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第116話:マツさんのゲル

 翌日から、正式にマツさんのために”鉱山”へ潜るパーティー部隊が発足した。自分のパーティーのほかに三パーティー参加し、専用の勘合符のようなものを使って換金所で取引をすることで、ロジスティック担当であるマツさんの元へ直接魔石を運ぶ、という形のシステムが早急に作られ、探索者事務所で結成式とそれらについての説明、それからマツさんのスキルについての細かい解説が行われた。


 今後は魔石をそのまま仕入れに使うことで様々な品物と交換できるスキル、ということが大々的に探索者の間に知られることになり、これから生活は上向きになっていく可能性が高いことを井上さんが強調しており、その為の新しい仕組みだという説明を行っていた。


 新しく結成されたパーティーたちはその責任の重さに緊張はしていたようだが、俺達がいつも通りのことをすればいい、という姿勢でいるため段々緊張がほぐれていったらしく、結成式の終わるころにはかなり緊張もほぐれていたようだった。


 マツさんはしばらくは探索者事務所で書類整理と今後の予定を立てていくらしいが、探索者事務所まで魔石を運んでくるのは移動時間がかかり人手もかかるため無駄が多いとして、”鉱山”の近くに自分の部署を立ち上げてそこで作業をするようにするらしい。


 結成式からしばらくして、正式にマツさんの居場所が作られた。そう、ゲルの復活だ。出入口が比較的広く、中のスペースも充分に確保されたそこではマツさんが忙しく働いている。場所は”鉱山”を出てすぐのちょっとした広間の跡地に作られた。


 最初はちゃんとした建物を建てたりしようとしていたらしいが、そこに人員や資材をつぎ込むよりももっと手早くて安く済む方法がある、と言ってゲルの材料をパパッと買い揃え、組み立てだけ手伝ってもらう形になった。


 マツさんはそこに数少ない私物を持ち込み……もちろんコーヒーミルも新しく買ったものをしっかりと常備していた。やはりコーヒーがないと頭が働かないらしい。まあ頭脳労働と言えば頭脳労働なんだからコーヒーがあるほうが効果的に行動できるようになるなら必要経費という物だろう。


 収入として計上された魔石と支出として出した資材や食料、その他いろいろの計算をしながら次々に俺達が運び入れていく魔石の価格とそれによって得られる利益や何やらをしっかり記帳していくため、マツさんの補助に就く人物が必要になった。


 そのポジションには前からマツさんの補助をしていた美智恵さんが暫定的に働くことになり、二人で仲良く作業する様子は時々あのダンジョンの中での思い出を掘り起こすようにフラッシュバックするようだった。


 美智恵さんも長生きをしそうにないから、という本人からのたっての希望から若い探索者が補助で入ることになり、当面は三人で回していくことになるようだ。まずは防衛圏の建築資材と食料の潤沢な供給をベースとして、余裕が出次第他の物事に購入品を回していくらしい。


 さて、こちらのパーティーだが、やはり俺が居る分だけ早く回収し早く帰ってくることができるため、他の三パーティーの一回の合計と我々の一日の合計が大体同じぐらいの収入として計算されることになった。


 他のパーティーはなぜそんなに早く魔石を集めきることができるのかと不思議がっていたが、俺の体質について説明すると、ずるいという声さえかかってきた。


 しかし、俺の貸し借りをパーティー間でやり取りしながら探索するわけにもいかないので、そこは各自芽生えたスキルと同じように納得してもらうしかないということで、代わりに見かけたらエンチャントを無償でかける、ということで合意に達した。


 今までパーティーごとに千円取っていたエンチャントがかけられ放題ということで、ちょいちょいと切れるたびに顔を出してくるので、お互い良い関係を築けているとは思う。収入には大きな差が出来てしまうのは仕方ないことだが、そこはそれだけ働いているということで納得してもらうことにした。


