!
瞬間、ヤトの姿が消える。
「ヤト――!!」
思わず手を伸ばすが、そこにはもう、何もいなかった。光の残滓だけが、ゆっくりと宙を舞う。
「……嘘、でしょ?」
再会したはずなのに、また目の前で消えてしまった。でも、私は確かに聞いた。
「ボクを、助けて」
その声を――。
封印が完全に解かれたわけじゃない。
でも、ヤトは確かにそこにいた。
そして、このままでは、彼を本当に救うことはできない――。
私は、石碑を握りしめた。
「ヤト……必ず、助けるから」
心に決めた瞬間、鳥居の向こうから朝日が差し込んだ。
新しい一日が、始まる。
* * *
――第2話・完――