墓の掘り出しはあっさりと終わり、組み立てもなんとかうまくいった。
あの日記帳は風呂敷に包み直しておかきの缶に入れ、墓を建て直した場所に埋めてある。そのまま埋めるのはしのびないと、優斗が提案したからだ。
缶の中は他に、レトルトご飯やお菓子で埋め尽くしたし、きっと供養にはなったと思う。
ただ、筆入れだけは祭壇のどこからも見つからなかった。
「お墓はなんとかなったけど……あ。陸、名前どうしよう」
「いい名前がいいよな」
「でも江戸時代の子だからなぁ。今の名前だと嫌かもしれない」
「太郎とか之助とかつける?」
「あ、それいいかも。でも男か女かも分かんないんだよな」
「じゃあどっちでも使える名前がいいか」
あーだこーだ悩む俺たちを、賢人さんは静かに見ている。一緒に考えてほしいと頼んだけど、笑って辞退された。
「同年代に供養してもらった方が、この子もきっと喜ぶよ。家から出られなかったってことは、きっと友だちだっていなかっただろう」
「……そうだね。じゃあ、どっちでも使える名前の例とか教えてもらえない?」
「そうだなぁ。当時の女性は慣例としてカナ二文字で名前がつけられてた。お竹さんとか、時代劇で聞いたことはあるだろ? 中性的となると難しくなるけど、愛称としては男児も二文字で呼ばれていた例もあるし、それを踏まえると──」
うーんと眉間に皺を寄せた賢人さんが、唸りながら名前を挙げていく。
「トク、トヨ、クマ、ヤス、あとはトラとかロク……挙げればキリがないけど、いざとなるとパッと浮かばないなぁ」
「いや、充分でしょ」
うんうん悩む賢人さんを励まし、優斗を見る。なにか浮かんだらしい。
「トヨ、いいなぁ。村を守ろうとしてた子だし、家と村が豊かになるように考えて努力してたから、ピッタリだと思う。豊かと書いてトヨってどう思う?」
「うん、いい名前だと思うよ」
そもそも優斗の家のことだ、俺に異論はない。
持ってきたチョークで、優斗が墓石に「三科豊の墓」と書いていく。そして足が汚れるのも気にせずに小雨の中正座した優斗は、持ってきたろうそくに火をつけ、手を合わせた。
「全部終わったらちゃんと名前彫ってもらって、もう一回ちゃんと供養もします。遅くなったけど、名前を受け取ってください。──三科豊さん」
細かい雨音だけがする。とても、とても静かだ。
これで本当に、なんとかなるんだろうか。あとは無事に夏休みを送れるのか?
俺は一度家に帰るとしても、優斗たちはもう、大丈夫なんだろうか。
マンガやアニメならここで分かりやすく空が晴れたり、なんかはっきり終わった感じがあるもんだけど、雨もやまない。やっぱり現実なんてそんなもんかと思っていた。
一日に二度も山に登ったからか、さすがに疲れたらしい。車に乗った直後から優斗は半分目を閉じているような状態で、俺もずいぶん記憶が曖昧だった。
誰かのスマホが、三度震えたのをどこかで聞いた気がしたあとのことだ。
「……今日は、僕の家で休もうか。少し狭いだろうけど、二人なら僕のベッドに収まるだろう。僕は寝袋を使うから、遠慮はいらない」
この声に夢見心地で、わけも分からず頷いた気がする。
足の踏み場もない室内をどうやって歩いたのか、自分でも不思議だ。だけど実際セミダブルサイズのベッドの上で片足ずつ落っこちながら、俺たちは朝を迎えた。
「……おはようございます」
「ああ。おはよう、陸くん」
大あくびをして起き上がった俺を見た賢人さんは、ひどく疲れた顔をしていた。
目の下も真っ黒になって、たぶん眠れなかったんだろう。その顔つきに、蒲団の中で呻いていた優斗もギョッとした様子で体を起こした。
「賢人さん、どうしたのその顔!」
「え? ああいや、なんでもないよ。──そんなにひどい顔をしてるかな」
「ひどいなんてもんじゃないよ」
「そうかぁ」
賢人さんは疲れ切った顔で笑って、頭を抱えるように自分の前髪を掴んで黙りこんだあと、静かに口を開いた。
「フリーズドライのリゾットがある。それでも食べようかぁ」
立ち上がり、台所の戸棚を開いた賢人さんがいくつかの小袋と、マグカップを取り出す。
寝起きにリゾットなんて、なんだかリッチな感じだと思った。冬になるとよく朝食にお湯で溶くだけのスープを作ったけど、リゾットなら米だし、腹にたまるのが嬉しい。
今はものすごく腹が減ってるし、と、そこで気づいた。
「……え?」
今は食べちゃいけないんじゃなかったか?