 それと新しく戻ってきた老人たちだが、彼らも旧戸籍を使い続けるのか新しい戸籍をもらううのかでそれぞれ別れたが、無事に過ごしているらしいことを井上さんから時々聞かされている。


 俺が街に戻ることになったあの時、二度と家族の顔を見たくないと言っていたような人たちも新しい名前と新しい戸籍を受け取り、別人として活動することに決めたそうだ。


 どうしても戻りたくないと言っていたが、マツさんが戻るということになればその先はもう決まっているようなものなので仕方なく……といったような人もいたが、やることを見つけて再出発できたのは良かったことだと思う。


 マツさんのほうも、こちらからの魔石の供給が交換に追いつかなかった当初に比べて最近は比較的安定してきたらしく、最近はよくコーヒーを飲んで休憩しているところに魔石を運び入れて、ついでにコーヒーを奢ってもらう程度の暇は出来ている。


 コーヒーもマツさんのおかげで市中に広まるようになり、カフェが再開できるようになったらしい。開店当日は久しぶりに豆のコーヒーが飲めると長蛇の列になったらしい。俺も並びに行こうと思ったが、マツさんの所に行ったほうが早いのでそうしている。


 また、マツさんの収集癖である色んな書物やサバイバルガイド、これからの街の復興に役立つようなものが徐々に集められはじめ、ゲルの中がそれらの本で満タンになる前に……と、一般にも開放される形で図書館のようなものが作られ始めた。


 逸失してしまったコミックや漫画等にとどまらず、参考書や専門書の類で必要なものを取り揃えていくと瞬く間に利用者は増え、娯楽だけでなくそれ書物を専門で扱う部署等に活用されているようになっていく予定とのこと。


 マツさんや井上さんが目指していた酒造りのほうも、綺麗な環境と清潔な建物を用意できるようになったことで発酵食品なんかも今後は生産ラインに乗せていくことが可能になるだろうとのことだ。


 特に麹菌を酒造りのためだけでなく、醤油やみそを作るために必要な細菌類にしても手に入るようになったことが進捗を確実なものとさせたらしい。やはり通販でも麹菌は手に入るらしい。後は環境をきちんと纏められるかだが、セメントや木材などの製造用の施設にも新しい綺麗な部材を使えるようになったことで気密性や清潔性を保つことができるようになったらしい。


 酒は楽しみだな。俺が死んだらみんなで開けて飲んでもらう用の樽も一つ用意してもらうようにしよう。酒を片手に故人を悼む、それ専用の樽として一つぐらいは都合してくれるだろう。


 マツさんのスキルで少なくともこの街に関してはいい方向に向かい始めている。完全に昔のように戻ることはないだろうけど、それでもここを基点にして改善し続けていることに間違いはない。そして、これからもこの町で暮らしていくことに変わりはない。


 マツさん用の魔石回収担当になった以上、生活圏の外へ出ることはもうないだろう。俺の残り寿命を考えても、生活圏開放担当や防衛担当に回される可能性も低い。このまま体が動かなくなるまでロジスティック用魔石回収担当として生涯を終えることになるのだろう。


 今でもまだ思い出す、マツさんのゲルで生活していたころのことを。マツさんのゲルは新しく場所を変えてしまっていても、まだ俺の心の中にはうっすらとあの頃のゲルの面影が残っている。


 今日も元気に”鉱山”で採掘活動を続けよう、この寿命が尽きるまではまだまだやれることはたくさんある。仕事ができる間に金を貯めて探索者として活動できなくなる日まで、俺の探索者生活は続きそうだ。


「マツさん、じゃあ行ってくるよ」

「行ってらっしゃい五郎さん、充分に気を付けて」

「いつも通りのことをするだけですから大丈夫ですよ。マツさんも無理しないでくださいね」

「高い買い物をする時はまたエンチャントのお世話になるからその時はよろしくね」

「はい、それまでに溜めておいてくださいね。じゃあ行ってきます」


 さあ、今日も探索を始めよう。


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