* * *
「……水そのものに、なる……?」
私は、蒼龍の守護者・イズナの言葉を反芻した。
「水の気を受け入れたつもりだった。でも、まだ足りない……?」
私は卵を見つめる。
さっき、わずかにヒビが入ったのに……まだ孵化はしていない。
雨も降らなかった。
(何が足りないの? 私はちゃんと水の流れを読んで、天に呼びかけたのに……)
そんな私の考えを見透かすように、イズナが口を開く。
「水はな、結月。どこにでも存在し、流れ続けるものだ。時には静かに、時には荒れ狂いながら」
「……」
「だが、お前の水は、まだ"しがらみ"に囚われている」
「しがらみ……?」
私は思わず聞き返す。
「お前は"水の力を操る"ことを意識しすぎている。水は、"操る"ものではなく、お前と一体となるものだ」
「……一体、となる?」
「お前自身が"水の流れ"そのものにならねばならない」
私はその言葉を反芻しながら、ふと境内を流れる小さな川に目を向けた。
水はただ、川の流れに従い、何にも逆らわず進んでいく。
しかし、それは決して消えるわけではなく――確かに、存在し続けている。
(私も、水にならなきゃいけない……?)
でも、どうやって……?
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雨乞いの儀式、再び
静かに息を整え、目を閉じる。
私は水。
ただ流れ、すべてを受け入れ、変化し続ける存在。
私は鈴を軽く振る。
シャン……シャン……
風が境内を包み込み、草木がざわめく。
私は、水の流れを想像した。
川のせせらぎ、雨が地面を叩く音、波が岸辺に打ち寄せる感覚――
私の中に、確かに水が流れている。
私は"雨"そのものにならなければならない。
私は鈴をさらに強く振った。
シャンッ……!
その瞬間――
空が、一気に暗くなった。
「!!」
強い風が吹き抜け、木々が揺れる。
「結月……お前、今……!」
イズナの声がどこか遠くに聞こえる。
私は空を見上げた。
分厚い雲が渦を巻き、天の気配が変わっていく。
(私は、水……)
私は、両手を広げる。
そして――
「――降れっ!」
バシャァァァァ!!
空から、激しい雨が降り注いだ。
結界の中にいたイズナも、驚いたように空を見上げている。
「……やった、の……?」
私は呆然としながら、ポタポタと雫を落とす卵を見つめた。
その時だった。
ピキッ……!
卵に、今度はより深いヒビが入る。
「!!!」
私は目を見開いた。
卵が、ふわりと宙に浮かぶ。
イズナがゆっくりと息を吐いた。
「……ようやく"水の気"を受け入れたか」
「えっ、じゃあ……」
「そうだ」
イズナは私を見つめ、口元に微笑を浮かべた。
「お前の雨は、天に届いた。そして、卵もまた――"生まれる準備"を整えつつある」
私は、そっと卵を抱えた。
卵のぬくもりが、今までよりも一段と温かくなっている。
(もうすぐ……会えるんだね)
私は静かに呟いた。
でも、まだ終わりじゃない。
四神すべてが揃わなければ、試練は終わらない。
そして、私の旅も――まだ続く。
* * *
※龍神の鱗――水神の祝福※
「結月」
イズナが私を見つめながら、静かに手をかざした。
次の瞬間――
空から落ちる雨の中に、青く輝く小さな欠片が舞い落ちる。
「えっ……これは?」
「龍神の鱗だ」
イズナは私の手のひらに、それをそっと落とした。
「龍神の試練を乗り越え、水の気を受け入れた証だ」
私は驚きながら、手の中にある鱗を見つめる。
それは、まるで水面が揺らめくように、淡く光を放っていた。
「これが……神器?」
「そうだ。龍神の力の一部。その力を使うことで、水の加護を受けることができる」
「水の加護……」
「水はただ流れるだけではない。"命を守る力"でもある」
イズナは静かに続ける。
「その鱗を持つ者は、水の恩恵を受け、天と大地を繋ぐ存在となる」
「天と大地を……」
私は、龍神の鱗をぎゅっと握った。
この力があれば、ヤトの封印を解くための旅を進められる。
「ありがとう、イズナ」
「次の試練に進め。お前はまだ"全て"を手にしてはいない」
イズナは静かに告げる。
(……まだ、旅は続くんだ)
私は卵と龍神の鱗を抱きしめながら、決意を新たにした。
* * *
※水面下で動く影※
その頃――ある神域にて。
「……雨が降った?」
長い黒髪をなびかせ、冷ややかな表情で空を見上げる男がいた。
彼女の名は琴蛇(ことは)。
玖蛇の婚約者にして、夜刀神の力を継ぐ者。
「……玖蛇の封印が解けかけているのか?」
彼の周囲には、神々しい蛇の式神たちが蠢いている。
「二つ目の試練が突破されたということか」
琴蛇はゆっくりと手をかざす。
次の瞬間――
彼女の指先に、水の気が宿った青い光が灯る。
「……ほう。これは、龍神の気か」
琴蛇の唇がわずかに歪む。
「面白い。玖蛇を取り戻しに行く準備をしよう」
闇に溶け込むように、琴蛇の姿は消えていった――。
* * *
――第27話・完――