顔を見あわせた俺たちを気にせず、前日の土汚れがついたままの手が準備を進めていく。
「もう限界だろう? これ以上食べずにいたら、さすがに餓死してしまう。……大輔さんたちからも許可はもらってある。カセットコンロがあるから、それでお湯を沸かそう。保存水はあっちに持っていってしまったけど、雨水でも────」
「いやいや、待って、待ってよ!」
賢人さんの腕に飛びつくように、優斗がその動きを止めた。
「もう、もう大丈夫になったってこと? 武おじさんたちの火葬が終わったの? ちゃんと謝ってお墓も建て直したから、それで……!?」
それならそうと先に言ってほしいけど、賢人さんはなにも言わない。だから。
なにかあったんだと、それだけで察せてしまう。
泣きそうな顔で、優斗が外に飛び出した。
「っ、優斗どこに……!!」
「帰る!!」
「ダメだ、ここにいなさい! 優斗!!」
しつこい雨が降り続ける中、優斗は三科家に向かって走り出していた。
俺と賢人さんも追ったけど全然追いつけず、ぬかるんだ道に足を取られて何度も転ぶ。
普段の優斗からは考えられないくらい速い。なにかに背中を押されているように走る優斗に対し、這うようにして三科家に辿り着いた。
玄関に向かう中、否応なく信じられないものが目に飛び込んでくる。
倉庫が。
俺たちが二度目にあの墓に向かった頃、まだ武さんたちを焼いていたはずの倉庫が。
全焼し、崩れた木材がまだ赤く燃えていた。
「……なんで。大輔さんたちが火の番、してたんじゃ」
俺の疑問に、賢人さんは答えない。ただ玄関から脇目も振らずに祭壇の部屋に入って。
そこに立ち尽くしている優斗と。
干からびた、二人分の死体を見た。
「──父さんと母さん、だよね」
崩れるように座り込み、汚れた床で手を伸ばす。
優斗の言葉に驚いたのは俺だけだ。
「そうだ」
絞り出すようにそう言って、賢人さんも床に座り込む。
「昨日──車に乗り込んでから、大輔さんから連絡があったんだ。桜姉さんと孝太さんが、兄さんたちと同じように亡くなったって。……君たちに見せないように、今日は僕の家に泊まってほしいとも書かれてたよ」
「だったらなんで、大輔さんたちまで」
「深夜に電話がかかったんだ。──武兄さんたちと同じように、こっちの声は聞こえちゃいないようだったけどね。うわ言のような言葉を呟き、茜さんと優斗、そして君にしきりに謝りながら、やがて叫び始めた」
「謝る? 俺にまで?」
「理由はわからない。それと、優斗」
二人の死体の傍らにしゃがみこんでいた優斗が、ほんの少しだけ顔を上げた。
「……大輔さんは死ぬ直前の電話口で、君のことを頼んでた。食事をとらせてほしい、優斗は大丈夫だからお腹いっぱい食べなさいと、何度も言ってたよ」
「だから俺に、リゾットを食べさせようとしたの」
「そうだ。……墓を戻し、名を与えても座敷わらし──三科豊の祟りは治まらなかった。それなら食べても食べなくても、結局……」
「……そうだね」
ゆらりと優斗が立ち上がり、また座り込む。
「優斗」
「ごめん。……少し、ここにいたい」
身を縮めて震えた優斗に、俺たちはなにも言えなかった。
数日前、初めてこの家に来たときはあんなに騒がしかった広間が、今は静まり返ってる。
夏休みに遊びに来ただけのはずが、なんでこんな目に遭わなきゃならないんだろう。
優斗と賢人さんから離れ、誰もいない優斗の部屋で。持ち込んだブロッククッキーを口の中に押し込みながら、俺は日記を書いていた。