* * *
「……水そのものに、なる……?」
私は、蒼龍の守護者・イズナの言葉を反芻した。
「水の気を受け入れたつもりだった。でも、まだ足りない……?」
私は卵を見つめる。
さっき、わずかにヒビが入ったのに……まだ孵化はしていない。
雨も降らなかった。
(何が足りないの? 私はちゃんと水の流れを読んで、天に呼びかけたのに……)
そんな私の考えを見透かすように、イズナが口を開く。
「水はな、結月。どこにでも存在し、流れ続けるものだ。時には静かに、時には荒れ狂いながら」
「……」
「だが、お前の水は、まだ"しがらみ"に囚われている」
「しがらみ……?」
私は思わず聞き返す。
「お前は"水の力を操る"ことを意識しすぎている。水は、"操る"ものではなく、お前と一体となるものだ」
「……一体、となる?」
「お前自身が"水の流れ"そのものにならねばならない」
私はその言葉を反芻しながら、ふと境内を流れる小さな川に目を向けた。
水はただ、川の流れに従い、何にも逆らわず進んでいく。
しかし、それは決して消えるわけではなく――確かに、存在し続けている。
(私も、水にならなきゃいけない……?)
でも、どうやって……?
* * *
「お前に残された時間は、もう多くはない」
イズナが鋭く言い放つ。
「雨が降らねば、人々の暮らしにも影響が出る。お前の試練は"雨を降らせること"だけではなく、"命を育む者としての覚悟"を試されているのだ」
"命を育む者"――
その言葉に、私はハッとした。
(そうだ……私は、この卵を育てるためにここにいるんだ)
自分の力を証明するためじゃない。
ヤト――玖蛇の封印を解くため。
そして、この卵の命を誕生させるために。
私の役目は、水を"生み出す"こと。命を潤すこと。
「……水を、"生み出す"」
呟いた瞬間――
四神の卵がふわりと淡い光を放った。
「……やっぱり、お前の意志に呼応しているようだな」
イズナが小さく頷く。
「結月、もう一度試練を行う準備をしろ。今度こそ、お前自身が"水の流れ"となるんだ」
「……はい!」
私は神楽鈴を握りしめ、もう一度、境内の中央へと進んだ。
* * *
――雨乞いの儀式、再び。
静かに息を整え、目を閉じる。
私は水。
ただ流れ、すべてを受け入れ、変化し続ける存在。
私は鈴を軽く振る。
シャン……シャン……
風が境内を包み込み、草木がざわめく。
私は、水の流れを想像した。
川のせせらぎ、雨が地面を叩く音、波が岸辺に打ち寄せる感覚――
私の中に、確かに水が流れている。
私は"雨"そのものにならなければならない。
私は鈴をさらに強く振った。
シャンッ……!
その瞬間――
空が、一気に暗くなった。
「!!」
強い風が吹き抜け、木々が揺れる。
「結月……お前、今……!」
イズナの声がどこか遠くに聞こえる。
私は空を見上げた。
分厚い雲が渦を巻き、天の気配が変わっていく。
(私は、水……)
私は、両手を広げる。
そして――
「――降れっ!」
バシャァァァァ!!
空から、激しい雨が降り注いだ。
結界の中にいたイズナも、驚いたように空を見上げている。
「……やった、の……?」
私は呆然としながら、ポタポタと雫を落とす卵を見つめた。
その時だった。
ピキッ……!
卵に、今度はより深いヒビが入る。
「!!!」
私は目を見開いた。
卵が、ふわりと宙に浮かぶ。
イズナがゆっくりと息を吐いた。
「……ようやく"水の気"を受け入れたか」
「えっ、じゃあ……」
「そうだ」
イズナは私を見つめ、口元に微笑を浮かべた。
「お前の雨は、天に届いた。そして、卵もまた――"生まれる準備"を整えつつある」
私は、そっと卵を抱えた。
卵のぬくもりが、今までよりも一段と温かくなっている。
(もうすぐ……会えるんだね)
私は静かに呟いた。
でも、まだ終わりじゃない。
四神すべてが揃わなければ、試練は終わらない。
そして、私の旅も――まだ続く。
* * *
――第26話・完――