* * *
――確かに、そこにいたのに。
ヤトの姿は、光の残滓とともに消えてしまった。
私は呆然と立ち尽くす。
「……夢、じゃないよね?」
神社の境内は静まり返り、風が木々を揺らす音だけが響いている。
ジャリ……ジャリ……
砂利道を踏みしめながら、私はゆっくりと封印の石碑に目を向けた。
そこには、先ほどまで確かにヤトがいたはずなのに。
「ボクを、助けて」
そう言っていた彼の声が、まだ耳に残っている。
だけど、今は何もない。ただの古びた石碑があるだけ。
――いや、違う。
私は気づいた。
さっき、確かに封印がひび割れたのだ。
「……もしかして、本当に封印されていた?」
半信半疑で、もう一度石碑に近づく。
その表面には、かすかに金色の光の名残が滲んでいた。
「……この封印、一体何なの?」
刻まれているのは、例の文言。
「封神ノ契 約果タサヌ者、還ルコト叶ワズ」
約束を果たさなければ、還ることは叶わない。
まるで、何かをこの世に閉じ込めるための契約のような――。
「……もしかして、ヤトは“還ることができない”ってこと?」
考えれば考えるほど、答えの出ない疑問が浮かび上がる。
けれど、ひとつだけ確信できることがあった。
私はヤトと再会した。そして、彼は助けを求めていた。
「ヤトは、ここにいる……」
ならば、私にできることは?
どうすれば、彼を助けられる?
その答えを探すため、私はもう一度、石碑にそっと触れた。
――その瞬間、
ザザッ……
背後の木々がざわめく音がした。
「……?」
振り返ると、境内の鳥居の向こうに誰かの姿が見えた。
「……誰?」
微かに月明かりに照らされるその影は、人のようで人ではない。
黒い着物をまとい、長い袖が風に揺れている。
けれど、顔はよく見えない。
「……あなた、誰?」
私は勇気を振り絞って問いかける。
すると、その影はゆっくりとこちらを向いた。
「ようやく気づいたか。封印のことに」
低く、落ち着いた声だった。
私は思わず息を呑む。
「封印……? 何か知ってるの?」
影は歩み寄ることなく、その場から静かに告げた。
「あの封印は、"神を封じる契約" だ」
「……神を、封じる?」
「そうだ。お前が会ったという男……そいつは "夜刀神" の化身だろう」
――夜刀神。
それは、古来より語られる"夜の神"。
「まさか……ヤトが、本当に?」
影は静かに続けた。
「今のお前では、あの封印を解くことはできない。だが――」
「だが……?」
影は、一歩だけ前に出た。
風が、ひやりと冷たくなる。
「もし本気であの神を助けたいなら、"神器" を探せ」
影の人物は、静かにそう言い残した。
「神器……?」
私は思わず繰り返す。
聞き慣れない言葉。
まるでゲームの中に出てくるような響きに、一瞬現実味を感じられなかった。
だが、影の人物はさらに続ける。
「ただし――」
その声が、わずかに低くなる。
「その先に待つものは、決して幸福だけとは限らない」
「……え?」
思わず顔を上げる。
だが、影の人物の姿はすでに消えていた。
私はその場に立ち尽くし、静寂の中で鼓動だけが強く響いていた。
「……幸福だけとは、限らない……?」
まるで、何かを暗示するような言葉だった。
――まるで、最初から存在しなかったかのように。
私はしばらく、その場に立ち尽くしていた。
「……神器を、探せ?」
何も分からないまま、私はただ静かな境内を見つめていた。
夜の闇は、何も教えてはくれなかった。
* * *
――第3話・完――